歴代の大臣・大連と関連事項

大和王権の最高位。「大臣」「大連」とは?

 飛鳥時代から左右大臣が設置され、以後長い時代日本では最も権威のある称号となりましたが、それ以前、大和王権には「大臣おほおみ」、「大連おほむらじ」という最高執政官の称号がありました。


 いわば大臣、大連の称号の氏族が当時の最高権力者であり、各時代の大臣、大連を知る事は古代氏族の隆盛の理解に繋がります。


 成立時期は青木和夫氏によると「竹内理三は、大臣・大連の称号は、その大王の号の成立と相応ずるものがあろう、と言う。但し、臣・連姓の成立時期と、それらの氏族の祖先伝承から考えると、大臣・大連制の成立時期は大王の号の成立よりもやや降るとみるべきであろう。」(『日本書紀(三)』井上光貞・大野晋・坂本太郎・家永三郎 校注 岩波文庫 352ページ)と述べており、現在の通説では大王号は雄略天皇の時代から成立しているので、大臣・大連の成立時期は少なくてもそれ以降という事になりそうです。


 以下では「大臣」「大連」について簡単に説明していきます。


◇「大臣」とは?

 「おみ」というかばねを持つ氏族の代表で、成務紀三年正月己卯条に武内宿禰たけしうちのすくねが大臣に任命されたのがその起源と伝えられていますが、実際は葛城氏から大臣が出る様になったとも、蘇我氏の時代になってから大臣が出たとも言われ、成立時期は諸説あります。


 『日本書紀』によれば、武内宿禰たけしうちのすくね葛城円かつらぎのつぶら平群真鳥へぐりまとり許勢男人こせのおびと蘇我稲目そがのいなめ蘇我馬子そがのうまこ蘇我蝦夷そがのえみし蘇我入鹿そがのいるか(但し、入鹿は蝦夷による独断で譲られたもの)が大臣の地位につきました。


 彼らに共通するのは武内宿禰の子孫を称しており、大和盆地の地名を冠して呼ばれ、同族意識が強かったらしく、推古天皇三十二年十月に元は葛城氏が本拠地としており、当時は天皇の直轄地であった葛城県の割譲を馬子が推古天皇に要求した事からも伺えます。


 別稿で各人物について触れる予定ですが、武内宿禰は六世紀に作成された旧辞には無く、蘇我氏が政界で勢力を振るった七世紀前半に作成された人物と言う津田左右吉氏の説か七世後半に活躍した「内臣」の中臣鎌足との関係を見るべきという岸俊男による説が有力な他、許勢男人も『古事記』にその名が見られない事などから、直木孝次郎・加藤謙吉氏等は実在の人物では無いとしており、現在通説のようです。


 まぁ加藤氏は著書で臆面もなく直木センセイを持ち上げてる方ですからねぇ。一定の敬意を表しながらも津田左右吉氏や彼の有名な「郡評論争」の際に師である坂本太郎氏を批判していた井上光貞氏と大違いです……学者の在り方としてどうなんでしょうね……、と話がずれました。


 この職は蘇我氏の時代に権力が強くなりすぎた為、乙巳いっしの変後の所謂大化の改新時に左右大臣に分けられました。


 なお、先の稿になりますが巨勢男人創作説に対する批判は以下に取り上げています。

・『日本書紀』で見る各時代の大連・大臣(7)謎の大臣・巨勢男人

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16816700426419892169


◇「大連」とは?

 一方の「大連」は「連」の姓を持つ有力豪族で、垂仁天皇紀二十六年八月庚辰条の物部十千根大連もののべのとちねおほむらじがその初見ですが、これは伝承に過ぎないと言われています。


 雄略朝に大伴室屋、物部目が並んで大連になって以来、大伴、物部両氏が大連になる時期がありましたが、大伴金村の失脚後、物部氏が単独でこの職を担っていました。物部氏も守屋が殺されると大連の称は消滅しました。


 大臣が大和盆地の地名を冠していたのに対し、「伴」や「部」など伴造とものみやつこ部民べみんそのものの名を姓としており、職業集団を率いて、古くから天皇家に奉仕していた豪族であった為、大伴家持の「海行かば水漬みづかばね 山行かば草生す屍 大君のにこそ死なめ 顧みはせじ」の歌の如く、天皇家に対する忠誠度が極めて強かったそうです。


 『日本書紀』では物部十千根、物部伊莒弗もののべいこふ物部目もののべのめ大伴室屋おおとものむろや大伴金村おおとものかねむら物部麁鹿火もののべのあらかい物部木蓮子もののべのいたび物部尾輿もののべのおこし物部守屋もののべのもりやが大連の地位に就いた事が書かれていますが、大伴氏が大連に就いた事は虚構で、物部麁鹿火以前は単なる敬称という説もあります。


 例えば、『物部氏の研究』(日本古代氏族研究叢書① 雄山閣)の篠川賢氏によると、「『古事記』では物部麁鹿火と大伴金村は、それぞれ「物部荒甲之大連」「大伴之金村連」と表記されており、『古事記』からは金村が大連に就いていた事がうかがえないのであり、また荒甲が「大連」と表記されている事についても、職位としても大連ではなく、敬称としての大連と考えられる。継体即位に伴う大連任命は大伴金村も含めて疑わしい」(169ページ)との事で、所謂大和王権の最高位の称号としての大連を認められるのは物部尾輿以降とお考えの様ですが、日本書紀よりも古事記を信用している根拠が不明な上、本当に只の敬称に過ぎないのか確認のしようが無いかと思いますし、何が何でも言いがかりをつけて日本書紀の記述を否定している様にしか見えない方なので個人的にはこの説をあまり信頼していません。


 祖先を敬称するために、美称「大」を付したに過ぎないという説に関する見解として、加藤清氏によれば、(大連の)任命記事を持たない物部伊莒弗、物部木蓮子などはこれに当たろうと推測なさっていますが、これが事実に近いのではないかと個人的には思います。


 私としては従来の解釈通り、葛城氏の衰退に伴い大伴氏・物部氏が台頭した時期に大連の称号が使われ始めたと考えています。


 継体朝は国の内外で軍事的に危機に晒されており、天皇の地位も不安定であったと考えられるこの時期に、軍事における下級指導官である伴造とものみやつこであった物部・大伴の二氏が大連という最高執政官に就くのはごく自然な流れなので、継体朝の物部麁鹿火と大伴金村が大連であった事は史実で、決して敬称などでは無いと考えるべきでしょう。


 次稿から『日本書紀』の歴代の大連・大臣をご紹介致します。



◇追記『先代旧事本紀巻第五』「天孫本紀」による大連・大臣の起源


★『先代旧事本紀さきのよのふることのもとつふみ巻第五いつはしらにあたるまき天孫本紀すめみまのもとつふみ神武天皇二年(前六五九)春二月甲辰朔

二年春二月甲辰朔。乙巳。天皇定功行賞。詔宇摩志麻治命曰。汝之勳功矣。念惟大功也。公之忠節焉。思惟至忠矣。是以先授神靈之劍。崇報不世之勵。今配股肱之軄。永傳不貳之美。自今已後。生生世世子子孫孫八十聯綿。必胤此軄。永爲龜鏡矣。

此日物部連等祖宇摩志麻治命。與大神君祖天日方奇日命。竝拜爲申食國政大夫也。其天日方奇日命者皇后之兄也。但申食國政大夫者。今之大連大臣是矣。


二年ふたとせの春 二月きさらぎ甲辰の朔。乙巳。天皇 いさをしを定めたまものを行ふ。宇摩志麻治うましまちの命に詔して曰く。「いまし勳功いさをしや。念惟おもへばおほきなるいさほなり。きみ忠節まめごころ思惟おもへばいたれるまことなり。是を以て先ず神靈あやしきつるぎを授けて、不世たぐひなきいさをしあがむくゆ。今、股肱ももひじつかさそへて、ひたふるふたごころなきのよしみつたへん。今自 已後のち生生うまれうまれ世世つぎつぎ子子このこ孫孫まこのこ八十やそ聯綿つづきかならすつかさぎ、ひたふるに龜鏡ながきかがみよ」

 此の日、物部連等もののべのむらじらおや宇摩志麻治命うましまちのみこと大神君おほみわのきみおや天日方奇日あめのひかたくしかたの命と、ならびけて食國をすくにまつりごと申す大夫まへつぎみと爲すなり。其の天日方奇日の命は皇后の兄なり。但し食國をすくにまつりごと申す大夫まへつぎみは今の大連おほむらじ大臣おほおみ是なり。)


*股肱の軄……天皇にとって手足のように信頼のおける家臣の職。

*龜鏡……手本、模範。

*食國の政申す大夫……天皇の統治する国の政治を天皇に報告する大夫


★概略

 神武天皇二年の春 二月甲辰の一日乙亥の日、天皇は論功行賞を行った。宇摩志麻治うましまちの命に詔して、

「お前の勳功は思えば大きな功である。公の忠節を考えると至って忠誠である。是を以て先ず神靈の宿る剣を授けて、不出生の勲に慈しんで報いる。今、我が手足の様に信頼のおける職を与えて、永遠に二心ない美徳を伝えよう。今より後、生まれ変わり、代が替わっても子々孫々まで長く連綿と必ずこの職を継いで、永遠に模範とせよ」

 この日、物部連等もののべのむらじらおや宇摩志麻治命うましまちのみこと大神君おほみわのきみおや天日方奇日あめのひかたくしかたの命と、並んで食國をすくにまつりごと申す大夫だいぶとなった。其の天日方奇日の命は皇后の兄である。但し食國をすくにまつりごと申す大夫とは今の大連おほむらじ大臣おほおみであろう。


★解説

 記紀には載っていない旧事紀独自の記事であり、恐らく古い伝承ではなく、旧事紀が書かれた際に加えられた伝承である可能性が高いですが、石上氏の『墓記』の『日本書紀』では採用されなかった内容か、或いは現在では失われた他の文献から引用した可能性もあるかも知れません。


 いずれにせよ後世の創作かと思われますが、物部氏、あるいは朝廷が本文の様な意識を持っていた時期が実際にあったのか検討する余地はありそうです。



◇参考文献

『日本書紀(二)(三)』井上光貞・大野晋・坂本太郎・家永三郎 校注 岩波文庫

『日本上代史研究』津田左右吉 岩波書店

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1041707/1/92

『日本古代史「記紀・風土記」総覧』 別冊歴史読本 新人物往来社

『日本古代氏族研究叢書① 物部氏の研究』篠川賢 雄山閣

「『先代旧事本紀』と物部氏に関する論考」―物部尾輿」加藤清(『歴史読本』二〇〇八年十一月号 新人物往来)


★『国史大系 第7巻』経済雑誌社 編 経済雑誌社

https://dl.ndl.go.jp/pid/991097/1/146

「天孫本紀」を訓読文にする際、訓を一部修正しました。


*『先代旧事本紀注釈』工藤浩・松本直樹・松本弘毅 花鳥社

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