直観

あんどこいぢ

直観

地球圏連邦第 8354 宇宙天文台からのレポートが妙な感じになっている。

まず当該天文台台長ユウマ・レイからのレポートがおかしい。とはいえ、レポート自体はちゃんとフォームにのっとったもので、記述式部分も目安となるデータ量を多少オーバーする程度で、真面目にやっている感は逆に申し分ない。その多くが単身勤務の宇宙天文台台長たちが記述式部分を増やして来る場合、大抵愚痴、泣き言などで、拘禁反応などを疑ってみなければならないわけだが、この対象者の場合、特に問題なさそうだった。知的好奇心に関わる脳波、内分泌系の数値などは逆に上がっていて、心身ともに健康であるようなのだが、強いて言えば、それが問題だという他ない。

だが、およそ一年ほど前に関わったこの男に関するドキュメンツに、彼女は妙な引っかかりを感じていた。地球圏連邦火星州第五県エリーゼ渓谷市経済部雇用政策課ナオ・ウラキ。部下なし係長として主に宇宙開発関連の案件を担当している。

いまどきトンボを思わせるような透明ポリマー製眼鏡をかけている。とはいえ多少丸顔ながらなかなかのファニーフェイスで、まだ二十代にしてそれなりのエイジングケアも怠っていない彼女は、中世期後期の文学少女といった雰囲気を醸し出している。プライベートルームのデッキチェアに横たわった姿は、少々リラックスし過ぎな感じか? しかし決して下品には流れていない。非情の際には簡易宇宙服の役目も果たす火星州職員用のツナギの制服が、稚い印象の小振りの隆起二つを、キュッと締めつけている。そのナオがクラウド上の仮想 PC に話しかける。ついつい声が漏れてしまうのは、このルックスにしてはややアナログな感じか……。

「うーん。知的好奇心か……。その点が逆に、問題なのよね……」

デッキチェアの下には毛足の長いマットが敷かれていたが、他の家具(?)は壁に収納するタイプのベッドのみ……。壁も構造強化のための窪みが向き出しになっていて、壁紙は貼られていない。中世期のひとびとが思い描くような、いまではアナクロいっぱいの未来住宅の好例だ。

ところで、先述のように彼女の担当は雇用対策だ。ここ数年火星の地価が高騰しているため、三十五歳以上でニート状態にあるような者たちに宇宙天文台台長などの職を斡旋している。宇宙天文台といってもそのベースは型落ちのため乗り捨てられた宇宙船を改修し、多少家具などを持ち込んだだけのもので、それが棄民政策であるということは、いわゆる関係各位には常識だった。

「それなのにあのひと、初めっからなんだか妙に浮かれていて……」

体内のいずれかのコネクタから常時ネット接続という生活が普通になって早五世紀弱経つが、宇宙開発関連業務の紹介の場合、担当窓口に来てもらっての口頭での説明、さらにアナログの紙の合意書へのサインということが慣例になっている。未だに危険な業務だという迷信があるのだ。そのため窓口に現れる男たち(実はニートといえば大半が男性なのだ! 女性の場合家事手伝いという名目が、こんな時代になってなお立ちやすいのかもしれない)は、

「いよいよ俺も宇宙に廃棄されるってわけか……」

などと、開口一番嫌味を言うのが常だった。ところが彼の場合──。

「宇宙船の船窓から観る本当の銀河って、どんな感じですか? 私たちが地上から観てるのって、実は大部分、衛星コンステレーション関連の人工衛星群なんですよね? あっ。宇宙では星って瞬かないんでしたっけ? やっぱり星は、瞬いたほうがいいですよねー」

何やら逆に、浮かれているような感じだった。


空元気? ナオは当然そう思った。

またこの状況で浮かれている眼前の中年男に苛立ちもした。結果ついつい、自らの職務を逸脱し行政サービスの対象者である彼に、非難がましいことまで言ってしまった。

「その歳で一度も火星を出たことがないだなんて、やはり少々、問題ですね」

「はあ、小中学校の修学旅行で地球観光には行きましたけど、そのときにはもう、いじめられてまして……。その一週間をどう乗り切るかって、もうそのことだけで……」

実に解りやすくシュンとなってしまった。

結局行政の窓口などでは、多少横柄なぐらいのほうが物事がスムーズに運んで行くのだ。そういう悪いお役所のイメージに、彼女もまた加担してしまったわけだ。


次の引っかかりは支援ロボットに関してだった。

種々の社会運動団体が問題視しているように、それは明らかに、性的慰撫が目的のものだ。多くはクローンのバイオロボットたちで、イヌ、ネコなどの遺伝子が組み込まれ、名目上人間ではなく家畜だということになっている。外惑星開発などでの肉体労働用になし崩し的に認められ、人間に対しては行ってはならないレベルの遺伝子改変も行われている。例えば複数の腕、脚をもつもの、あるいは水中、地下での生活を見込み四肢をヒレ状に変えられたものなど──。加えて性的サービスに特化したものたちも当然生み出され、地球圏連邦内では表向き禁止されてはいるが、特殊浴場、特殊マッサージ場などでのサービス用に認められ、個人用としても同種のサービスを提供するものとして黙認されている。

彼女が担当する宇宙開発関連の職種の斡旋では、そうした誤魔化しともいえる論理に行政の側が乗ってしまっている状態だった。ゆえにその話に入る際は、彼女の口調は重いのだった。

「次に支援ロボットについてのご希望をお伺いしたいのですが──」

「ああ、それはいいです。だってあれ、どう考えたって人間ですよね? 奴隷所有者になっていうのは、私にはどうも……」

格好つけてこういうことを言い出す男もいないわけではない。ただしこういう場合、行政の側にも言い分があるのだった。

「そういう実在論レベルでの議論には、逆に問題があります。例えばゼータ星系開拓団関連の判例、ご存じですよね? 宇宙開拓初期の開拓団だったとはいえ、その肉体強化のための遺伝子改変は法定限度ギリギリのもので、結果、第五世代以降その法定限度を超えてしまう遺伝的多様性を示す者たちが出て来て、彼らをヒトから除外してしまうことにもなりかねないという意見が出されまして──」

「それ主張したのって、確かロボット・メーカー側の弁護士でしたよね?」

ええそうですが、と続け、やはり彼女は、行政の公式見解を朗読するより他になかった。いや実際に、市のクラウド図書館にアクセスし、その判例文をほぼそのまま発声器官周辺に流した。

「……とっ、とはいえ、器質レベルでの見え方に拠ってしまうのも先の遺伝子レベルでの議論と同様の危険を有ていまして、現に地球では、ファッションとして、ウサギのような耳を生やしたり、ムササビのような皮膜をつけるひとたちが現われたりして──」

「でもそれは児童虐待に当たるって、確かオオサカ地裁が……。もう生まれちゃってるひとたちについては、どうなるんでしょうね? 存在そのものを否定されちゃったようなもんじゃないのかな……」


結果的に彼は、彼女の目論見通り木星へと旅立って行った。

またそこで殺処分寸前のネコの里親にもなったという。が……。

「彼が、紙のハードコピーを読んでるって? それに 3D プリンター用のペンのデータもダウンロードしたって? さらに紙ファイル用バインダーのデータまで……。いったい何読んでるの? 何書き込んでるの? 宇宙天文台のメインコンピューターも彼とネコとのプライバシーを理由に、監視カメラでのデータを上げてこなくなってしまって……」


彼は必ず、私のキャリアに、何か妙な関わり方をしてくるはずだ。必ず──。

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