第二走

 はっ、はっ、はっ。


 息が荒い。

 さっきからマスク内酸素濃度の警告ランプが、視界の端っこで光ってる。


「ねぇ、どこまで行くんだよ!」

 先を行くあいつにまで届くように、マスクのボリュームを最大にする。


「さあ!? モニタリングセンサーが緑になるトコまで!」

「なんねーよ!」


 なんでこんな事になったのか、さっぱりだ。

 

 放課後、自転車置き場まで一人で来て。


 あんなメモ、告白されるのかって期待するだろ。

 ところがミナツは「あんた自転車通学だよね。じゃあ付き合って」と、僕がうなずくのが当たり前って顔で、ぼろっちいママチャリにまたがったんだ。


 ミナツは中学校から一番近い国道へ出て、後はひたすら真っ直ぐに自転車をこぎ続ける。僕はその後を追いかけるのみ。


 途中のコンビニで、カロリー補給のゼリー飲料を買った。もうとっくに夕ご飯の時間だし、できるならカラアゲくんを買いたかったんだけどな。


「すいません、長めのストローください」

 スマホ決済しようとしたら、ミナツが自分のぶんまでカゴに滑りこませてきた。

「おいっ」

「悪いねぇ、今度バイト代出たら返すよ」

 

 ミナツはビニール袋をさげて、先に出ていってしまう。


 決済してから慌てて追いかけたら、ミナツは車止めに座って、顎のボタンを一生懸命押しこんでる。

「開くワケないじゃん。監督権のある大人がいないんだから」

「あー、ウザッ」

 うめいたミナツは、僕が渡したストローを吸水口に突っ込んだ。


 僕も一個分離れた車止めに腰を下ろし、マスクのゴム弁にストローを差し入れた。毎度のことながら、唇の端をストローの先を突いちゃって、痛てっとうめく。


「さしたの? バカだねー」

「おまえのほうがバカだろ。金も持ってきてないとか、無計画すぎ」

「ねー。ホント、一緒に来てくれたのがあんたで良かった」


 褒められてんのか、からかわれてるのか分からない。僕は口をへの字にひん曲げる。


「で。モニタリングセンサーが緑になるトコって、何しに、どこまで行くの」

「さあ?」

 ゼリーを吸いながら、ミナツは肩をすくめた。

 僕は本当に唖然とした。マジにマジでの無計画かよ。


「だってさ、この学生マスク、大人の許可ないと自分の顔も出せないの、おかしくない?」

「……さあ」


 なにを幼稚園児みたいな事言ってんだと、僕は内心あきれかえる。ミナツってクラスでも浮いてるけど、頭の中も浮いてるのか? だって生徒が自分でロック解除できちゃったら、それこそミナツみたいなヤツが勝手にマスクを開けちゃって、世界が大変な事になるじゃないか。


 説明してやった僕に、ミナツは「世界はもうとっくに大変な事になってるじゃないか」と僕の口調をマネて、からかってくる。


 僕は苛立ちをこめ、ズゴッとゼリーパックの奥の奥まで吸いつくした。ゴミ箱に放り入れ、腰を持ちあげる。


「オレ、もう帰っていいだろ?」

「ダメに決まってんじゃん」 

「……なら、どっか目指す場所くらい決めろよ」

「汚染モニター機能が作動しないトコなら、ロック外れるんでしょ? じゃあ、過去三日間、人間が三人以上集まってないとこ? 海ぎわとか、森とか」


 なんてアバウトなヤツなんだろう。また瞳が不気味な三日月になっている。


 僕は頭の中に地図を思い浮かべた。うちの両親は自粛派だから、旅行に行くのはたいてい県内だけど、隣の県には海岸線があったはずだ。


 小さいころ、一度だけ連れていってもらったことがある。観光地でもなく、放置された小舟が置きざりになってる、寂しげな港だった気がする。その海だったら、この国道沿いにたどり着けると思うんだ。


「ここからなら、海かな。おまえと山行ったら遭難しそうだし」

「じゃ、それ!」

「おっまえ、ほんとテキトーだな」


 ここで逃げ帰ったら、この女に一生バカにされるにちがいない。魔女に魅入られたみたいに逆らい難い気分で、あきらめて自転車にまたがった。


「……なぁ、なんで誘うの、オレにしたの」

 カゴにリュックを放り入れるミナツに、僕はさりげなく訊く。


「だってあんた、あたしのコト好きでしょ?」

「ハアッ?」

「よーし、出~発!」

 思いきり顔をしかめてみせるけど、マスクごしに伝わるはずもない。なんなんだよ、と呟いて、僕は結局ミナツの後を追った。

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