第三走

 途中で自転車屋さんで空気を入れてもらったら、走りが軽快になった。しかしモニタリングセンサーは、ずっと赤ランプ。段々とビルが少なくなり、平屋の家が多くなってきた。景色が寂しくなるにつれ、陽も落ちてくる。


 だけどミナツは迷いなく、ペダルをこぎ続ける。


「……すっげぇ体力」


 先を走るミナツの長い髪が、背中でたなびいてる。

 セーラー服のえりに春の柔らかい夕陽が滲むのを、足を働かせながら無心に眺める。


 親に連れてってもらったその港は、今もさびれたままでいてくれてるかな。せっかくたどり着いて、センサーは赤ランプのままじゃ、ガッカリもいいとこだぞ。


 ひたすら筋肉痛と戦ってペダルを踏みこみながら、思い出す景色は、僕をふり向く、両親のつるっとしたマスクの頭。あの時もみんなマスクしたままだったよな。ランプは何色だったかな。緑だったか? 覚えてない。


 皆マスクが自分の顔みたいなとこあるし、マスクなしで外歩くのって、相当勇気いるよな。


 だけど僕が黙ってミナツについていってるのは、たぶん興味があるからだ。

 ――ミナツの、マスクの下の顔。


「あっ!」

 僕は叫んだ。


 指さした先に、マスクをつけてない猫が丸まってる。


「ノラ猫! すっご、あたし初めて見た!」

 思わず足漕ぎで近寄ると、猫はさっと草むらに逃げてしまった。

「なんだよ、残念」

「怖いんじゃない? だってあたしたちが撫でようとしてんのか、捕まえて殴ろうとしてんのか、わかんないじゃん」

「えー。オレ、動物には優しいのにな」

「だよね。あたしにも付き合ってくれるくらいだもん」


 ミナツはまた国道にもどる。手のひらで転がされてる気がするなぁと、僕は自分に溜息をついた。



 腹が減っても固形物を食べられないのは、育ち盛りには辛い。それにとっぷり陽が沈んだ。今から一人で帰れったって、絶対にイヤだ。僕はやけくそぎみにミナツを追い抜き、ぐんぐんと先へ進む。


 人里離れた国道沿いに、やっとのことで無人コンビニを見つけた。


「助かったぁ……!」


 僕らは同時に肩を落とし、筋肉ばなれ寸前の足を引きずって自動ドアをくぐる。

 エネルギー飲料、ココア、甘酒パック。

 栄養価の高そうなの選んで、自分で決済。またミナツが「三種のベリースムージー」を滑りこませてきた。


「オレ、来月の小遣いまで、残金百二十円になったんだけど」

 かわいそーと言いながら、ミナツは一番高かったスムージーのキャップをひねる。遠慮のないヤツめ。


 イートインコーナーの小さな席に並んで座り、摂取できるだけの糖分とエネルギーを補給して。朝日が昇るまでの、小休止だ。


 親は心配してるだろうし、シャワーも浴びたいし、コンビニの蛍光灯の青白い光が、やたらと寒々しいし。


 テーブルにうつぶせたミナツは、ものの一分で寝息をたてはじめた。

 セーラー服一枚のミナツの、華奢な首すじが寒そうに見える。

 マスクの温度調整機能って、支給品の学生マスクもそう変わんないよな? 心配になってプラスチック窓を覗き込む。


 閉じた瞼に、血管の青い線が、びっくりするような儚さで、透けて見えた。

 吸い寄せられるように指で触れそうになって、僕は慌てた。視界に指紋なんてつけたら、すぐバレる。


「……なんなんだよなァ」


 きっと帰ったら、親の小言でヒドイ目にあうって分かってるのに、それでもここにいる自分が嫌ではないのだ。


 僕はサマーニットのベストを脱いで、ミナツの背中にかけてやった。臭いかもしんないけど、どーせ僕のニオイなんて呼気吸気清浄機能でクリーンになるはずなんだから。

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