黒髪の巨乳教師を盗撮したらバレてしっかり指導された話

ろん

第1話




「11世紀後半、小アジアの覇権を奪われたビサンツ帝国は、聖地エルサレムの奪還に向けてローマ教皇に協力を——」


 透き通るような声が、ややかったるそうに教科書を読みあげる。咳ばらいひとつ聞こえない静寂は、その場にいる生徒たちの研ぎ澄まされた集中力を物語っていた。


 午後の陽が左手から射し込み、彼らが目の前に広げているまっさらなノートを輝かせる。授業開始のチャイムから三十分——いまだ誰もその上にペンを走らせようとしないのは、全員が記憶の達人だからでも、塾でその内容をすでに終えているからでもない。


理由はただひとつ、ここが県内唯一の「男子校」だからだ。


「んっ…」


 話が一段落したところで、先生は教科書を教壇に伏せ、上に伸びをした。小さく吐息が漏れ、白いニットが弓なりに引き伸ばされたのも束の間、紺色のジャケットの袖から露わになった細い手首は、その何倍も艶やかな白さだった。


 うかつに生唾すら呑み込めない静けさの中、生徒たちの視線は彼女の胸元に集中する。天に与えられたと表現するほかない膨らみに布地の大部分を持っていかれたニットと、上着とセットアップになっている大胆なショートパンツとの国境は、実に危うい。


「今日やるところはテストに出すからね。選択式だから簡単だと思うけど」


 再び教科書を取り、先生は教室内をまわり始めた。黒いストッキングに覆われ、パンプスから遠ざかるにつれて程よく肉づいた脚が、教壇の陰から現れ、発育の盛りにある男子の群れをゆっくりと横ぎっていく。


「その後開かれたクレルモン宗教会議で、ローマ教皇・ウルバヌス2世は何かを派遣することを決定したんだけど……森下くん、わかる?」


 窓枠に肘を置いて油断していた彼はびくっと身震いし、すぐさま前のめりになって真っ白なノートを隠した。その後、焦ってページをさかのぼろうとする教え子を前に、先生は溜め息をつく。


「まだ授業でやってない所なんだから、前のノートを見ても仕方ないでしょ。話、ちゃんと聞いてたの?」


 黒く長く、太陽を浴びてうっすらと紫色を帯びた髪がふわりと揺れる。小さな声で「すいません」と口にした森下にくるりと背を向け、先生は反対側にいる男子に話しかけた。


「じゃあ、西田くん」


 そうして名前を呼ばれた彼もまた、何かを隠すように背中を丸める。彼のノートも真っ白だったが、その動きはどこか不自然だった。


「じゅ、『十字軍』だと思います……」


 その答えはおそらく、黒板にチョークで書かれた「十字軍がもたらした影響」という今日の授業の題から推測されたものだ。

 あからさまに何かを隠すような素ぶりが気になったのか、彼女はしばらく眉を吊りあげていたが、その視線はやがて、納得したように教科書へと戻る。


「そうよ、正解」


 答えが合っていたところで褒めてもらえるわけではない。かといって、宿題を忘れても極端な叱り方はしない。よくいえばクール、悪くいえば少し無愛想というのが、この男子校で2年生の世界史を担当している彼女、片桐由佳に対するおおよその生徒の評価だった。

 しかし、それはあくまで教師としての評判。

 もうひとつの基準で見たとき、彼女に高い点数をつけない男子はこの学校にはいないだろう。少なくとも今日、最前列にいた生徒は、先生がクラス内を一周した後、太ももの裏に天板を食いこませながら教壇に腰をあずけた瞬間、その見晴らしに満点をつけたはずだ。


 キンコン、と授業終了を告げるチャイムが鳴る。


「それじゃ、今日はここまで」


 読み終わらなかった内容にいささかの未練もなく、片桐先生は授業を切り上げた。この授業が他の先生のそれと違う点は、黒板を消し、資料をとんとんと揃えた彼女が教室を出ていくまで、生徒たちは一切無駄口を叩くことなく、その姿を目で追っているということだ。


 すらりとした背中が引き戸をくぐり、廊下へと消えた瞬間、生徒たちによる大報告会の幕が上がる。


「今日のゆかりんの服、ヤバかったな。俺、家まで我慢できねーんだけど」

「それな。でも確かにあんなデカい乳、カバーできるのはニットくらいだわ」

「結局できてなかったけどな(笑)」


「柏木、頼むから席替わってくれよ。あの太ももを間近で見られるとか、おまえ、前世でどんな徳積んだんだよ」

「窓に近いヤツばっかり当てられてんのずるくね? 俺も間違えて〜わ」

「森下てめえ、怒られたいからってやりにいってんじゃねーよ。十字軍は俺もわからなかったけど、ノートめくり出すのは反則だろ」


 五十分間、熟成された欲望や嫉妬が、教室のあちらこちらで栓を抜いたように噴き出す。互いのささやかな憧れを口にし合う程度から、他聞をはばかるような妄想を語り合うレベルまで、その「成熟度」はグループによってまちまちだ。


「俺、兄ちゃんに聞いてびっくりしたんだけどさ。ゆかりん、赴任直後は今と全然違ったらしいよ。教え方は丁寧でわかりやすいし、授業後も教室で生徒と笑顔で話してたって」

「俺ら、ゆかりんの笑顔なんて見たことないよな。大学のミスコンの時の写真、西田がネットで見つけて共有してくれたけど、確かに別人みたいだったわ」

「彼氏と別れたのが2年前だっけ? 大人しそうにしてるけど、絶対溜まってるよな……」


 すると、ミスコンのくだりが聞き捨てならなかったのか、そばで同様の会話を繰り広げていたグループが近づいてくる。その中の何人かは早くも、彼に祈るように両手を高速ですり合わせていた。


「ああ、わかったって。西田、昨日送ってくれたゆかりんの写真、こいつらに転送してもいい?」


 懇願を受けた彼は、先ほど片桐先生の問いかけに「十字軍」と答えた西田に声をかける。教科書やノートを片付けることもなく、机でひとり俯いていた西田はぎょっとしたように「お、おう」と答えた。


「どうしたんだよ。つーかお前も今日の勝ち組なんだから、こっち来て感想聞かせろって」

 

 そのとき、ガラガラと入り口のドアが開く。

 喧騒から一転、クラス内は水を打ったように静かになった。

 入り口に立っていたのは、片桐先生だ。


「西田くん、ちょっと来てくれるかしら」


 蠱惑的なアルト声が響く。光のスペクトルは複数の色で構成されているというが、授業中とまったく変わらないそのトーンにも、彼女のあらゆる感情が宿っているように聞こえる。


 名前を呼ばれた西田はすっと立ち上がり、やや青ざめた表情を浮かべながらドアの方へ向か

う。


「おいおい……」

「なんだよ……」


 一部からどよめきも起こる中、先生は彼の肩にそっと手を置き、後ろ手にドアを閉めた。まるで恋人を自宅に招き入れるような優しい所作に、その後の教室がおおいにざわついたことは言うまでもない。




——




 職員室の横を通り、西田が連れていかれたのは地下だった。「生徒立ち入り禁止」と書かれたコーンをすり抜けた後、階段を下りた先のうす暗い廊下で、非常ベルが赤く光る壁を背にして立たされる。


「西田君。何か今のうちに先生に言っておきたいこと、ない?」


 唐突な質問に、西田は少し吹き出しながら「えっ?」と返した。さらにそのまま半笑いで否定しようとしたが、前髪の陰から射すくめるような目を前に、ようやく口をついた「ないです」という言葉はひどく尻すぼみだった。


「ふーん、そう」


 笑い半分、呆れ半分といった感じか。ポーカーフェイスの片桐先生にしては珍しく感情の乗った声色に、西田の鼓動は徐々に早さを増していく。


 しかし次の瞬間、心臓は急停止しそうになった。目の前に立っていた先生が一歩距離をつめ、左手を顔のすぐ隣の壁に置いてきたのだ。 

 逃げ道をふさぐように。


「出して」


 そう命令した彼女の唇は、鼻先から十センチほどの位置に迫っている。さらに視線を落とそうものなら、肺を膨らませるたびに胸板に当たる感触の正体も確かめられるだろうが、もちろん、そんな勇気は持ち合わせていない。


「えっと……何を……?」

「とぼけてもだめ。早くすっきりさせないと、君も次の授業に集中できないでしょ」


 グロスを塗ったピンク色の唇が柔軟に形を変え、言葉を紡ぐ。ついさっきまでクラス全員が目で追っていた美貌に視界を覆われてなお、しぶとく目のやり場を探しつづける西田の様子は、すでに大勢が決したリバーシを続ける素人のようだ。


「早く出しなさい。5、6分で終わらせてあげるから」


 その数字は反則だった。思考を空にすることに全力を注いでいた西田の理性は、見事に打ち砕かれた。

 観念し、彼はベルトに手をかける。




「ちょっと、何してるの。出すのはスマートフォンよ」


 突然言い放たれた一言に、西田かカチャカチャと動かしていた手を止める。この地下に来てから順調に赤らんでいた顔から、再び血の気が消える。


「えっと……?」

「さっきの授業中に撮った写真、今すぐここで削除しなさい。見ててあげるから」


 凍りつく空気。至福の時から一転、西田の心は奈落に突き落とされる。


「すみません、いったい何の……」


 慌てて取り繕うが、その演技が遅すぎたことは彼自身がよく分かっていた。冷たい目と沈黙に白旗を上げ、制服のポケットからそそくさとスマートフォンを取り出す。


 ところが画面ロックを解除し、写真アプリに指を置こうとしたところで、西田の手はまたしても停止した。


「どうしたの?」


 その手は震え、どうしても先に進むことができない。絞首刑で、床が落ちるボタンを自分で押すように指示された死刑囚のように。

 ついに、片桐先生が見兼ねたような溜め息をつく。


「どうやら、撮ったのは今日だけじゃないみたいね」


 見透かしたような言葉に、西田は思わず顔を上げた。その勢いで上半身ごと跳ね上がり、先ほどは触れるか触れないかだった先生の胸を、今度は「しっかりと」押し返してしまう。


「あっ、すみっ、ません」

「もういいわ……スマホはしまいなさい」


 当の本人はまったく気にしていないようだ。指導中ということもあるが、身を半歩たりとも引かずに受け流している辺り、その衝撃はハンドボール大もあるバストに吸収されてしまったのだろう。

 その豊満な感触を思い返す暇も与えず、片桐先生は語気を強める。


「西田くん、隠し撮りは立派な犯罪よ。君はもう十七歳だし、私がその気になれば君を訴えることもできる。今後は気をつけるように」

「ごめんなさい……」


 重く戒めるような沈黙が続く。一年以下の懲役、または百万円以下の罰金にも代わる沈黙だ。

 しかし意外も意外、その罰は先生のクスッという笑いで、あっさりと終わりを迎える。


「え?」

「ううん……なんか今のセリフ、テンプレすぎて笑っちゃった」


 白い歯こそ見せないものの、涙袋をつくり、垂れた髪を横に戻すような仕草は、これまでクラスの男子が彼女に抱いていたイメージとはかけ離れていた。

 そんな西田の驚きも露知らず、先生はくるりと踵を返し、彼と同じ壁に背中をもたれさせる。


「安心して。教師として一応注意させてもらったけど、私自身は何とも思ってないわ。でも、あえて感想を言わせてもらえば……君の先輩たちは、もっと上手に撮ってたわね」


 彼女はどこか懐かしむように言った。威厳ある教師の口調も、いつの間にか女子大生のように軽やかになっていた。


「まったく……白バイ警官の苦労が目に浮かぶわ。君はもちろん赤切符だけど、スピード違反くらいならさっきの授業中にも五、六人いたかしら」

「ス、スピード違反って……?」

「ものの例えよ。それとも具体的に言わせる気?」


 先生は艶めかしく目を細める。


「こんなこと、全員にいちいち注意してたらキリがないわ。だからせめて、西田君にはもう少し他の子を見習ってほしい。カメラを使おうと使うまいと、年頃の男の子が家でやることなんて、みんな一緒でしょう?」

「いや、ちょっと言ってる意味が……」

「ふーん。なら、とりあえず前は閉めましょうか」


 金具が外れているベルトを一瞥され、西田は慌ててそれを締め直した。

 とにかく——。

 まとめと言わんばかりにそう切り出し、片桐先生は彼の耳に口を近づける。


「次は目立たないようにしなさい」


 どこか反応を伺うような小声が耳をなでる。もう四時限目だというのに、急接近した黒い髪からはシトラス系のシャンプーの匂いがただよい、彼女があられもない姿でその原液をまとわせている様子を、ほぼ不可抗力的に青年の脳に想起させる。

 感謝すべきは、前かがみになった巨大な胸元がニットで隠され、一枚隔てた先に形づくられているはずの谷間が見えないことだ。


「ただし西田くん、君自身が一番わかってると思うけど、あなたは二年生になってから成績が落ちてきてるわ。もし明日からも勉強に集中できないようなら、クラスの移動も考えてもらうからね」

「は、はい……」


 そのとき、地上階で予鈴が鳴る。

 そろそろ行きましょ、と肩に手を置かれ、西田はクラスに戻った。次の授業がないのか、片桐先生もドアの前まで一緒についてくる。


「せ、先生……?」

「あ、そうだ。ささやかだけど、これは今回のお仕置きよ」


 ドアが開き、西田は教室の中へと促される。他の生徒はすでに次の授業の準備を終え、先生の到着を待っている状況だ。

 クラスメイトの注目を一手に浴びる中、西田は振り返ると、片桐先生がドアを閉じるかたわら、口だけで自分の方に投げキッスをしていた——。




 ぱたん、と自分がドアを閉じた瞬間から、悲鳴や怒号の入りまじった喧騒に包まれた教室を後にして、彼女は職員室へ戻ろうとする。


「おや、片桐先生。いま教室を出られたんですか……って、何だこの騒ぎっぷりは」

「さあ。男の子って元気ですよね」


 廊下で次の科目の教師とすれ違い、彼女はとぼけるように返した。




 おわり


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