第2話

 サファイアが案内された移動船には、若い兵士が2人待ち構えていた。

 片方が期待するような目で老兵士に尋ねる。

「団長、もしかしてその方が……」

「ああ。サファイア様だ」

 視線を向けられたサファイアは軽く会釈をする。

 若い兵士たちはビクリと体を震わせ、仰々しく敬礼をした。護衛などの重要任務に就くことに慣れていないらしい。

 対して老兵士は動揺の素振りは今に至るまで全く見せず、サファイアを席へ案内している。

(なるほど、騎士団団長様だったわけね)

 客席から、老兵士へちらりと目線を向ける。

 考えてみれば、王族を他国の領土から自分たちの城まで無傷で守らねばならない指令を彼らは背負っている。かなりの手練が選ばれているのは当然だ。

 団長である老兵士は、きっと相当な経験を積んでいるのだろう。

 おそらくは、サファイアが生まれる前から。

(……なら、私がカンノーネにいた頃、どういう扱いをされていたか知っているはずでしょうに)

 移動船の中、変わる景色を眺めながら故郷でされていた待遇を思い出す。

 城の中ではサファイアの存在は隠されていた――否、いないものとされていた。

 サファイアが生まれた際、足の痣はカンノーネにおいて「悪魔の証」とされる形と同じだ、この子は悪魔の子だと産婆の一人が騒いだらしい。

 それを信じた父は表向きは死産という扱いで、サファイアを地下牢に閉じ込めたのだ。

 城外へサファイアの存在が漏れていないことから、おそらくこれらの事実を知る者は限られている。しかし、当時から城に仕えていた者なら断片的には見聞きしているだろう。

 今や兵士の頂点へ登り詰めた老兵士もまた、当時のことを知らないはずはない。

 昔蔑んでいた存在に、恭しい態度をとらねばならないというのはどんな気持ちなのだろうか。

「姫様、カンノーネ城に近づいて参りました」

「……ああ、そう」

 老兵士に声をかけられ、サファイアは生返事をする。

 物思いに耽る間に国境を越えていたらしい。

 老兵士は景色の一点を指差す。

「あちらに見えるのがカンノーネ城です。お懐かしいでしょう」

 懐かしい、と言われても感傷も何もあったものではない。サファイアにとって、カンノーネについて覚えている景色は暗く冷たい地下牢が大半だ。

 カンノーネを離れた日に見た景色はほとんど覚えていない。

 ひとつだけ、城を見て思うことがあるとすれば。

(……晴れている間にあの建物を見たのは、初めてだわ)

 あの日――カンノーネから逃げ出した日は、ひどく雨が降っていたから。



 カンノーネ城に到着し、移動船を降りる。

 さほど長旅ではなかったはずだが、体が重く感じる。

「お疲れ様でした」

 老兵士が一礼をして労いの言葉をかける。

「移動中に姫様のことを国王陛下へご連絡いたしました。すぐにお会いしたいとのことですので、このまま謁見の間までご案内します」

 休ませてももらえないのか、とサファイアは心の中で悪態をつく。

 だが相手は国家権力そのものだ。従う他ない。

 不本意ながら、兵士たちと城の中を歩いて行く。

 すれ違う人々は必ずと言っていいほどこちらを見てくる。お世辞にも上等とは言えない薄汚れた服を纏った見知らぬ女が、兵士に囲まれているという異様な状況なのだから当然ではある。しかし、理解をしていても心地のよいものではない。

 ましてや、向かっているのはサファイアが一番会いたくないと思っている人物の元 だ。足取りは段々と重くなってしまう。

「……」

 なるべく何も考えないように、案内される道を無言で歩く。

「この扉の先が謁見の間です」

 エレベーターで最上階まで乗った先には、荘厳な造りの大扉が聳えていた。

 老兵士とサファイアがエレベーターを降りると、ほかの兵士はその場に残り敬礼した。彼らが付き添うのはここまでらしい。

「参りましょう」

「……ええ」

 老兵士に促され、サファイアは無意識に拳を握りしめた。


 謁見の間で2人を出迎えたのは、椅子に腰かけた初老の男性だった。

 サファイアと同じ、青い髪と青い瞳をしている。

「お待たせいたしました、アイオライト国王陛下。姫様をお連れいたしました」

 老兵士が傅く。

 この男性がカンノーネの国王――つまりはサファイアの父親だった。

 男の身分を理解したサファイアも、礼儀に倣って傅いた。

 アイオライトはゆっくりとサファイアに近づく。

「そんなにかしこまらなくていいんだよ。私たちは親子じゃないか」

 どの口が言うのか。先に親子の縁を切ったのはそちらだろうに。

 思わずそう口に出しそうになったが思いとどまり、丁寧な口調を心がけて返答する。

「……出自としては確かにそうですが、私はもはや王族とは言えない身分ですので」

「それでも、この城へ戻ってきてくれただろう。

 なら、家族としてやり直せばいいだけじゃないか」

「私のような身分のものには勿体ないお言葉です。国王陛下」

 あくまで国のトップに招かれた客人であるという姿勢を貫くサファイア。

 その様子に、アイオライトが困ったように軽く眉を寄せる。

「その呼び方も止めて、父さんと呼んでほしいんだけどな。

 ……さあ、顔を上げて。私によくその顔を見せてくれ」

 アイオライトは優しい口調で、対面を促す。

 サファイアが感情を圧し殺した表情で、顔を上げた。

 2人の青い瞳が交差する。

「ああ、やっぱり、セレネ……母親に瓜二つだね」

「そんなに似ていますか」

「うん。そうか、サファイアが物心つく前にセレネは亡くなってしまったから、よく覚えていないか」

(正確にはあなたの顔すら私は覚えてないけど)

 悲しげに感傷に浸る父親を、サファイアは心の中で一蹴し、本題を切り出す。

「そろそろ教えてくださいませんか?

 国王陛下が急いで私を連れ戻した理由を。何かおありなんでしょう」

 老兵士から理由はすでに聞き出しているが、詳細までは伝えてもらっていない。

 当人から話を聞く必要があったのだ。

「理由……そうだね」

 アイオライトは言葉を選ぶように少し考えこむような素振りを見せた。

「……自分の血を分けた娘に会いたいと思うことが、そんなに特別なことかな?」

「…………はあ?」

 今度こそ心の声が現実に漏れた。

 そんな無礼を気にすることもなく、アイオライトは言葉を続ける。

「サファイアも知ってるかも知れないけど、最近私の弟が亡くなったんだ。

 妻はとうの昔に旅立っているし、残ったのは私一人になってしまった。

 ……そんな状況なら、いなくなってしまった身内の存在が恋しくなるのは当然じゃないかな」

「……それは、お察しします」

 先月カンノーネの王族が亡くなっていることは、サファイアも知っている。

 身内を失い、心寂しくなる気持ちはわからなくはない。

「それでね、もし娘が見つかったなら、今度こそ家族として迎え入れようって思ったんだ。過ごせなかった時を、これからでも一緒に埋めていこうって決めたんだ」

「……」

「この国で一緒に暮らして、この国のことをたくさん知ってもらって、この国を好きになってもらって。


そして、――この国の王を継いでもらおう、って」


 最後に紡がれた言葉を聞き、サファイアの相貌はスッと細められた。

 やはりそれが目的か。

(少しでも同情したのが馬鹿みたいだわ)

 耳障りのいい言葉を並べたてはいるが、結局はすべて「跡継ぎを用意する」という自分の願望を叶えたいと言っているだけだ。

 連れ戻して絆を深めようとする行為は、ただ自分の過去を清算したいだけ。

 サファイアの都合なんて全く考えていない。

 せめてもの反抗として、正論を言う。

「……いくら私が王族で、王位継承権があるとしても、国民がそれを許さないのではありませんか?

 私は……盗賊なんですから」

 犯罪者が国政を行うことに対して反感を覚えない者はいないだろう。

 犯罪者に落ちぶれたサファイアには、国を継ぐ権利はあっても、その資格はない。

 それを聞いたアイオライトは動揺もせず、ただ笑って返答する。

「大丈夫。私の国の民だ、きっとわかってくれる。

 だから、共にこの国を導いておくれ」

 アイオライトの声色は変わらず、優しい口調のままだ。

 それがかえって神経を逆撫でさせる。

 何を言っても、自分の都合ばかりを優先させている。

 こちらの気持ちすら汲み取る様子はない。

 議論をしたところでこちらが疲れるだけ。

 サファイアはもう何も言う気が起きなくなっていた。

 微かに俯いて黙り込むサファイアを見て、アイオライトは別の解釈をする。

「……突然だったから、びっくりさせてしまったね。今日はもう下がっていいよ。

 サファイアの部屋は用意してある。そこに案内させるから、ゆっくり休むといい」

「……はい」

 アイオライトは控えていた老兵士に声をかけ、サファイアを部屋まで案内するように命じた。

「サファイア。今日はありがとう。また明日から、親子の絆を取り戻していこう」

 サファイアは何も答えず、ただ退室の一礼をするのみだった。


「こちらがサファイア様の部屋です。ご自由にお使いください」

 老兵士は部屋の前までサファイアを案内し、礼をして去っていった。

 ようやく一人になったサファイアは、扉を開けて自室となる部屋へ入る。

 案内された部屋は、一人で使うにはあまりにも広い部屋だった。

 洗練された家具や調度品が揃えられ、清潔感に満たされている。

 普通の人間ならば部屋の内装に感嘆し、くつろぐことができるのだろうが、サファイアは違う。狭い空間に慣れすぎて、かえって落ち着かない。

 それでも部屋の中を物色していると、ある物が目に入った。

(……ぬいぐるみ?)

 子供の背丈ほどもある、大きなぬいぐるみが椅子に置かれていた。

 この部屋には似つかわしくない、異質な存在。

 無論サファイアの私物ではない。

 おそらくは、アイオライトが用意させたものなのだろう。

(何のつもりなのかしら)

 子供扱いされているのか、それとも、子供の頃にしてあげられなかったことの代用のつもりなのか。

 いずれにせよ、今のサファイアは幼い子供ではない。

 ぬいぐるみで癒されるような性格でもなければ、この程度で過去の傷が埋まるはずもない。

 きっとこれも、アイオライトの一方的な善意なのだろう。

(……本当に、自分勝手)

 ぬいぐるみの頬を軽くつまむ。そんなことをしても、何にもならないことはわかっている。それでも何かに八つ当たりがしたかった。

「……」

 窓の下にずるずるとうずくまるようにして座り込む。

 改めて見渡す部屋は、ドラゴナークの自室とは比べ物にならないほど視界が開けている。持て余すほどの広さのはずなのに、かえって息苦しさを覚えてしまう。

(……無機質で冷たくて。ここはあの地下牢みたい)

 知らない故郷。

 知らない実家。

 知らない家族。

 存在していない絆を取り戻させるために、サファイアは再びそれらに監禁されたようなものだ。

 何か言葉にしたくても、うまく感情がまとまらず、言葉を紡ぐことができない。

 これでは本当に、あの頃と同じだ。

「……」

 どろどろと、心に何かが溜まっていくのがわかる。

 もう、何も考えたくはなかった。

 サファイアはただ、膝を抱え、瞳を閉じた。

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人悪カタグラフィ(現代編) 小倉さつき @oguramame

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