『日本書紀』で見る各時代の大連・大臣(3)最古の名族の衰退。葛城円

⑴巻十二履中天皇二年(辛丑四〇一)十月

冬十月、都於磐余。當是時、平羣木莵宿禰。蘇賀滿智宿禰。物部伊莒弗大連。圓〈圓。此云豆夫羅。〉大使主、共執國事。


冬十月ふゆかむなづきに、磐余いはれみやこつくる。の時に当たりて、平群木莵宿禰へぐりのつくのすくね蘇賀滿智宿禰そがまちのすくね物部伊莒弗大連もののべのいこふつのおほむらじつぶらの〈円。これをば豆夫羅つぶらと云ふ。〉大使主おほおみ、共に國事くにのことれり。)


〈〉=本文注


⑵巻十四雄略天皇即位前紀三年(丙申四五六)八月。

三年八月、穴穗天皇、意將沐浴。幸于山宮。遂登樓兮遊目。因命酒兮肆宴。爾乃情盤欒極、間以言談、顧謂皇后〈去來穗別天皇女曰中蒂姫皇女。更名長田大娘皇女也。大鷦鷯天皇子大草香皇子、娶長田皇女、生眉輪王也。於後穴穗天皇用根臣讒、殺大草香皇子、而立中蒂姫皇女爲皇后。語在穴穗天皇紀也。〉曰、吾妹。〈稱妻爲妹、盖古之俗乎。〉汝雖親眤、朕畏眉輪王。々々々、幼年遊戲樓下、悉聞所談。既而穴穗天皇、枕皇后膝、晝醉眠臥。於是、眉輪王伺其熟睡而刺殺之。(中略)坂合黒彦皇子、深恐所疑、竊語眉輪王。遂共得間而出、逃入圓大臣宅。天皇使々乞之。大臣以使報曰、盖聞、人臣有事逃入王室。未見君王隱匿臣舍。方今坂合黒彦皇子與眉輪王、深恃臣心。來臣之舍。詎忍送歟。由是天皇復益興兵、圍大臣宅。大臣出立於庭、索脚帶。時大臣妻、持來脚帶、愴矣傷懷而歌曰、飫瀰能古簸、多倍能波伽摩鳴、那那陛鳴絁、爾播爾陀陀始諦、阿遥比那陀須暮。大臣裝束已畢、進軍門跪拜曰、臣雖被戮、莫敢命。古人有云、匹夫之志、難可奪、方屬乎臣。伏願、大王奉獻臣女韓媛與葛城宅七區、請以贖罪。天皇不許、縱火燔宅。於是、大臣與黒彦皇子眉輪王、倶被燔死。時坂合部連贄宿禰、抱皇子屍而見燔死。其舍人等、〈闕名字也。〉收取所燒、遂難擇骨。盛之一棺、合葬新漢擬本南丘。〈擬字未詳。盖是槻乎。〉


(三年の八月はづき穴穗天皇あなほのすめらみこと沐浴ゆあみまむとおもほして、山宮やまのみやいでます。つひたかどのの登りまして遊目あそびたまふ。りておほきみして肆宴とよのあかりきこしめす。しかうしてすなは情盤楽極みこころとけたのびきはまりて、まじふるに言談みものがたりてして、ひそか皇后きさき去來穗別天皇いざほわけのすめらみことむすめ中蒂姫皇女なかしひめのひめみこまうす。またみな長田大娘皇女ながたのおほいらつめのひめみこ大鷦鷯天皇おほささぎのすめらみことみこ大草香皇子おほくさかのみこ長田皇女ながたのひめみこきて、眉輪王まよわのおほきみを生めり。後に、穴穗天皇、根臣ねのおみよこしまうすことを用ゐて、大草香皇子を殺して、中蒂姫皇女を立てて皇后としたまふ。こと穴穗天皇紀あなほのすめらみことのみまきに在り。〉にかたらひてのたまはく、「吾妹わぎもこ、〈妻をひていもとすることは、けだいにしへひととことか。〉いましむつましくむつましといへども、われ眉輪王まよわのおほきみおそる」とのたまふ。眉輪王、幼年わかくしてたかどのの下に遊戲たはぶれあそびて、ふつく所談ものがたりごとを聞きつ。既にして穴穗天皇、皇后のみひざに枕したまひて、昼酔ひるゑひて眠臥みねぶりしたまへり。ここに、眉輪王、其の熟睡とけてみねませるをうかがひて刺しせまつり。

(中略)坂合黒彦皇子、深くうたがはるることを恐りて、ひそかに眉輪王に語る。つひに共にひとまを得て、出でて円大臣つぶらのおほみいへに逃げ入る。天皇、使つかひ使つかはしてふ。大臣、使つかひまだしてかへりことまうしてまうさく。「けだし聞く、人臣きみのやつこ、事有るときに、逃げて王室きみのみやに入ると。未だ君王きみやつこ隱匿かくるるをば見ず。まさ今坂合黒彦皇子いまさかあいくろひこのみこと眉輪王と、深くやつこが心をたのみて、臣がいへに来れり。いかにか忍びて送りまつらむや」とまうす。これりて、天皇すめらみこと復益兵またますますいくさおこして、大臣のいへを囲む。大臣、庭に出でたたして、脚帶あゆひふ。時に大臣の妻、脚帶を持ち来りて、かなし傷懷こころやぶれしてうたよみして曰はく。


臣の子は たへの袴を 七重ななへをし 庭にたたして 脚帯撫あよひなだすも。


大臣、裝束よそほひすること已にをはりて、軍門みかどまうすすみて跪拜をがみてまうさく、「やつかれつみせらるとも、敢へておほみことうけたまはることけむ。いにしへの人、へること有り、匹夫いやしきひとこころざしも、うばふべきことかたしといへるは、まさやつこあたれり。伏して願はくは、大王きみやつこ女韓媛むすめからひめ葛城かづらきいへ七区ななところ奉獻たてまつりて、しぬるつみあかはむことをうけたまらむ」とまうす。天皇、許してたまはずして、火をけていへきたまふ。是に、大臣と黒彦皇子と眉輪王と、ともころされぬ。時に坂合部連贄宿禰さかあいべのむらじにへのすくね、皇子の屍をいだきてころされぬ。其の舍人等とねりども〈名をもらせり。〉焼けたるを收取とりをさめて、つひかばねることかたし。一棺ひとひつぎれて、新漢いまきのあや擬本つきもとの南の丘〈擬のよみ、未だつまびらかならず。けだし是、つきか。〉にあははぶる。)


〈〉=本文注


・概略

 ⑴は履中天皇二年、平群木莵宿禰へぐりのつくのすくね蘇賀滿智宿禰そがまちのすくね物部伊莒弗大連もののべのいこふつのおほむらじらと共に円大使主つぶらのおほみが国事に取り組んだことが書かれています。

 円大使主とは葛城円かづらきのつぶらの事で、一人だけ氏の名が記されていないのは古い表記であり、他の三人とは記事の元となる資料が異なった可能性があるそうです。つまり、この四人の中では最も実在性が高い人物であるのかも知れません。


 只、允恭天皇紀で殺される事になる父の玉田宿禰を差し置いて息子の円が国事に取り組むのは少し奇妙な感じがしますので、実在性はとにかく、記事の信憑性は微妙な上、具体的にどのような活躍をしたのか不明です。


 ⑵は雄略天皇即位前紀三年八月、安康天皇が湯浴みをしようと山の宮に行き、たかどので酒宴を行っている時、皇后に「お前は私と充分馴染んでいるが私は眉輪王が怖い」と言ったところを桜の下で遊んでいた幼い眉輪王に聞かれてしまった。そこで、眉輪王は天皇が皇后の膝で熟睡している時を狙って刺し殺した。


 允恭天皇の息子である坂合黒彦皇子は後に即位する雄略(以下、本文表記に合わせ天皇)に疑われる事を恐れて逃げて、眉輪王とともに円大臣の家に逃げた。天皇は使いを遣わせて引き渡しを求めたところ、大臣も使いを出して「人臣が事ある時に逃げて王宮に入るという事は聞いた事がありますが、未だに君主が人臣の家に隠れたという事を知りません。確かに今、坂合黒彦皇子と眉輪王は深く私を頼みにして家に来られました。どうして差し出すことが出来ましょうや」と言った。


 これによって、天皇は益々兵を増やして、大臣の家を囲んだ。大臣は庭に出て、脚結あゆい(動きやすくなるための袴の裾を括る紐)を求めると、大臣の妻は脚結を持ってきて悲しみながら歌った。


 我が夫の大臣は白い妙の袴を七重にお召しになって庭にお立ちになり、脚結をおなでになっている


 大臣は装束を着けて軍門に進み出て拝礼し「私は誅殺されても、敢えて命をうけたまわる事も無いでしょう。古人も言っています『賤しい男の志を奪うのは難しい』というのはまさしく私の事です。伏してお願い申し上げるのは、私の娘韓媛と、葛城の領地七ケ所を献上し、罪をあがなう事をお聞き入れください」と言ったが、天皇は許さず、家に火をつけて焼かれ、大臣と黒彦皇子と眉輪王は共に焼き殺された。この時坂合部連贄宿禰は皇子の屍を抱いて共に焼き殺された。舎人達は死骸を取り収めたが、骨を選び分ける事も難しかった。一つの棺に入れて新漢の槻本の南の丘に合葬した。



・解説

 ⑵は別稿「『古事記』でもっとも好きな話」でご紹介させて頂きました『古事記』の安康天皇条の話と概ね話が共通しながら、微妙に内容が違っていたり(例えば紀の「葛城宅七区」は記では「葛城之五村」であったり、円大臣たちの最期の様子の視点が異なる等)、最期に円大臣が命乞いをするという、少し情けない話になっていて、古事記の感動的な話に比べるとあまり好きではありません(マテ)。


 記紀が伝える葛城氏の伝承に関しては史料が少ない事もあり、必ずしも信憑性が高いものでは無かったのですが、近年、奈良県御所市の南郷遺跡郡をはじめ発掘調査が進み、葛城氏の実態が明らかになって来ました。


 特に二〇〇四年十月から二〇〇五年三月まで行われた極楽寺ヒビキ遺跡では石垣を積んだ塀と堀で区画された約二〇〇〇平方メートルの敷地の西側に大型の掘立柱建物、東側に大きな広場があり、その片隅に小規模な掘立柱建物が検出されました。この敷地へは、南側で塀をまたぐ幅八メートルの土橋から入れるようになっており、掘立柱が建っていた板柱を立てた穴の柱があった部分は赤い土に置き換わっていましたが、この要因を⑵の葛城円大臣が焼き殺されて死亡したと伝えられる事に引き付ける考えがあります。⑶


 僅か七歳である眉輪王が事の発端であるこの記事が史実であるのか信憑性が薄いですが、円大臣が滅ぼされた事をきっかけにして、この頃、実在が確認できる最古の名族・葛城氏が衰退したのは史実とみて良いかと思います。


 以降、顕宗紀によると葛城葦田宿禰の子で市辺押磐皇子いちのべのおしわのみこの妻である荑媛はえひめの父である葛城蟻臣かづらきのありおみの名が登場しますが、この人物は葛城本家の分家筋でした。


 葛城の領域は律令制下で北部の葛木上郡・南部の葛木下郡、そのほぼ中央部の忍海郡という領域に別けられますが、葛木下郡は葛城本家、つまり葛城襲津彦・玉田宿禰・円大臣が支配しましたが、葛木上郡は襲津彦の子・葦田宿禰、その子・蟻臣が支配した地域と言われています。


 荑媛の子である顕宗天皇の即位や、一言主の神話などは、葛城本家滅亡後も葛木上郡の分家筋の葛城氏が生き残った事が、まだヤマト王権に葛城氏の影響力を残していたという観方も出来ますが、蟻臣以降、記紀に登場する葛城氏の人物名はほぼ姿を消します。


 その後に大きく活躍した人物としては崇峻即位前紀の蘇我馬子等が物部守屋を攻めた際に葛城臣烏那羅かづらきのおみおならが居り、厩戸皇子こと聖徳太子の側近となりましたが、天武朝の頃になると葛城氏は朝臣のカバネを貰えないまでに無力化して行きました。



*追記:掖上わきがみ鑵子かんすづか古墳の被葬者は円大臣か?

 室宮山古墳から北東に2.5キロ隔てた御所市柏原の掖上の山間部に築造されている掖上わきがみ鑵子かんすづか古墳は、全長一四九メートル、西から東に延びる丘陵を利用して西向きに造られています。これまでことがた石製品せきせいひんたい金具かなぐ・V字型鋤先などの副葬品と形象埴輪の家形・蓋形・水鳥形・冠帽かんぼう形・草摺・大刀などが知られています。⑷


 この古墳が規模の大きな首長墓でありながら、大和盆地をまったく眺望しえない山間の谷間に築造されており、その立地の特異さがこれまでも指摘されており、⑸又、全長が150メートルに近い大型首長墓でありますが、前方部が短い形状をなしていることから帆立貝式古墳とみなす研究者もいるそうです。⑹


 葛城氏の首長系譜と大型首長墓の編年との対応からすると、五世紀の後半に、掖上の谷間の目立たない地に築造された掖上鑵子塚古墳は、立地の特異さが以前から注目されてきたことから、藤田和尊氏によって、玉田宿禰もしくは円大臣をその被葬者に想定する考えが出されています。⑺


 小笠原好彦氏によれば、『書紀』の允恭天皇に殺害された記載から、玉田宿禰が、それまでの葛城の首長墓が200メートルに近い大型首長墓に葬られた可能性が低いとし、全長109メートル程の五世紀半ばに築造された川合城山古墳の被葬者であると推定し、掖上鑵子塚古墳も殺害された円大臣が相応しい首長墓とみなし、墳丘墓の形態に関しては帆立貝式古墳とみる考えもあるように、きわめて規制されて築造されたものとみてよく、その規制は、全く眺望のきかない山間の谷間に築造され、しかも前方部を丘陵地に向けて築造されたものも、殺害した雄略の厳しい監視のもとで築造された円大臣を埋葬した首長墳の性格をよく反映したものと理解してよいとの事です。⑻


 又、円大臣の「ツブラ」に対しては『大和地名大辞典』に御所市柏原(旧南葛城郡掖上市)に、「ツブラ」という地名が記されており、ここは、葛城の範囲からやや東にはずれた地域であるが、直木孝次郎氏は、ここにある「ツブラ」の地名が古代からあった証拠はないとしながら、室宮山古墳のあとに、掖上鑵子塚古墳がここに造られているので、葛城の勢力が五世紀後半の円大臣の時代に進出したことも想定し得ないこともないとし、そして蘆田の地名と葦田宿禰の人名によって馬見丘陵へ進出し、「ツブラ」の地名と円大臣の人名によって、掖上へも葛城の勢力の拡大があった事を想定しています。⑼


 この様に、古墳の規模や立地の推移からみて、葛城氏の勢力の衰退は事実であったことが推測出来るようです。




*参考文献

⑴『日本書紀(二)』井上光貞・大野晋・坂本太郎・家永三郎 校注 岩波文庫

538・292頁

⑵『日本書紀(三)』井上光貞・大野晋・坂本太郎・家永三郎 校注 岩波文庫

413・414・16・18・20・22頁

⑶『謎の古代豪族 葛城氏』平林章仁 祥伝新書126~128頁

⑷『古代豪族葛城氏と大古墳』小笠原好彦 吉川弘文館 120頁

⑸『大和の古墳1』泉森皎 編

所収「明日香・南葛城地域の古墳」藤田和尊

⑹『橿原考古学研究所論集』第六 吉川弘文館

所収「築造企画からみた前方後円墳の群的構成の検討」宮田渉

⑺藤田、前掲書

⑻小笠原、前掲書

⑼『奈良―古代史への旅―』直木孝次郎 岩波書店


◇関連項目

・『古事記』でもっとも好きな話

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16816452220082185337

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