飴を食べるか眺めるか

朱鷺

姉と弟

春。桜が舞う頃。

東京一等地に安いアパートがあった。

4畳一間の狭いアパートに引っ越してきた芦屋平兵衛あしやへいべえは、フローリングの床に感動して手荷物を落とした。今まで自分の部屋など持ったことがなかったので、これから一人で暮らすことができると思うと、それだけで感動できた。

芦屋平兵衛は六男三女の大兄弟の末っ子としてこの世に生を受けた。六畳間に六人で寝ていたことを考えるだけで、もう嫌だった。

平兵衛が家を出たのは、長男が家を出ず、他の兄弟たちも、実家から離れようとはしなかったためだった。平兵衛と名付けたのは母親で、母親が大の時代劇好きだったため、平兵衛という現代ではダサい名前を授かったのだった。


平兵衛がピカピカのフローリングの床に頬を擦りつけ、ひんやりとした感覚を味わっていると、老婆の声がした。ふと顔を上げ、周りを見回したが、だれもいない。

幻聴かと思い直し、カバンから衣類などを出していると、再び老婆の声がした。

平兵衛はそれを今度は無視し、大好きな飴を食べようとした。

しかし飴は蒸し暑さから溶けたのか、うまく包装しから剥けなかった。

指では開けることができなかったので、はさみを使って飴を取ろうと考え、飴の包装紙にはさみを入れると、


「何をやっとるんじゃこの罰当たりが!!!」


と、老婆は怒鳴った。

平兵衛が顔を上げると、襖がガラリと開いて、そこに顔じゅう皺だらけの老婆がいた。あぐらを掻いて、こちらをじっと見ている。

平兵衛は答えた。


「何って、飴を」

「飴? 飴なんてどうでもよい。わしが言っておるのは、その包装紙のことじゃ!!」

「????」


平兵衛は顔全体に「?」を浮かべて、老婆と手元の溶けた飴の包装紙を交互に見た。個包装に描かれているのは、ちょっと有名なアニメのキャラクターだった。


「わしの推しにはさみを入れようなどと! お前は気でも狂ったのか!」


どうやら老婆の話は、自分の好きなキャラクターが描かれているこの飴の包装紙が欲しいらしい。平兵衛は切りかけの個包装の飴を、老婆の方へ放り投げた。


「うおっとと!? 投げるでない! 体が追いついていかんじゃろ!」


何をしても怒鳴られるのには、平兵衛は慣れっこだった。

そういう兄弟の中で育ってきたのだ。こんなこと、オチャノコサイサイとでもいうのだろう。

体が追いついていかないのは、歳のせいだと思うが。

老婆は手と足を伸ばしてなんとかキャッチし、溶けかけの飴を口に入れようとした。


「待って。袋ごと食べる気?」

「そうじゃが」

「袋は飲み込めないよ」

「……それもそうじゃな。それで窒息死しても、なぁ」

「そうそう。はさみ、使う?」

「いや、そのような野蛮なものは使わんで飴を食べてやろう」


平兵衛が取り出した飴もまた、溶けて個包装にくっついていた。なかなか剥がせない。むしろ、さっきのよりも、溶けている。

平兵衛は小さい頃から飴が好きだった。

泣いてる時も、怒っていた時も、親兄弟は、平兵衛の好きなものを与えた。

ある時、村でお祭りがあった。

お祭りではわたあめやりんご飴と、普段では食べられない華やかな種類の飴が売られていた。それを見るたびに幼い平兵衛は目を輝かせて、兄の肩に乗せてもらって、眺めていた。

眺めている、だけだった。

もちろん、買ってもらったことなど一度もなかった。


お祭りには行けても、出店で買うほどの小銭を、平兵衛は持ち合わせていなかったのだった。


「お前、なんという名じゃ」


平兵衛は必死に包装紙を外した飴を、口の中に放り込んだ。


「平兵衛。芦屋平兵衛という」

「ほお……芦屋。芦屋といえば、たいそう別嬪なお嬢さんがおっただろう」

「……姉ですね」

「そうそう。芦屋しおり。わしはしおりお嬢さんにも会ったことがある」

「そうですか。して、姉はなんと?」

「そうじゃな。お前によい暮らしをさせてあげられなかったことを、悔やんでおったように見えたが……そうそう! しおりお嬢さんが好きなキャラクターだそうだ、お前が持っている飴の袋」

「へえ。これが……」


平兵衛は飴のパッケージを見た。

顔立ちのよい青年が六人ほど描かれており、その傍らに、マネージャーと書かれた、顔のない女性が描かれていた。


「へえ……これが……」


平兵衛は理解できなかった。

目鼻立ちのよい顔はどれも同じに見えたからだった。

髪型や髪色が違うが、どの顔も、全て同じに見えた。


「僕には理解できませんね。これが、姉の好きだったアイドルだったなんて」

「二次元も三次元も、推しは推しじゃ。ちなみにわしの推しはこれ」


老婆は襖から身を乗り出してきて、手のひらに乗せて見せてきた。これは平兵衛が先ほどはさみで切ろうとした飴だった。


「こんなしわだらけのババァが好きになっちゃいかんのかもしれんが、これは一目惚れだったぞ。それが、見ろ。お前にそっくりじゃ」


このキャラクターだけ、他のに比べて見劣りした。

そう感じたのは、昔から見てきた顔だったからだ。



「…………いや、俺とは全然似てないよ。ばあさんの目、節穴なんじゃないの」

「……ふうむ。やはりそうだったか。わしの目が節穴じゃったのか……それは残念じゃのう」



老婆は平兵衛に背を向けて、すごすごと襖の中へと帰っていった。

この部屋には、クーラーがなかった。春先だというのに、外気温は25度を超え、室内も大概、暑くなっていった。先ほどまでひんやりとしていたフローリングの床も、今は温い。


さすがに引っ越してきた部屋で死なれちゃ困ると思った平兵衛は襖をガラリと開けた。するとそこには、見覚えのある顔があった。

自分の、顔だ。

襖の壁や天井にあらゆるパターンのポスターや写真が貼られていて、挙句には、布団カバーまでもが、自分だった。

平兵衛はそれを見た瞬間、吐き気を催した。

こんなに自分の顔を信仰されている状態を見てしまったのだ。

無理もない。

平兵衛はトイレに駆け込み、吐いた。

洗面台には、鏡がないのが幸いだった。

平兵衛は自分の顔を好きになれなかった。

自分で自分を、見ないように生きてきたのだ。

それなのに。

現実に連れ戻された気分だ。

芦屋平兵衛という名前も、家族構成も、名付け親も。


彼にとっては、ただの「設定」でしかなかった。


襖の奥からか細い声が聞こえてきた。

出てきたのは、白い手、そして、自分と同じ顔をした、長い髪の女……。


芦屋しおりその人だった。



「ごめんねぇ、へーちゃぁぁああん」



しおりは半分泣きながら襖の中から出てきた。

その姿は長い間陽の光を浴びていない不健康そのものであった。



「あたしがいけないのぉ。へーちゃんを、イケメンにしたから、嫌悪感を抱いちゃったんだよね。ブサイクでもイケメンでもあたしの可愛い弟には変わりないから、だからねぇ。自信を持って欲しかったんだぁ。あたしと同じ顔で、ごめんねぇ。今、あげるからねぇ」



芦屋しおり。

平兵衛の実の双子の姉。

弟に執着するあまり、弟の顔を描き直せるスキルを取得してしまった不幸な人。


しおりは学生時代は漫画家志望だった。

しかし夢は挫折。

苦しさから、マネキンに顔を描き始める。

いつの間にか、マネキンを操るようになる。



<自分好みの弟の作り方>

①マネキン一体を用意します

②自分好みの顔を描きます

③自分好みの設定を書き、後頭部に貼ります

④マネキンに「息」を吹き込みます

⑤目を開けたマネキンに自分が姉だと刷り込みます

⑥マネキンが自分を「姉」と認識したら完成です



さあ、皆さんもやってみてください。

代償は、自分の執念と時間です。



終わり





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飴を食べるか眺めるか 朱鷺 @tyukilliy-x

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ