名探偵五六七の知らない事件

十一

ワトソン役の受難

 名探偵の資質とはいかなる物か。

 まず頭脳明晰でなくてはならない。快刀乱麻を絶つ推理力は必要不可欠だ。

 次に洞察力。かのホームズは、ワトソンがアフガン帰りの医師だと初対面で見破った。わずかな手がかりをも見逃さない観察力があったからこそだ。

 しかし、それは必須だろうか。例えば、安楽椅子探偵は現場へ赴かず与えられた情報から犯人を突き止めてみせる。観察眼の入りこむ余地はない。むしろ、細大漏らさず記憶する能力を求められるのは、警察や依頼主などの情報を提供する側だ。

 推理に用いる材料さえ揃いさすれば入手法は問題とはならない。洞察力は必ずしも備わっていなければならない技能ではない。


 最低限、推理力があれば探偵には成れる。だが、名を冠するには、数多の難事件を解決と導かなければならない。

 そこで重要となるの事件を引き寄せる力だ。警察からの協力の要請、殺人を未然に防ぐよう依頼される、逗留した宿で惨劇に巻きこまれる。形はいろいろとあるだろうが、事件を引きつけるからこそ、名探偵はその推理力を存分に披露できる。

 死神と揶揄されるような暗い引力を名探偵は有している。五六ふのぼりさとるの助手として様々なケースに遭遇した経験から、私はそう直観していた。


 五六は事件においてのみその才覚を表す。普段の彼は、生活力に乏しく、私が世話を焼かなければ飢えてしまうような青年だ。だが、ひとたびスイッチが入れば、頭脳をフル回転させて瞬く間に事件の全容を究明してみせる。いわば、推理力はアクティブスキルだった。

 だが引力は違う。パッシブでなくてはならない。何もせずとも勝手に舞いこんでくるからこそ、数々の事例が彼の実績として積み上げられて来た。


 引力は今も働いているはずだった。

 だというのに、ここしばらく五六は名探偵として活躍できずにいた。

 

 ○


「先生、文字数稼ごうとしてませんか」

 背後からモニターを覗きこんでいた男が私を非難する。編集者のような言い草だったが、私の担当は女性で、こんな目出し帽を被った男ではない。


 とはいえ、編集にせっつかれるような窮地に陥っているのも事実ではある。名探偵五六七シリーズは『平屋ハイツの惨劇』を最後に刊行が止まっている。私は作家として開店休業状態だった。それもこれも、五六が事件に遭遇しないせいだ。

 新作を書かねばならなかったが、事務所を兼ねたシェアハウスにいても五六の面倒を見ているだけで一日が終わってしまう。これではいかんと、ポメラ片手に近所のカフェへと向かったものの、独力で探偵小説など書けるわけもなく、成果もないまま私はカフェを出た。

 その帰路。覆面をした二人組の男に襲われた。おそらく後頭部を殴られたのだろう。私はその場で昏倒した。


 そして、この殺風景な部屋で目を覚ます。コンクリートの打ちっ放しで、窓一つない。地下室だろうか。唯一の出入り口であるドアはフルフェイスをかぶった大柄な男が固めている。外部との連絡を絶つためか、スマホも取り上げられた。

 調度としてあるのは床に直接置かれたデスク一式のみ。先程まで私はその椅子に座ってポメラのキーを叩いていた。

 犯人の要求は、まさにそれだった。彼らは私の新作を所望していた。


「しかし、何を書けというのだ。読者なら、私が独力で推理小説を書けないと知っているだろう。現時点では、これまでの顛末くらいしか書けないじゃないか。確かにこれは事件だ。拉致監禁の被害者である私が保証しよう。だが、それだけでは駄目だ。解決があってこそミステリたり得る。伏線というのはそこから逆算して描写されるものなのだよ。この推理を成り立たせるためには、あの手がかりを提示しておかなくてはとね」


「さすが先生。まさにそれですよ」我が意を得たりと目出し帽が手を叩く。「必要なのは事件と推理。今まさに事件は発生中。そして、推理、つまり解決は約束されています。何故なら名探偵はいるのですから」

 名探偵五六七名は現実に存在している。彼が解いた事件を下敷きとして私は小説を執筆していた。

 無論、事実をそのまま記しはしない。関係者の名誉に関わる事象や、守秘義務などもある。トリックとロジックのみを抽出し、ゼロから背景を組み立ててた作品も中にはあった。

 そのため、小説内の手がかりが現実に即したものであるとは限らない。推理を補強するために追加したりもする。小説の執筆においては、推理によって伏線は存在させられていた。


 推理があればプロットはできる。

 だが、肝心の推理はどこに。

 目出し帽の男の口ぶりから五六を信じているのが察せられた。彼の頭脳を持ってすれば、この場所を特定するのも容易だろう。駆けつけた彼から推理を聞き出せば、私はそれを元にしてプロットが組める。新作の目処が立ち、犯人も目的完遂。私と五六が口を噤めば警察沙汰にもならない。誰も傷つかない大団円。 


 その結末は、五六のスイッチが入らなければ訪れない。はたして彼は事件だと認識しているのか。私の不在には気づいているかもしれないが、それを単なる外出と捉えていたのなら。


「大丈夫です。名探偵はワトソン役のピンチに颯爽と助けに来るものですよ」

 悄然とする私を見兼ねたのか、目出し帽が慰める。


 彼の台詞に私は同調した。私もまた五六の力を疑ってはいなかった。私の直観は彼がやって来ると告げていた。

 だからこそ、思う。

 いつだって私の直観は外れる。


「名探偵には引力があると私は直観した。だがどうだ。実際に攫われたのは私じゃないか。事件に遭遇しなければ解決はできない。しかし、それ何も五六でなくとも良かった。彼の側には相棒としていつも私がいた。彼ではない。私こそが引力の主だった。この誘拐が証明している。いつだってこうだ。私の推理は決まって外れる」


「全部?」

 驚きの声に私は「あぁ」と首肯しなければならなかった。

「まさか」目出し帽は顎に手を当てて呟く。「そんなことが」


 そのときだった、着信があったのは。画面を確認した目出し帽が「先生、出てください」とスマホを手渡してくる。

 液晶には「五六七」の文字。


「辻君! 事件だよ、事件」

 スピーカーモードに切り替え私は安堵のため息をつく。これで、この部屋の扉が破られるのも時間の問題だ。

「すぐにキミも現場へ来たまえ」

「現場? 何を言っているんだい五六」

「だから事件だよ」焦れたように彼は繰り返す。「事件だ」


 目出し帽と顔を見合わせる。フルフェイスもこちらを振り向いていた。彼らが殺人に関与していないのは反応から明らかだ。


「待ってくれ。誘拐じゃないのか」

「誘拐? そんなものは知らない。ともかくキミもこっちへ来てくれたまえ」

「私が行ってどうなる」

「キミがいなければ誰が事件の記録を取るというのさ」

 五六は現場の住所を教えると電話を切ってしまった。


「とりあえず」目出し帽が大仰に手を広げる。「これで先生はここから出られます」

 殺人が発生したとあっては、今更こんな狂言じみた誘拐で五六を釣る意味はない。

「何故五六が事件に? 引力は私にあったのでは」

 浮かんだ疑問を私は口に出していた。応えは誰からもない。


 犯人には開放する意思がある。こんな場所に残る理由はない。

 さあ、五六の所へ。そここそが私のいるべき場所ではないか。

 そう思う反面、事態の飲みこめなさが、私を椅子に釘付けにしていた。


「先生」

 ふいに目出し帽に呼ばれる。

「もう一度確認します。本当に直観が当たったことはないのですね」

 私が首を縦に振っても、尚も彼は「それは現実でですよね」と念を押した。

「だとしたら何だと」


「直観が全く当たらないなんてあり得ますか。先生には名探偵の推理を理解できるだけの頭があります。推理から遡って伏線を張ることもできます。論理的思考ができるわけです。作家としてミステリに対する造詣も深い。名探偵と共に場数だって踏んでいます。そんな人間の推理がことごとく間違うなんてありますか。不自然だとは思いませんか?」

「事実は事実だ」


「何故、名探偵五六七は事件を呼びこめなかったのか。何故、急に殺人事件に出くわしたのか。どちらにも先生の直観が関わっています。名探偵には引力がある、引力があったのは先生のほうだ。そうと考えた時、結果は真逆になりました。つまり、直観が正反対の結果を生みだしたのです。一度も直観が的中しなかったことにそれで説明がつきます。いえ、そうでなければ筋が通らないのです」

「荒唐無稽な」

 一笑にふしてしまいたかったが、どこかで納得している自分がいた。

 ワトソン役の推理によって真相が暴かれてはいけない。それは名探偵の役割だ。

 名探偵が名探偵であるためには、私の推理は正解してはいけない。

 だから、私の推理は真相でなくなる。

 現実が書き換わる。


「だとすれば、私の存在は、私の推理は、悪戯に事件を掻き回しているだけではないか。私は邪魔ではないか。私などいらないではないか」


「名探偵には正しさが求められます。けれど、それは誰が保証するというのです。真犯人がいないとどうして断言できるのですか。あらゆる可能性の検証はできません。いつだって別解の可能性は残り続けるのです。しかし、先生の直観はそれらを打ち消すことができます。もちろん、全てとはいかないでしょう。けれど、先生が間違えれば間違えるほど名探偵の推理の精度は上がっていきます。逆説的に先生の推理によってその正しさが担保されるわけです」

 そこで一旦言葉を切り、彼は目出し帽を脱ぎ捨て素顔を晒した。


「それにですね、先生。僕は先生の小説のファンなのです。名探偵五六七のではありません。僕が愛して止まないのは先生の文章で綴られる探偵譚なのです。先生の文章によっと切り取られた五六七というキャラクターなのです。先生がいるからこそ、彼は生き生きとしているのです。だから、自分が要らないなんて悲しいことおっしゃらないで下さい。辻すべる先生」

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