人悪カタグラフィ(現代編)

小倉さつき

第1話

 路地裏で、かさかさと紙切れが鳴っている。

 それを薄汚れた男たちが拾い、読み上げる。

 男たちは紙切れ――古新聞に書かれた内容について、話し始めた。

「カンノーネの王族が死んだってよ」

「ああ、本当だ。現国王の弟か……死ぬにゃあまだ若かったはずだけどなあ」

 その情報は一ヶ月以上も前の出来事だ。

 毎日の新聞を買う余裕のない彼らにとっては、最新の出来事なのだろうが。

「カンノーネは跡継ぎがいなかったろ。

 今の王は王妃サマが死んでから再婚しなかったもんなあ」

「王妃との間に子供はできなかったんだっけか?」

「いや、確か死産だったか、赤ん坊のうちに拐われて行方不明だとか聞いたなあ」

「そうなのか! じゃあ、俺らがその時の赤ん坊だったって言ったら、王族になれっかもなあ!」

 下品な笑い声が路地裏に響く。

 それを聞き流しながら、娘は被っていたフードを目深に直し、表通りを歩く。


 王の都、ルーウェン。

 世界に4つある国のうち、中心に位置しており、最も広大な領地を持つ。

 工業が盛んで、他国からの人の出入りも多い賑やかな国。

 だが、国全体が華やかな訳ではない。

 職や家族を失い、貧困にあえぐ人々の溜まり場も、片隅に存在する。

 ここはそんな人々の暮らす、スラム街だった。


「いらっしゃいませ」

 目的の店についた娘に、顔なじみの店員が挨拶をする。

「こんにちは。今日も、いつものを頼むわ」

「長パンと、星パンですよね。かしこまりました」

 手慣れた様子で店員が商品を包んでいく。ふと、店員が小声で話しかけてくる。

「……そういえば、最近ここらにカンノーネの兵が来てるの、知ってます?」

「カンノーネから?」

 水の都とも呼ばれるカンノーネは、ルーウェンから西に存在する国だ。

 水源に恵まれており、穏やかな性格をした人々が暮らしている。

 国王も穏健派であるため、領地拡大などの荒事が目的ではないのだろうが、他国に兵を送るとはいささか妙だ。

「なんでも人探しをしてるみたいで。こないだもウチに尋ねに来たんですよ。

 知らぬ存ぜぬで通しましたけどね」

 変に関わったら面倒ですからねー、と店員は笑う。

 確かに、兵が出入りするようなことになってしまえば目立ってしまい、商売どころではなくなるだろう。スラムとはそういう場所だ。

 店員の判断は正しい。

「だからそっちも気をつけてくださいね――サファイアさん」

 店員は、包んだ商品を娘へ手渡す。

 サファイアと呼ばれた娘は深く青い眼を細め、微笑んだ。

「ええ。ありがとう」



 買い出しを終えたサファイアは一件の古い建物へ戻ってきていた。義賊団ドラゴナークがアジトとして使用している建物である。彼女も義賊団の一員だ。

 いつものように玄関を開けようと手を伸ばし、ぴたりと止めた。

(……?)

 アジト内の空気が、いつもと違う。

 なにか、緊張しているような、ぴりぴりとした感じがする。

 サファイアは周囲を見回し警戒する。外は異常がないようだ。

 問題は内か、と判断し、音を立てずに扉を開けた。

「……ああ、お帰り。買い出しご苦労さん」

 出迎えたのはユズリハという名の、義賊団の仲間だ。

 普段から不機嫌そうな眉がさらに寄っている。

 ユズリハはリビングにつながる扉の横で腕組みをしている。

「何かあったの?」

 サファイアの質問に対し、ユズリハは言葉では答えず扉へ向けて親指を向けた。覗いてみろということらしい。

 そっと扉を開け、隙間から中を覗いてみる。

 部屋の中では6人の男女が向い合わせで座っていた。

 奥にいるのは仲間である紅(ホン)と藍(ラン)、それからハザクラ。

 手前に座る3人が客なのだろう、揃って同じ格好をしていた。

 このスラム街には相応しくない、鎧を。

 彼らの装備には、カンノーネの国章が刻まれていた。

(あれは……カンノーネの兵士たち?)

 先ほどの店員の話を思い出す。彼らは人を探していると聞いていたが、まさかこんな場所まで来るとは思っていなかった。

「あいつら、さっき来たんだ。人を探してくれって。依頼だってよ」

 ユズリハが小声で簡潔に説明する。

「依頼って、いくらなんでも兵士様が『こんなとこ』に?」

 ここは義賊団のアジトだ。最近はボスの意向で簡素な依頼も受ける何でも屋になりつつあるものの、根本的なところは盗賊とかわりない。

 国を背負っての依頼であろうそれを、犯罪者に頼むとはおかしいにも程がある。

「ここに住んでる奴らなら、見つけるのも早いだろってさ」

「……ボスは? 部屋にはいないみたいだけど?」

「なんか出かけてるみたいで、ここにゃいねーよ」

「……ほんと、肝心な時に役に立たないんだから……」

 頼りのトップがいない以上、兵士の対応をしている仲間に判断を託すしかない。

(2人は問題ないだろうけど……ハザクラが厄介ね)

 藍と紅は頭のいい兄妹だ。ボスの代わりは務められるだろう。

 問題はハザクラだ。

 彼女は義賊団の中では一番年齢が高いが、反して幼い言動が目立つ。

 ゆえにこういった重要な場には出さないようにしている。

(面倒なことしなきゃいいんだけど)

 不安は残るが、とにかく、もう少し情報が知りたかった。

 サファイアは再び彼らの会話を盗み聞きし始めた。


「ですから、お引き受け致しかねます」

 藍が兵士たちに向かって、おくびれる様子もなく告げる。

「確かに我々は何でも屋の面がありますが、それでも義賊――盗っ人でしかありません。犯罪者に協力を仰いだと知られれば、そちらも問題なのでは?」

 兄の弁論に、妹の紅もうんうんと頷く。

 対する兵士は折れる様子はない。

「どんな手を使ってでも見つけ出せと命を受けております。先ほどもお伝えした通り、このスラムでは地域に詳しい者に頼むのが得策。

 金は惜しみません。そちらにとっても悪い話ではないでしょう」

「金の話ではありません。あなた方のような高貴な存在と関われば、この地域では浮いてしまうんですよ」

「ならば依頼ではなく命令としましょうか」

 3人の兵士のうち、一等豪奢な装飾の施された兵士が睨むようにして言い放つ。ほか2人よりも年老いており、身なりからして彼が一番階級が高いのだろう。

 藍の睨みに怯むことなく、老兵士はさらなる追い討ちをかける。

「我々はあなた方を逮捕することだってできるのですよ」

 藍は舌打ちをする。仲間を人質にとられてはたまらない。

 しばしの沈黙を挟んでから、藍は再び口を開いた。

「……国からの圧力をかけようとまでして探している人とは、どんな方なんです」

 依頼を承諾された安堵からか、老兵士の表情が微かに緩む。

「女性です。歳は、……おそらく、あなたくらい。

 この辺りで見かけたという情報を得ています。


 特徴は、青い髪と、同じ色をした瞳」


 その言葉を聞き、義賊団のメンバーは息を呑んだ。

 告げられた特徴を持つ人物には覚えがあったからだ。

 ユズリハに目線を向けると、同じく動揺しているような表情を見せた。

 迂闊に情報は出せない。どう出るべきか。義賊団は考えていた。

 ――ただ一人を除いて。



「青い髪と青い瞳? それってサファイアのことだよね?」



 ハザクラがあっさりと白状した。


 そう、その条件に当てはまるのはサファイアだ。

 青系統の髪は全世界でも珍しく、その中で青い瞳をしているとなれば、条件が一致するのは数名だろう。

 性別や年齢も考慮すれば、彼らの探し人はサファイアでほぼ間違いない。

(余計なことを……)

 おそらく、他の仲間も同様のことを思っただろう。

 兵士たちの目的は不明だが、身内を売ったことになるのだ。

 思わず頭を抱えていると、おもむろに藍が椅子から立ち上がり、ハザクラの傍へ寄る。

「……ハザクラ」

「えっ、なになに、どうしたの」

 藍は状況を把握していないハザクラを引きずり、こちら――リビングの扉の方へ向かってくる。

 そして。

「ほぎゃっ」

 扉がサッと開けられ、ハザクラは床に放り投げられた。

 藍は扉を背にし、何事もなかったかのように兵士たちに向かって爽やかに対応する。

「いやー、失礼しました。彼女は少し妄想と現実の区別がついておりませんで。

 何かの本で見た人物と間違えているのでしょう」

「いや、しかし、今『サファイア』と」

「我々はそんな人物に覚えはありません」

 仲間の存在を隠そうとする藍。

「ちがうもん! それ絶対サファ……むぐっ」

 その彼の思いを理解していないハザクラは、反論しようとし、ユズリハに妨害された。

「お、ま、え、は~!! 余計なこと言うんじゃねえ! 黙ってろ!!」

 ユズリハから首を絞められ、ハザクラは暴れまわる。

「いたーい! やめてよユズリハー!! くるしい!!」

「……」

「いたっいたたたた!! 無言で力強めないでー!!

 助けてサファイアー!! ねえー!!」

 大声で隣にいるサファイアへ助けを求めるハザクラ。

 サファイアは耳をふさぎ、聞こえないふりをする。

 扉向こうでの騒ぎを聞いた兵士たちが、ざわめき出す。

「サファイア?やはり何か知っているんだな?」

「もしかしてそこにいらっしゃるのか?」

 さすがの兵士たちも、この大声でサファイアの存在に気づいたらしい。

 今にも扉を開けてこちらを確認しに来そうな雰囲気がする。

(……これ以上は、隠れても無駄なようね)

 騒ぎを長引かせても、得るものは何もない。なら、ここで終わらせる方がいい。

 サファイアは、静かにリビングの扉を開けた。

「皆、もういいわ。ありがとう。

 ……あなたたちが探しているのは、私でしょう」

 リビングに入ったサファイアは、被ったままのフードを外した。

 隠れていた長い青髪が、露になる。

 サファイアと目が合った老兵士が、頭を垂れた。

「おお…セレネ様によく似ていらっしゃる。やはりサファイア様なのですね」

「……」

 出された名前にぴくりと反応するサファイア。だがそれだけだ。

 紅がおずおずと呟く。

「……セレネ、って、確か……カンノーネの王妃様だよね……? ってことは……」

「サファイア、王女さまだったのー?」

 ハザクラが無邪気に言う。

 サファイアは何も答えない。代わりに、老兵士が答える。

「はい。この方はカンノーネ現国王、アイオライト様のご息女であるサファイア姫様です。

 長年行方がわからずにいらっしゃいましたが、ようやく見つけることができました」

 老兵士に倣って、2人の兵士も恭しく礼をする。

 サファイアはそれらを冷ややかに一瞥した。

「……私が本物のサファイアだと決まった訳ではないでしょう。目の色も髪の色も、魔法でいくらだって変えられるわ」

 この世界には魔法というものが存在している。

 種類は様々あるが、その中でも変身魔法は特別珍しいものではない。

 高度な魔法道具を用いれば、体格も、性別だって変えることができる。

「確認しろと言われたのは目や髪じゃなくて……こっちじゃないの?」

 足を少し開いて、左足の付け根のある一点を指差す。

 ホットパンツとニーハイの間の素肌にあるそれは、痣だった。

 サファイアの足に、生まれつき付いた特徴的な痣。

 場所が場所だけに人にじっくりと見せたことはない。加えて、痣は複雑で特殊な形をしているため、同じものを真似して付けられるものではない。

 老兵士はそれを見越してか、軽く確認したのみで頷く。

「はい。そちらも確認するように申し使っておりました。

 髪も目も痣も…サファイア様の特徴そのものです」

 兵士たちはサファイアに向かって、姿勢を正し、跪く。

 老兵士が傅いたまま告げる。

「サファイア様。我らと共にカンノーネまでお戻りください。

 国王陛下がお待ちです」

 頭を垂れる3人の兵士を前に、サファイアは大きくため息をついた。

「……ここで嫌だと言ったところで、拒否権はないんでしょう」

 兵士たちは微動だにしない。それが返答だとでも言うように。

 その執念に、サファイアは観念する。

「仕方ないわね。国王陛下へ謁見するわ」

「姫様!」

 老兵士は嬉しそうに顔を上げた。

 対するサファイアは非常にばつの悪そうな顔だ。

 サファイアは兵士たちに姿勢を直すよう命じ、出立の意思を告げる。

「行くならさっさと行きましょう。これ以上アジトに居座られても迷惑だわ」

 おそらく、アジトに他国の兵士が入っていったところは誰かに目撃されている。

 内部での話し合いが長引くほど、ここでの噂が不明瞭な真偽の尾ひれをつけてスラム街へ広がっていくだろう。

 自分のせいで仲間に悪影響が出るのは不本意だ。

 さすれば、と老兵士は部下に命じ、出発の準備を進めさせる。

「……カンノーネに戻るのかい?」

 兵士たちの動きを黙って見ていたサファイアへ、藍が声をかける。

「話をつけてくるだけよ。長居する気はないわ」

 藍へ顔を向けずに言うサファイアの声色は、感情を圧し殺しているように淡々としていた。前髪から微かに見えた瞳には、憎悪の色さえ浮かんでいるようだった。

 その様子を見た藍は、穏やかに返答する。

「そっか。……こっちのことは任せてよ。ボスにも言っとく」

「頼むわね」

 振り向いたサファイアは、藍がよく知る――自信に満ちた微笑を浮かべており、先ほど垣間見えた負の感情は読み取れなかった。

「姫様。お待たせいたしました。参りましょう」

「わかったわ」

 老兵士に促され、サファイアはアジトの玄関へ向かう。

 その後を追って、紅が声をかける。

「サファイア……」

 紅が不安げにサファイアを見つめる。

 サファイアは優しく微笑み、くしゃりと紅の頭を撫でた。

「大丈夫、心配しないで。すぐに戻るわよ。

 ……じゃあね」

 特別なことは何もない、ただいつものように出かけてくるだけ、とでも言うように。その姿はあまりにも「いつも通り」であった。

 仲間たちの不安な様子とは正反対に、サファイアはあっけらかんとした仕草でアジトを後にした。



「それで?」

 アジトから離れた場所に停めてあるという移動船に向かいながら、サファイアは老兵士に尋ねる。

「いくらなんでも、生き別れの娘と感動の再会がしたいがために呼び戻しに来るとは思えないのよね。

 何か目的があるんでしょう?」

 そう、最初から引っ掛かっていたのだ。何年も行方知れずだった実の娘を今更探しに来たのには、事情があるのだろうとサファイアは踏んでいた。

 でなければ納得がいかない。連れ戻す気など全くなかったはずなのだから。

「はい」

 案の定裏があったようで、老兵士はごまかす素振りもなく答える。

「なら教えて。何が目的なの」

 老兵士は一呼吸おいて、サファイアの青い瞳を真っ直ぐに見据え、はっきりと告げた。


「あなた様には、カンノーネの次期国王になっていただきます」

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