Shana Shana

千羽はる

Shana Shana

黒猫と、目が合った。


空に浮かぶ満月のように、大きく丸い金色の瞳。

透明で無垢な視線が、心の奥底を覗き込んでくる。


愛らしいのに、少しだけ、怖い気がした。


秒針の音と一緒に、白銀の飛沫をまとう紫色の夜が波打った。

私の小さな部屋の窓辺。小さい花を飾るための花瓶とともに、本当の闇が行儀よく座っている。


黒猫の手前には、銀の小箱がぽつりと一つ。


なぁんとひと鳴き。使いなよ、君のだよ。


中には、真っ白なジグソーパズルが入っている。長い夜の暇をつぶすには、ちょうどいい難易度だ。


しゃなしゃなと音を立てるピースを、四つ足のテーブルの上に、ばらまいた。


黒猫の背後から差し込む満月の光に照らされたそれは、月面のように仄かに光っている。


しゃなしゃな しゃなしゃな


ピースを混ぜて、擦れ合う音を楽しむ。ピアノよりも乱雑で、雨音よりも軽快。

リズムをとるわけでもなく、目を瞑って無心に手で混ぜる。

すると、不思議な光が瞼を超えて目を照らした。


眩しい。


目を開くと、四つ足のテーブルが消えている。黒猫が消えている。小さな部屋が消えている。夜が消えている。


いつの間にか、柔らかな日差しが体を温める、どこかのベンチに腰かけていた。 


頭上には、満天の藤の花。


春らしいシルクのような肌触りの風に奏でられ、花は気持ちよく唄っている。


しゃなしゃな、しゃなしゃな


「やあやあ、いい歌ですな」


突然、横にいた先客に声をかけられて驚いた。


物静かでおしゃれな老人が、深く腰を下ろしている。

馴染んだダークの背広と、セピア色の空気と、しつこさのない甘さ漂うコロン。

下げられた両肩に降り積もった、決して軽くはない時間。

彼を構成するすべてが、彼を揺るぎない紳士たらしめている。


紳士は、にこやかに帽子を取って、上品に挨拶。

彼の動きに合わせて、甘やかなコロンと藤の香りが、揺らぎ、混ざる。


「ここに来てくれてありがとう。藤の花達もあなたを歓迎しています」


優しい目じりがくしゃりと皺をよせる。

居住まいをただした私と、相変わらず歌い続ける藤の花を、時間をかけて交互に見つめる。


「あなたに届いた真っ白なジグソーパズル、あれはこの庭への扉なのです。

 綺麗な庭でしょう?

 これはあなたのおかげで美しくなりました」


紳士に誘われ、庭を見渡す。


決して広くはないけど、丹念に手入れが行き届いているのがわかる庭。


薔薇と水仙と向日葵と椿と白木蓮が、私達に向かって優雅に腰を折って挨拶。


桜と梅は楽しそうに笑い合いながら、私達に手を振る。


鈴蘭と彼岸花は照れくさそうに陰に隠れてしまったけれど、紳士が優しく笑いかければ、おずおずと微笑み返してくれた。


花たちの頭上を、ずっと優しい日の光が降りそそいでいる。


「あれは大切な真昼の光を描いたパズルなのですよ」


なるほど、だから真っ白だったのか。

紳士は、納得している私に視線を向けて愛情深い微笑を向けた。


「残念ながら、この庭はもう終わりです。


最後にお客が来てくれてよかった。ここはね、私が昔住んでいた家の庭なのですが、もうどこにもないのです」


「私が夢見る間だけ、こうして現れる


過去とは不思議なものですな、どれだけ散らばっても


こうやって丁寧に集めてくれる人がいれば、ほら、ごらん


まるで鮮やかに生き生きと美しくなるではありませんか」


さぁ、と少しだけ言葉を強くして、紳士は私に手渡した。

見覚えのある銀の小箱。精巧な、藤の花の銀細工が刻まれた。


「今度はあなたの番ですぞ、散らばった過去を集めるのです。


辛い思い出も、苦しい思い出も、等しく大切なピースなのですから」


しゃなしゃな しゃなしゃな


藤の花が「応援しているわ」と歌う。

紳士が、私の手に銀の小箱をしっかりと握らせる。


「私の役目は終わりました。次は、あなたが」


紳士の真剣な言葉の途中。


ぱらり、と、崩れる音がする。声は、音にさえぎられる。


「旅を……、庭を……」


なぁぁぁぁおぅ


黒猫のとぼけたような鳴き声が、周囲に響いた。

ぱちりと、目が開いた感覚がある。


小さな部屋。四つ足のテーブル。夜を呼ぶ秒針。


窓の外では、大きな星が流れ落ちている。


見下ろすと、悪戯好きのしっぽは、美しい庭が描かれたパズルの縁を崩していた。


手の中には固い感触。

そこに銀の小箱はなく。


あったのは、「私の今」を刻む、銀の懐中時計。

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Shana Shana 千羽はる @capella92

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