第7話


 夕陽が照らす金色の光に染められた草原の向こうには光を映すようにひろがる湖。これから沈みゆく太陽が光の色彩で彩る魔法みたいに美しい空。やがて訪れる夜の闇の前に、ひととき光の色彩で美しく世界を染め上げていく。告別の贈り物。

 湖の見える丘に聖一さんと二人で立って、夕陽をながめていた。少し強い風が吹いていた。雲が流れてどんどん形を変えていく。湖を吹き渡る風が湖面を繊細に揺らして光をね返し、水面の上で光が細かく振動して踊っているように見えた。

 聖一さんと一緒にここから向こう側の風景を眺めていると、いつも不思議な気持ちになる。痛いような郷愁きょうしゅうにいつも心をつかまれる。かえりたい、帰りたい、かえりたい──でも一体どこへ? わからないのに、とにかく還りたくてたまらなくなる。彼が隣で手をつないでいてくれている分、少しは気分が楽だけれど、でもこの気持ちはどうしようもない。自分でもどこに還りたいのかわからないのに、そこへかえりたい。

 痛いようなノスタルジーに心を掴まれるようにしていたら、隣で彼が私を見つめていた。そして私と目が合うと少し微笑んでまた前を向いた。


 いつも旅先にいるような、寄るの無い、流離りゅうり感のようなもの。漂泊ひょうはくする魂の孤独。その自分が自分であるがゆえの根源的な悲しみやしんとしたさびしさのようなもの──そんなものが、私と彼をつなぐものだったような気がする。実際には私にも彼にも帰る家もあり家族もいて愛されて育ってきたというのに、それでもいつも寂しかったし、いつも帰る場所をもとめていたし、そこへかえろうとしていた。誰かといても笑っていてもいつも寂しかった。愛する人もいるというのに。そのひとがそのひとであるがゆえの孤独というものはあると思う。周囲の状況や環境の条件に関係なく、それはもっと根源的な孤独で、彷徨さまよう魂の孤独のようなもの。故郷を遠く離れて流離さすらう魂の孤独だと思う。幼い時からもうすでにそれは気づいたらあったし、何処どこに誰と居ようともいつでもそこにあるものなので、それはもう人生の旅の仲間のようなものだけれど、それをいつもひとりで抱えて歩いていることに自分でも気づいている、どこまでも一人──そうして生きていくことに自分でも気づいている、そこが彼と私を繋ぐものなのだと思う。


「自分が自分として生きていくことそのものから誰も逃げることはできないんだよ。誤魔化ごまかしたり幻想の安心を一時的に得ることはできたとしても、それを失った時の苦しみといずれは向き合わなければならない。自分の道を、自分の足で立って、歩いて行くしかない。そうして初めて本当に魂の仲間として協力ができるようになっていくんだ」

 彼はそんなことを話していた。


 私はどちらかといえば、ものすごく頑固がんこで意地っ張りのかたまりみたいなところがあって、そんなにひとの話を素直に聴くようなタイプではない。そんな私に根気よくつきあうようにして彼が色々なことを教えてくれたので私は彼の話を素直に聴いていたのだと思う。その根気の良さとは何も延々と私に付き添うとか話し相手になるとかではなく、ときには無礼で露骨な私の反発心や口答え、むき出しの感情にすら、彼が常に一定の姿勢を崩さなかったからだと思う。余計な誤魔化しがない。余計な甘さも辛さもない。揺るぎない静けさと、落ち着き。そして礼節をもって、逃げたりひるんだりすることも一切なく、真っ直ぐに私の心に入ってきたからだった。彼のその姿勢が、私にとってある意味で理想の在り様だったのだと思う。どこまでも広がる夜の砂漠を一人で歩くような道のりを、遠くから輝き導く星の光のようなものだったのだと思う。




 沙羅さらと一緒に入った美術館でばったりと静香しずかさんと会った。偶然の再会にお互い驚いて、美術館に併設されているレストランで静香さんと一緒にお茶を飲んだ。ご主人のお母様が亡くなられたので急きょ帰国しているそうだ。それでついでに自分の父親の墓参にも行ってきた帰りとのこと。彼女のご主人がこの画家の絵が好きなのでここに立ち寄ったと美しい色彩の絵はがきを見せてくれた。

 沙羅には以前にあったことを少し話してあったので、簡単な自己紹介をして静香さんの名前を聞いただけでぴんときたみたいだった。

 暖かい陽射しがガラス越しに注ぐテーブルについて、テラスの向こうにあるハーブ園を一緒に眺めた。水まきをした後なのか、植物たちはしずくを光らせて瑞々みずみずしく輝いていた。

 何の話からそうなったのかもう忘れたけれど、窓の外を眺めながら静香さんは言った。

「小学生の時に仲良くしていた友達にれん君という同じ年の男の子がいて、親同士が仲がいいのもあって彼はよく家に遊びに来ていたの。蓮君は体が大きくて言葉は少し乱暴だったけれど、気持ちの優しい、とてもいい子だった。男の子らしくてその年でも紳士的なところもちょっとあった。でも蓮君にはプライドが高いところがあって、妹はそれが気に入らないのか、よく彼のそのプライドを打ち壊そうとした。わざとおとしめることでそこにヒビを入れて、自分の要求を通す入り口にしようとしていたのね。

 あるとき妹は蓮君のことをとても怒らせた。あまりに彼の怒りが凄くて、彼は身体が大きいから大人でも止められないほどで、妹は殺されると思ったのかトイレに閉じこもって出てこなかった(笑)。蓮君はかなり長い間トイレの前で出て来いとか色々と怒鳴って壁やドアをドンと突いたり蹴ったりしてそれはもう大騒ぎしていた。

 妹はそれを後に自分がしたことはまるでちょっとした可愛い悪戯いたずらだったかのように笑い話にして周囲に語っていたけれど(確かに笑い話ではある)、でも本当はそれはちょっと違うと私は今でも思う。

 蓮君が怒るのは当たり前だと私は思っていた。私だってそれをずいぶんとされてきていたし、小さい頃からずっと、本当に殺してやりたいと思うほどに不愉快な思いをさせられても、私はお姉ちゃんだから、ということで、それでも妹を理解して受け入れるように思いやりや優しさを持つように、親からずっと抑えつけられ続けていたのでもうあきらめのような気持ちでいるようなところはあったけれども、蓮君は他人だし、別にそこまで陰湿な嫌がらせをされてまでも妹の面倒をみる必要なんてないから。

 蓮君は確かにプライドが高かったけれど、でもそれは彼自身の心のきれいさとか高潔さとも一緒になっているもので、持って生まれた魂の気高さとか綺麗きれいさとか、何かそういったものにも関わるようなものみたいだった。小学生の男の子にでもちゃんとそういうものがある。自尊心は大切な尊いものだわ。決してそれは反抗的で良くないもの傲慢ごうまんなもの我儘わがままなものなんかではなくて、たとえそういう側面があったとしても、それは関係性からくるものだったりする事が多い気がする。全部が全部そうではないかもしれないけれど、少なくとも健康的な意味での自尊心はとても大切なものだもの。自他の感情に境界線をきちんと引いて思考を機能させる能力にも関係している大事なものでもあるし。

 けれど、妹はそれが気に入らないのね。母にもそういうところがあった。まるで自分よりも下か同等に貶めないと気が済まないみたいなところがあった。そうした在り様を認めたくないみたいで、それを陰湿なやり方で何とか打ち壊そうとする。陰湿で巧妙なあの手この手を使って、その境界の壁にヒビを入れて、そこを自分の要求を通すための入り口にしようとするだけではなく、その人自身のプライヴェートな領域にまで土足で侵入して支配したり操作しようとするような、異常といってもいいほどに強引で執拗しつようなところがあった。

 父が亡くなったことを父の学生時代の友人だった人に知らせた時に、その人は父のことを、プライドが高くて高潔な人だった、と言ってくれたんだけれど、私は父のことを理解してくれていた人がいたことにちょっとほっとした。晩年の父は、本来のその精神性の核は残っていたけれども誤解されていて、逆にそれが最悪の形で作用してしまうような悲劇に呑まれていくようで、まるでどうしていいかわからずに混乱の渦に押し流されて呑まれていったように思える。

 母や妹のような人たちとずっと関わり続けていたら、私もそうなっていたかもしれない。父のような死に方をしたくなければ、今後一切関わらないことだ、と自分でも思っている。たとえ相手にどんな事情があろうとも、一切もうそこに耳を貸す気はないの。

 血のつながりだけで家族や共同体の仲間としてやっていけるとは限らないし、それが何よりも大切な濃い絆というわけではない。結局は人と人との関係なので各々の個人としての在り方や関係の持ち方次第で、血縁関係よりもその人自身の在り方、関わり方の方が重要なものなのだと思う。自分の母親が亡くなるよりも主人の母が亡くなった方が悲しい。とてもお世話になったしよくして頂いたから」

「お母様も亡くなられたんですか?」

 私が尋ねると、

「まだ生きてる」

 静香さんは笑った。たとえで言っただけ、と。

 沙羅は何となく視線を伏せて紅茶のカップを手で包むようにして持っていた。

「よくわかります。でもそういうものだときちんと心も体も理解するまでにはちょっと時間がかかる気がします。特にその相手に世話をされ育ててもらったという背景があれば、それがどんな関係であっても自分を構成するものとして既に組み込まれてしまっていて、その中にはいい記憶もあったりする。それがほんのわずかでも沢山あっても愛の記憶自体は消えないから、今も愛情があるとかは一切関係なく、心や体に刻み込まれた記憶に引き留められたりもする。そこを本当に振り切っていくには時間もエネルギーもいる」

 静香さんは沙羅を見つめていた。

 そして言った。

「本当にそうね」

「頭で理解するのとそれを心や身体のレベルでも理解するのとでは次元が違っていて、その分、自分の中にあるいくつも次元を統合していくだけの時間がかかるような気がします」

「面白いこと言うね」

 私が言うと、沙羅は

「だって本当にそんな感じなんだもの」

「家族って人間関係の縮図だから、その共同体や集団の問題が、より具体的に切実に自分に迫ってくるようなものでしょう? その中に自分自身も関与していて、自分自身の在り方も関わり方も切り離すことができない構成要素になっている。その混沌こんとんとした生命同士の濃いスープの中でしか学べないことがあるのかも知れない。だからと言っていつまでもそこに関わっていなくてはならないというわけではなく、結局自分次第なのよね。たぶん。そこから自分に必要な知識や智慧を学び取り卒業していくのも、惰性だせいやしがらみでそこに留まるのも。それが安定した帰属感をもたらすバランスの良い健康的な関係性ばかりではないから、一概いちがいに家族や血縁関係が良いもの絆が深いものだとは言えないし、そこに関わり続けることも本人にとって本当に必要か適切かどうか、ということなんだけれど、なかなか思い込みや刷込みのようなものの潜在力も強くて、そのいくつもの呪縛や封印を解いていくということは、あなたの言うように、結局は自分自身にあるいくつもの次元に渡って呪縛や封印を解いて統合していくことにもなるのかもしれない。それだけ深いレベルで全身全霊を使っての成長の機会にする事も出来る」

「そう、そうなんです」

 沙羅は目を上げて静香さんを見た。二人はしばらく目を合わせていた。

「それぞれに課題を抱えている生身の人間が集まって切磋琢磨せっさたくまする、そういう生命の濃いスープ、混沌。でもそこから自分として、個として、自律した存在として立ち上がっていく必要がそれぞれにあって、その分化の過程そのものがその人自身を自分で創り上げていく。その人自身の人生を自分で創り上げていく。そうした機会でもあって、それは大きな意味では、もしかしたら恩寵おんちょうや祝福のようなものなのかも知れない。そんな感じがします。どうとらえるかはその人次第だけれど」

 私は何となく沙羅らしいなぁ、と思っていた。

 彼女自身の核であるところの基本姿勢は、何があってもぶれないからだ。

 それは外側からも内側からも揺すられて翻弄ほんろうされることがあったとしても、結局は、という問いへのを、より鮮明に浮かび上がらせていくものなのだと思う。

「自分自身の感情の面倒は自分でる。自分の責任を自分自身でとるということには、何か外側にある物事、関係する相手の問題に関与し続けてことも含まれるのだと思う。必要以上に相手の面倒を看たり世話をする事で相手の領域に干渉していくこと自体が、自分自身の感情の面倒を自分で看れていない、他者との関係を使ってそれを何とかしようとしている、ということなのだと思うのだけれど、家族だとそれが分かりづらい。社会でもそれを推奨したり義務として要請しているのもあるけれど、そういった思い込みや刷込みを脱して現実をありのままに見ていく、状況を識別していくには、やっぱり時間はかかる。そしてその分、その間に互いに与え合う影響も大きく切実なものだったり深刻なものになったりもするけれど、それだけ間近で見れるということでもあるのよね。直接知として体感して経験することで学んでいく。成長したい学びたい探究したい、そういう深いところからくる魂の望みに対しての祝福とか恩寵のようなものなのかも知れない」

 互いにうなづき合っている二人を眺めつつ、私もちょっと口を挟んでみた。

「混沌からの分化の過程って、要は自律性をもった一人の人間として成熟していく過程?」

「そう、その通り」

 沙羅が頷いた。

「自分自身の感情についても自律性を保つ、ってけっこう大切なことなんですね」

 私がそう言うと、静香さんは頷いた。

「共感とか優しさとか思いやりとか協調とか、社会で推奨すいしょうされている道徳的な徳目が逆に分かりづらくさせている側面もあるんだけれど、物事って当たり前だけど一面だけではないでしょう。でも根強い善に対しての信仰みたいなものがあって、それを絶対的に良いものとしてあまり疑わない人も多い。思考停止していて、一律にそれに適応させればいいと思い込んでしまっている場合も多い。そうするとそこを温床にして蔓延はびこるものもある。

 自分自身の問題を他者の問題と融合ゆうごうさせ、巻き込み、その関係性や集団に溶解ようかいすることで、本来の自律性を持った自分自身の問題/自分自身の感情に対しての責任も放棄してしまう。責任転嫁してしまう。そしてより複雑にしてしまう。大きくしてしまう。少なくとも家族という人間関係の縮図の中から私が見てきたものはそうだった。

 個々の感情や意思は自由に表現される必要はあるけれど、少なくとも自分は自分の感情としてきちんと自律して在るのであれば、団子状からペースト状になって関係性や集団の中に溶解してどんどん余計なものを付着させ、飽和ほうわさせてしまうことは防げるのではないかしら? 

 共感というものの悪しき側面も、もっとちゃんと見たほうがいいと思う。共感が権力をもつこととイコールになる。集団の持つ深刻な問題にはそれがたいてい関わっている。個として自律して在ることが、戦争のような大きな悲劇を防ぐ一番の近道なのではないかしらって思うの。

 個として自律して在るということは自律した状態で協調性や関係性を機能させることもできるということだし、優しさや思いやりや共感を否定するものでもない。ただ従来じゅうらいの価値観でつくられてきたものとは違った様相ようそうにはなるとは思うけれど。

 それは必ずしも分断や断絶を意味しないのよ。それも含めての、もっと大きな、寛容で、自由な、緩やかな協調関係や共同体としての在り様を見出していく手がかりになる可能性があるものなのではないかしらって」

いじめの構図とかにもそれがありますよね。集団で犠牲の血を求める情動や衝動に溶解していく。個々できちんとそれに対して責任をとろうとしないでべったり融合して襲いかかって祝祭を楽しむようなところ。その変性意識での快楽を楽しむようなところ」

「戦争ってまさにそんな感じなんじゃないの」

 沙羅が言った。

「そうだね。あまり表には出ないけれど、戦争体験者には戦争は楽しかった、という意見も実際にはあるよね」

「社会の中で推奨されている道徳徳目や善への信仰が真実を見えづらくしている側面はやはりあって、それを全て否定はしないけれど、それがあまりに大きく完全なものかのように表にあるので陰になって見えなくなってしまっている部分にも自覚的になることは大切な気がするの。そしてそのヒントはの中にある」

「なんだかよくわかります」

「私も」




 かいは淡々と自分の問題に対処することにしたようだ。迷いの中で傷ついてどこか逃げ腰だった事に覚悟を決めてあたることにしたことで、彼は彼自身の在り方をどこか深いところから変えた。自分で自分の身を守ることに対しての罪責感を振り切ったみたい。私に軽蔑されるんじゃないかとか言いながら、実は自分が自分のことをそう思って責めていたのだ。そしてそれが彼の致命的な弱さになってもいたのだ。彼はとても大人びた。静かにどこか深いところから物事をじっと見ているようなところは以前からもあったけれど、そうした老成した雰囲気が前面に出てきて、落ち着いた神秘的なムードをもった一人の成熟した大人の男性のようになっていた。

 気づいたら私を静かに見つめていることがよく合った。

 目が合うと優しく微笑んでくれる。

 少し距離をもって見つめていたり、そばにいたり。なんとなくいつも穏やかで静かだった。ぐっと距離を詰めてくるようなちょっと息詰まるようなところはなくなった。もっと静かで落ち着いたちょうどいい距離感。どこか安心するような雰囲気で見守っていてくれる。

 彼は両親に私とのことや瑤子さんの彼氏のことや、自分が考えている事など全部腹を割って話した。そうしたら彼の両親が全面的に海をバックアップする方に回ってくれて、一転方向転換することになった。両親の理解も得て弁護士さんに依頼するなどの現実的な対処もトントン拍子に進んだ。

 私たちは互いの両親に付き合っていることを今までずっと内緒にしていたので、海の両親はすごく驚いていたみたいだ。

 結果としてはばれてよかったのかも。

 季節が変わっていき、何となく静かに毎日が流れていった。

 


「何であんなに義理や忠誠心のようなものに縛られていたのかなと思うけれど、どこかで自分で覚悟を決めてしまったら、そこからは自然に解けていったみたいな気がする。もうどうなろうと自分ができることをしていくだけだって。今となっては、なんであんなに背負い込んでいたのか、自分でもよくわからない。それは自分にとってたいして必要でも大切でもないもの、守るべき価値のあるようなものでもなかったのに、自分を守ることを犠牲にしてまでも守らなければいけないようなそんな気がしていたんだ。周りに瑤子ようこのことを悪く言うような事をしてはいけない気がして、事実として伝えておく必要があることすら黙っているべきのように思っていたんだ」

 海はそう言って私に謝った。

「自分でよけいなものを背負い込んで苦しくなっていたようなものなのに、守るべきものを間違えていて、本当に守るべき相手にその負担を背負わせてしまった。実際に俺がしていたことは、神奈を犠牲にして瑤子の名誉を守ろうとしていたようなものだし」

 そう言われると何となく腹が立ってくる。面白くないな。むかついてきた。

 海は私をまっすぐ見つめながら言った。

「怒っていいよ。実際神奈かんなに甘えて酷いことをしていたんだし」

 私は彼を見つめた。

 何だか覚悟を決めた殉教じゅんきょう者みたいなかおしている。

「そのときは私を犠牲にしてでも瑤子さんを守りたかったってことだよね?」

「そうじゃない。でも、実際にはそういうことをしてしまっていたから、そう思われても仕方ないんだけど。自分の中で勝手に創った規制に縛られていて、でも自分でその自覚がないから、自分でもどうなっていくのかわからないしどうしていいのかもわからない、そのまま目の前で神奈のこともどんどん失いかけていてどうすることもできない、不安や怖さだけがふくらんでいったみたいな気がする。それを力づくで追い払いたかったんだと思う。でも実際に俺がしたことは、神奈を力づくで押さえつけることだったんだ」

 できるだけ淡々と、冷静に、そういう感じで海は私に答えていた。視線を伏せて、内側に沈み込むようにして。可能な限り自分の内奥ないおうを見つめてさらけ出すように言ってくれているようだった。

 それが彼なりの誠意なんだな、と何となく私は思った。

「他にも訊きたいことがあれば、自分でわかる限りはちゃんと答えるよ。むしろ訊いてほしいんだよ。そうじゃないとちゃんと伝えることもできないから。わかってほしいというより、ちゃんと伝えられるうちに伝えておきたいんだ。後悔するのは嫌だから」

「もうないよ。思いつかない」

 私がそう言うと、海はわかった、と言った。

 私は何となく沙羅に言われたことを思い出していた。

「沙羅が私に言ってくれたの。大きく見せることも小さく見せることもしなくていいんだって。罪の意識に縛られてこうべを垂れてひざまずいて祈り続けなくてもいい、ただ自分の歩いて行きたい道を等身大で楽しんで歩いて行けばいいんだって」

 海は私をじっと見ていた。

 それから言った。

「自分にそれを許すことは神奈にも許すってことだから、何となく複雑な気持ちだ。どこかで自分で自分を縛っていた方が気持ちが楽みたいなところがあるのか、単に神奈を縛っておきたいのかわからないけれど」

「罪の意識に縛られていたいの?」

「たぶん。そうしておけば安心するのかも」

「へんなの」

 私がそう言うと、海は私を見て言った。

「あまり自由になりすぎるのは不安なんじゃないかな。自分だけではなく、相手にもその自由を認めるってことで」

「でもそれでは、自分も不自由なんだよ?」

「でも安心はする」

「安心したいのはわかるけれど、それと引き換えに必要もないのに罪の意識に縛られ続けるなんて、自分で自分を不幸にするものでしかないんじゃないの? それってデメリットの方が絶対大きいよ」

 海は黙った。

 なんか考え込んでいるな、と何となくわかった。

「全然保障になってないよ。バランスが悪すぎるもん」

 私がそう言うと、海はちょっと吐息をついた。

「神奈の言うことはわかるけれど、たぶん、人間ってそんなに変化を受容できないんじゃないかな。できるだけ今の状態を保ちたい。特にそれがうまくいっているのなら、なおさら。そうして安心していたいんだよ。何が起きるかわからない不安な状態にずっとさらされているくらいなら、不自由でもいいから自他共に縛りを掛けておきたい。それが罪の意識の形であろうと何らかの決まりだろうと、同じ。規制をすることで安心を買うのには、収支のバランスはあまり関係なくて、むしろアンバランスでも構わないものなのかもしれない。たぶんそれが幻想であってもそれに頼りたい気分があるからなんじゃないかな」

「でも幻想は幻想でしかないから、いずれムダなものだったってわかるときがくるよ? そしてそのときになって、自分の人生の時間やエネルギーをそのせいで既に消耗していて、残り僅かになっていたらどうするの? その方が後悔するんじゃない? 人生の時間もエネルギーも限られているんだよ? 意味もなく自分の手足を縛ってそれを無駄にしてどうするの? どっちにしろ、いずれ自分の道を、自分の足でひとりで歩いて行かないといけなくなるんだよ?」

 海はちょっと口もとを引き結んだ。

 そして言った。

「神奈は一人で歩くこと前提なの?」

「一緒に歩くことはできても、自分の道と相手の道がいつまでも一緒だとは限らない。自分の道だから自分の道なんだよ。同じようにも相手にも相手の道があるんだよ。それに、自分の道を自分で歩くことから逃れることはできないよ。それが早いか遅いかだけで、いずれはそこにひとりで立たされるんだから」

 海は私をじっと見て言った。

「神奈はそう思っているってことだよね」

「そうだよ」

「神奈の言うことの方が真実なのかもしれない。でもむき出しの真実にさらされているよりも、一時的にでも不安から逃れたかったり、安心したい気持ちは理屈じゃないんだよ。本当はいつ何が起きるかわからない、どんな条件だろうとそうだけれど、それをいつもいつも意識していることで神経がり減るくらいなら、一時的にでも幻想でもいいから安心していたい」

 私は口を引き結んで彼を見つめた。ちょっと怒っていたのもある。

 このに及んで何を甘いこと言っているんだ。

 全然海らしくないじゃないか。

「でも、海は、以前言ってたよ。死んでから後悔するのは嫌だなって。それくらいなら、一瞬先が闇だってことを忘れないでいたいって。それが平常だっていうくらいにしっかり腹決めして生きていく方がいいって、そう海が言っていたんだよ。あの時の海はどこにいってしまったの?」

 海の周りの空気が一瞬、変わったのがなんとなくわかった。ぴりっとした清冽せいれつな空気。目が変わったのだ。それは奥から光るような眼だった。何だか瞳にこもる力がぐっと強くなったような。口元も怒ったように強く引き結んでいる。

 それからはあ、と大きく吐息をついた。

「なんか、情けないな。すっかり忘れてたよ。でも思い出した」

 意志の強そうな瞳で苦笑した。

 冷静でも優しくても本当は負けん気の人一倍強い子供の頃の海の目だった。ぐっとエネルギーを凝縮ぎょうしゅくしたような、底で何かが光る眼だ。ぐっと瞳の力で圧してくるような、物怖ものおじしない眼。真っ直ぐにぶつけてくる強い眼差し。

 あ、なんか、戻ってきた。

 私はちょっとほっとして笑った。

「よかった。思い出してくれて」

「なんか、目覚ましのびんたをくらったみたいな気分だ」

 言って海は笑っていた。

「目が覚めたならよかった」

「本当にすっかり忘れてたよ」

「思い出したんだからもういいんじゃない?」

「うん、何でぐずぐずになっていたんだろう。一瞬で景色が切り替わった」

「幻想の安心って麻薬みたいだね。いつの間にかそれに耽溺たんできさせられてしまう。気づいたらもうそうなっている。そうして麻痺させて本来のその人の力を弱めてしまう。本当に生きていく為に必要な、野生の力や感覚を弱らせてしまう」




 結論から言うと、海の一連の問題は思わぬ展開で終了を迎えた。カギになったのは、あの名刺だった。念のために弁護士さんに預けて弁護士さんの方から相手方に連絡を取ってもらったところ、相手が自分の子どもだとあっさりと認めた。離婚協議中なので表沙汰にはできないけれど、将来自分の子として籍に入れる意思があるとのことだった。何故瑤子さんが海との子どもだと言い張ったのかはわからないけれど、不倫関係がばれそうになっていて、相手の奥さんから訴えられそうになっていたことも関係あるのかも知れない。

 海が自分の問題に本腰を入れて当たる覚悟を決めて当たったところ、思わぬ展開で解決をしたみたいな感じ。でも、もしかしたら彼女は彼女なりに海に本気だった可能性もある。海自身も始めは割り切っていたつもりでのめり込んでいたわけだし。いずれにせよ、彼女からの要求は取り下げられて、そのまま和解も何もなく事件が終了した今となってはわからないことだけれど。



 海と私の関係はその後もしばらく続いたけれど自然に道が分かれていった。互いに新しい扉を開いて、それぞれに次のステージへと向かったわけだ。

 当時の友人たちや親しくしていた人たちはみんな今では遠いところに行ってしまった。海外へ行ってしまった人たちもいるけれど、その独自の人生を他の人よりもずっと駆け足で鮮やかに駆け抜けていった人たちもいる。



 あの日夜の公園で沙羅が私に言ってくれたことをたまに思い出す。

 ──私たちは仲間だけど、だからこそみんなそれぞれの道を歩く

 本当にその通りだった。

 ひととき互いに協力し合って、

 そうしてそれぞれの道へと、それぞれに新しい扉を開いていったのだ。




                                      triangulate 終章  完

                                   




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triangulate 終章 1 天水二葉桃 @amamihutabatou

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