第四走

「海まで行って、まだセンサーが赤のまんまだったら、いいかげん帰るからな」

「えー、次行こうよ、次。楽しいじゃん。楽しくない?」

「ンなわけないだろ」


 僕らはまだ薄暗い、朝の青白い空気の中を自転車二台並べて走りぬける。市街から離れるにつれ、国道沿いの自転車通路の幅もゆとりがでてきた。


「ねー、海まで後どのくらい?」

「スマホの電池やばいから、もう切ってる。おまえが地図出せよ」

「あたしの? 学校に置いてきちゃった。だってGPSついてんだもん。中学生になったら切ってくれるって言ってたのに、女の子でしょとかって、外してくれなくてさ。……あっ、まさかあんたの、GPSついてないよね!?」


 ウッと図星に喉が詰まった。


 実は、親がつけたままでいろってうるさくて、面倒だし、ベツに一人でどこ行くわけでもないし、機能付きのままだったんだ。だけど男子の間でGPS脱獄ってのが流行ってて、一緒にその操作を覚えておいてよかった。昨日の最初のコンビニで、僕の居場所は途切れてるはずだ。あいつらのおかげで僕はメンツを保てたらしい。


「標識、海だって!」

 ミナツの声に、我に返った。


 青い道路標識、直進する白い矢印の横に、「海岸行」の文字!


 僕らはマスクの顔を向け合う。

 ドキドキと心臓が弾む。

 ペダルを漕ぐ足を速くする。


「すっげ!」

「来たァ!」

 僕もミナツも、マスクの中で反響するほど声が大きくなった。


 ミナツは自転車をポイと放り捨て、堤防に駆け上がる。

「おい、自転車っ!」

 僕は仕方なく、あいつの自転車まで立て直してやって、自分のとアイツのと、ご丁寧に鍵をかけてやる。


 しょうがないヤツだなと呟きながら、僕もはやくあっちに行きたくて仕方ない。指先が震えてる。

 そうか。僕、もう来られるんだな。

 親に連れてってもらわなくても、自力で自転車漕いで、来られるんだ。

 心臓の鼓動が、急にリアルに感じて、なんだか怖いくらいだ。


「日の出だよ!」

 ミナツが叫んだ。


 つるりとした卵の頭がこっちを向く。

 あの卵を割ってやりたい。中身を見たい。今、ミナツはどんな顔をしてる?


 強烈にそう思ったら、自分のマスクすら息苦しくなってきた。

 酸素濃度のランプは緑で、決して酸素不足じゃないはずなのに。


 ――と、視界のすみっこのセンサーの警告灯が、


「あっ! ミナツ、センサーが!」

 僕は声をあげた。


 緑だ! ずっとずっとずっとずっと赤い色しか見たことなかったセンサーが、緑色に変ってる!


 ミナツは迷いなく、もぐようにマスクを脱ぐ。

 堤防に立ちあがった彼女の背中に、髪が風に揺れて元気に泳いだ。


「ひゃっほ~~っ!」

 ヤツは思いっきり、マスクを砂浜に放り投げる!


「ば、馬鹿! 壊れたらどーすんだよ!帰れないじゃんか!」

「ほら、太陽出てきたよっ! 見て!」

 水平線に手を振るミナツ。その嬉しそうに弾ける声の、澄んだ色。

 マスクの拡声器越しじゃない、ミナツの本当の声だ。


 心臓が壊れそうなくらい踊ってる。

 僕はミナツを追いかける。


 そして自分も後頭部の解除ボタンを押し込んだ。家に帰ってからじゃないと、押したことのないボタンだ。外では大人の許可がないと開くことのないボタン。


 それが本当に、ピピッと緑の光を明滅させて、作動した。

 紺色の卵の殻を脱ぎとって、思いっきり頭を振る。

 肌に叩きつけてくる潮風。

「うわっ、しょっぱい!」

「うん、しょっぱいね。風がしょっぱい」

「顔がすぅすぅするな。それに、まぶしい」

「うん、まぶしい。目が痛いよ」


 プラスチックガラスごしに遠かった景色が、今、鮮やかな輝きを放って、目に直接差し込んでくる!


 ――朝日だ!


 太陽が水平線から昇ってくる。

 僕は身体中に日の光の煌めきを吸い込んで、満たして、わけのわからないほど嬉しくてたまらなくって、叫びたくなる。


「すごいな、ミナツ! 朝日だ!」

「あんたが笑うとこ、初めて見た。あ、顔自体もかァ」

 ミナツは髪を片手で押さえて、隣に並ぶ僕に首を向けた。


 細められた三日月の――ちがう、ぎゅっと上まぶたと下まぶたに押されて、太陽の光の粒子みたいにきらきら輝く瞳。唇の両端に滲んだ、熱いような、胸がじんと痛くなるような色。


「おはよう、アサヒ!」


 金色の光の中で、ミナツは笑った。

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朝ヘ走レ あさばみゆき @asabamiyuki0327

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