一分差の日没

群衆の中の猫

一分差の日没

 ため息を吐くということに慣れたのはいつからだろうと思い返してみても、答えは得られない。それは、朝目覚めた時に憂鬱な顔をするようになったのはいつからだろうと考えるのと同じことで、これもまた「語り得ぬもの」の領域かもしれない。そうすれば、私は沈黙することになる。だから、私は大学の最寄り駅の閑散としたホームのベンチに腰かけて、スマートフォンの画面さえも見ないで、目の前を高速で飛ばしていくか、あるいは目の前に止まってはまた走り出す赤と白の電車を眺めている。時々私の目の前を歩いていく人は、まるで私という存在を知覚できないように、わき目も振らずに視界の端から端へ消えていく。

《生への罪》

そんな言葉が浮かんできても、私の脳は別に驚くでもなく、その言葉を咀嚼していく。それは業とか原罪とかそういうものではなくて、単に私が私の周りの社会に対して不誠実である罪、その不誠実を詫びて罵られるだけの度胸もない罪、概ねそんなものだと感じて、またそういう自分を冷め切った別の自分が眺めている。その冷め切った自分は自分を矯正するということをまるで本心からは考えていないようで、ただ、私を斜め上の空中から見下ろし、耳障りな声で嘲笑ってくる。

 《君は恵まれているじゃないか?君は不自由なく生活を送っている。その上で君が社会に不誠実なのは、それは君の問題じゃないか!君は恵まれているんだから、努力をしないといけない。それはノブレス・オブリージュなんて気取った言葉でなくとも説明できる事実のはずだ》

 私はただ手の中のペットボトルを回していた。この別の自分が言うことは正しい。私は何も、今まで監禁されてきて人との関わり方を学ぶことのできなかった人間ではない。親もまともな人間だ。私の周りの友人も、私よりできた人間しか思いつかない。私が、私だけがこの社会に不誠実だ。

 例えば私は、短期のバイト先の飲み会に参加するかどうかの返事をとうとう忘れたままにしてしまった。さっさと謝ればいいものを、罪悪感と億劫さが邪魔をしてそのままにしている。短期とはいえ、あと一か月はあるというのに。謝るべきところで黙り込み、余計な一言を挟んでは後で後悔する。そしてそれを詫びるだけの度胸すら持たずに、どうせこの先関わりはしないのだ、と思い込んで誤魔化しているにすぎない。そんな事例は探せばいくらでもある。

 就職について聞かれた時、私は決まって理系なのでまだ何も考えていないと言う。真面目な口調で、困ったように、あるいは少しだけおどけて耳を塞ぐような仕草をしていても、内容だけは常に、ICレコーダーのように同じことだけを繰り返し言って、その場を終わらせてしまう。本当は理系の勉強への興味などとうの昔に失って、文学という食えもしない趣味のぬるま湯に浸かって寝惚けているだけだというのに。さりとて今から学部を変え、あるいは大学さえも変え、文学に本気で取り組むこともできやしない。食っていけない分野への興味なんかは趣味に留めておけと自分を怒鳴りつけながら、意味なんか欠片ほども分からない工学の教科書を何も得ることなく眺めている。それを試験勉強だなんていうものだから、私の成績は明らかに劣等生のそれで、それがまた努力不足な自分を糾弾する理由になって、私の中にはいない冷徹な私は、試験が終わると決まってこう言うのだ。

《それ見たことか!やはり君はこういう人間なんだ。何もなすことなく、自らの恵まれた生まれに胡坐をかいて座っているにすぎない。だがよく覚えておけよ、君が座るその台座が、あと数年もすれば消えてなくなる。その時の君の困った顔は、さぞ見ものだろうな!》

 

 高校の教科書に載っていた李徴は、少なくとも己の才能に自信を持っていた。その分だけマシではないかと今では思う。人より自分が優れていると疑わず、その結果として他人に耳を傾けることを良しとしなかったのだ。その果てが虎だとしても、虎になるまでもがくことはできたのだ。それもまた悲劇の一形態には違いないが。でも彼には少なくとも才能があった。袁滲とか言ったか、もう一人の方は、才能と人間社会への適合性を程よく持ち合わせていた。では私は?私にはそのどちらもない。虫が食った果実のように穴だらけだ。

《君はどうだ?心配いらない。君は人を食い殺すような虎になる素質さえもないのだからな!君は何処まで行っても人間だ。不誠実で迷惑な人間としてしか生きられない。君は溢れる才能に恵まれた李徴のように、社会から逃げることさえできない》

 ああ、私にはわかっている。分かっているとも。逃げられないことも、時間が解決する類の問題ではないことも。さらに言えば、こんなことを誰かに話しても、私が不誠実な行動をとってきた相手である私の周りの人間は困った顔で当たり障りのないことを言うだけだということも。そもそもそんな話題自体が、私の周りの人間には迷惑なだけだろう。私は長いこと道化だったからだ。

 長い間道化の真似をしてきた。おどけた仕草も、空気を読むでもなく放った言葉も、先のことなんて真面目には考えていないような顔も、全ては自らで課した道化という役に必要なものだと思い込んできた。道化は悩まない。難しい顔をすることもなく、常に不気味に飄々と笑って、真実をふとつぶやく。しかしその真実は道化の戯言として道端で紙屑のように雨に打たれ風に吹かれ、ついに誰を動かすこともない。真実など要らないことの方が多いのだ。本当に必要なのは真っ当に暮らしていくということだけ。そのためにすり減らしても問題ない耐久性の心だけ。しかし困ったことに、あれだけ不誠実な行いを繰り返しておきながら、私には真っ当な暮らしのために心をすり減らす度胸はないし、かと言って社会の繋がりを振り切ってしまうような甲斐性もない。ただ道化の真似をし続けることしかできない私は、きっと自分を含めた世の中全てを馬鹿にして嗤うことしかできない。しかもこの道化は、別に真実をつぶやくわけでもないのだ。笑い飛ばして、終わり。誰のためにもなりやしない。

《君は社会を構成するのには不適格だ、だろう?君はたまたま刑法に触れていないだけで、これまで不幸にも警察に捕まった人間の幾倍も、人を不快にしているんだぞ。君がある一定の時期から有益な社会の構成者になれるとは思えないし、今から精神的な成長を経てそうなるとしても、既に遅すぎる。君の周りの人間はみんな、君みたいな子供とは違って、もう誰にも迷惑をかけないように生きる術を体得しているんだぞ》

その通りだとも。中途半端な夢に眠っては醒め、そうして屑のような言動を改めるでもなく、ただ全てを笑い飛ばして生きている。誰にも本当のことを言わない道化。友人どころか恋人にさえも。

 私は親のことで困っている恋人にさえ、ついぞまともな助言ができたことはない。心に寄り添い、親に挨拶に行くわけでもない。ただ、何とかなると言っただけだ、何とかする、ではなく。絶対に守りぬいてみせるだとか、そういうことを言ったこともない。本当にできるかどうか分からないことは言わない主義だとか嘯いて、逃げている。私にはあの女の子の恋人を名乗る資格さえないのではないか、という疑念が晴れたことは、一度もない。

 もちろん友人に対してもそうだ。彼らが私のことを友人だと思ってくれているなら猶更、私は彼らの友人であるとは自称できない。彼らは私に忠告をくれる。しかし私は、友人に忠告したことなどないのだから。無鉄砲なところが玉の瑕な友人に他の友人が忠告する中、私だけは何も言わなかった。これ以上寄ってたかって説教しても仕方ないとか、適当な理由をつけて私は黙り込んだ。これもまた、私が本当に心の底から友人のことを大切に思っていないことの証左なのだろう。


 私はふと、本気で社会の繋がりを振り切ってしまうのはどうだろう、と思った。自分のような不誠実な者が一人増えるともなれば、それはもちろん社会は嫌がるだろう。では一人減るとしたら?恐らく文句は言われないはずだ。私はこの思い付きがとても有意義なものに思えた。ともあれ持っている金で行けるところまで行って、そこで生きられるなら生きることにしよう、と思った。駄目ならそこで終わりにすればいい。死ぬことはいろいろな人間が恐れてきたのだから、今更私が死を恐れる必要なんてない。私が死ぬことさえも笑い飛ばせたとき、私は初めて本当の道化であれるだろう。人生の締めくくりには、それくらいの努力はしなければ。


私は初めてスマートフォンの画面を見た。そこに映る恋人とのトーク画面に、私は何も残さなかった。《さよなら》という四文字は、必ず四文字以上の説明を要求することになる。そうなったとき、私にはそれ黙殺するか、答えるにしても簡潔に済ませられる自信がなかった。私が愁嘆場を演じたりしたら、それこそ品のない喜劇でしかない。この衝動的な決断に至ったのも私なら、その原因たる不誠実さも私のものだ。誰かに押し付けられたわけじゃない。だから私には悲劇の当事者たる資格はないのだ。道化はその最期の一瞬まで道化であり続け、そして誰にも悲しまれず消える。ちょうど一分ほど前、最後に赤や橙と紫のグラデーションを空に残した太陽も沈み、そしてこの駅の二つのホームからも人影が途絶えた。向こうからは、この駅を走り抜ける電車が迫っている。私はホームの黄色い線から一歩踏み出し、スマートフォンを放った。

 直後、赤と白の特急列車が、右から左へと目の前を掠めていく。それは十秒ほど続いて、その後にはさっき見たのと変わらない駅があった。私はその数分後に駅に入ってきた各停に乗り込んで窓を見た。次第に流れが速くなっていく街灯を、ただ見ていた。


 


 スマートフォンが特急列車に砕かれ、ただの金属の塊になる僅か数秒前、それは空中で最後のメッセージをつかんだ。メッセージは今しがたスマートフォンを投げた者の恋人のものだった。それは一枚の画像と、

《今日の夕焼けが綺麗だったから、急いで撮った写真》という簡便なメッセージからなっていた。

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