第5話《願い》
俺が母を喰った。
目を背けたくなるような現実が俺を襲う。
たしか俺は、あいつに噛まれたんだ。その証拠に噛み千切られた服の跡が肩にのこっている。
そして俺は戦った。無我夢中で集まってきた餓鬼を殺したはずだ。
そこまで思考が追いつくと、俺は転化したのだとやっと気付く。そして、俺は餓鬼になり、母を喰ったのだ、と。
母の胴体はめちゃくちゃで、四肢はあらぬ方向へ向いている。どうやっても助からないだろう。
でも、どうして俺は意識を取り戻したのか。
神のイタズラなのだろうか。これが神の奇跡だとしたら、なんて残酷な奇跡なのだろうか。
意識が戻らなければ俺は母を殺してしまうという現実を理解することも無かっただろう。
そんな神がいるのであれば俺はどんな手を使っても殺してやるだろう。
どうしてこうなったんだ。
そうだ。俺があの時油断をしなければ。
それがアイツを先に見つけて殺していれば。
俺が、俺が、俺が、俺が…………
「なんて顔してるんだ…星夜……
グフッ、お前が帰ってきたのなら私は十分幸せだ。お前に喰われたのは私の能力不足で、お前は何も悪くない。…だから、そんな悲しい顔をするな…」
「で、でも、俺、母さんを…俺が…」
「私もよくこんな状態で話せていると思っている…でも、私ももう多分もう持たない…これが最後だ。笑った顔を見せて欲しい…もう、目も霞んできてるんだ…」
「ここ、ここにいるよ、母さん、俺、ごめんなさい。ごめんなさい。」
俺は必死に笑う努力をするが、どうしても涙が溢れて来てしまう。これが俺に出来る最後の母への恩返しのはずなのに、上手く笑みを作れない自分が情けない。
「ハァ…ハァ…星夜、謝るのは私だ。ごめんな。母親失格だよ私は。これからお前を一人ぼっちにさせてしまう…お前を守るのが親の使命なのにな…」
「そんなこと、そんな、………」
「いいか、これから言うことをよく聞け…これが私のできる最後の親らしいことだから…」
俺は、母からの『最後』という単語に返事をする言葉も出てこなくなってしまう。おれはただ、母の目をよく見て、一語一句聞き逃すまいと集中する。
「私は日本って国で産まれた。そこにな、私の友人がいるはずだ…私が死んだらその人を頼りなさい。私以外の人間は初めてだろうけど、行儀よくするんだぞ……あと、お前の力は人とは違う。あまり自慢すると怖がられるから、信じた人にのみ見せなさい。…だけど、お前は“人間”だ。人は1人じゃ生きられない。きっといつか、素敵な奥さんを見つけるんだぞ。そして、幸せな家族を作りなさい。奥さんは…そうだな…私みたいないい女にして、騙されないうにするんだよ…
あと、…あと…」
「うん、わかった、わかったから、それ以上は!!母さんが!!」
「んっ…いいから、聞くんだ…
これから星夜には辛い人生が待っていると思う。でも、その時はめげるんじゃない。逃げてはダメだ。どんなことを言われようが前を向いて歩くんだ。お前は私の自慢の息子なんだから。血は繋がってないが、それでも星夜は私の子だ。この前まではあんなにちっちゃかったのに、いつの間にかこんなに大きくなってな…。
こんな私を、“母”と呼んでくれてありがとう。
いつでもお前は私の希望だった。立派に育ってくれてありがとう。こうやって最後に一緒にいられるのだから、私は充分幸せだ。」
そう言ってはにかんでみせた母は、やっぱりとてもカッコ良くて綺麗だった。
「俺こそ、ほんとうにありがとう。育ててくれて、ありがとう。血なんて関係ない、俺の母親は齋藤優花、母さんだけだよ。」
「そうか…ありがとう星夜。そして、これは私からの最後のお願いだ…
どうか、私が私でいるうちに。
お前の母親でいるうちに殺して欲しい。
そろそろ私も転化する。でも私はお前のように戻ることは出来ない。だから、どうか、お前の手で。
あぁ、こんなこと頼むなんて本当に私はダメな母親だな…」
そこからは声がかすれ、口を動かすだけで何を言っているか聞こえない。
転化が始まろうとしてる。
あぁ、これはきっと“罪”なのだ。
そして俺への“罰”なのだ。
パリン と、何かの割れる音がした。
その日、俺は母を殺した。
そして同時に俺の中の何かが砕け散った。
飢餓と罪 たーくん @ta_kunnosiro
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