しょうさい しょうさい ~近江の君早口見聞録~

長居園子

第1話

 エッ?おとうちゃッ…、じゃなくて、父上さまの第一印象?うーん、そう言われてもなぁ。初めて父上に逢ったときは、現実のこととは思えなくて、ただただ茫然としていたからよく覚えてないんだよ。だって、だれが想像できたと思うかい?近江の片田舎で春を売っていたアタシが、天下の内大臣さまの姫君だったなんてねぇ。自分でもいまだに信じられないよ。自分ちの前に突然立派な車が停まったかと思ったら、なかからいい匂いのする派手な服を着た男たちが出てきて、

 「お前は、わたしたちの妹だ。父上がお前に逢いたがっているから、一緒に来てもらおう」

 なーんて言い出すんだから。半信半疑で言われるがままついていったら、ひろーいお屋敷の一番立派な部屋にでんと座るおじさんの前に引き出されて、

 「そうか、お前があの女の娘か。母親よりは見栄えがいいな。わたしの血筋のおかげだろう。これならいけるかもしれん」

 って、珍獣よろしくジロジロ見られて父娘の初対面は終わりさ。あの父上の表情を見たとき、アタシは直感的に悟ったよ。男っていうのは、一皮むけばみんな同じなんだなって。豪勢な暮らしをする貴族さまだろうと、道端で物乞いする乞食だろうと、女を品定めする目はみーんな同じさ。アタシは職業柄ああいう男の目つきには慣れてるけど、いまだにそいつのツラにツバ吐きたくなるときがあるよ。


 まっ、そんなこんなであのでっかいお屋敷に住めることになって、(やったねッ!)と思ったのもつかの間、すぐに自分のした選択に後悔したよ。父上のところからさっさと連れ出されたあとは、風呂場へ直行して芋洗いよろしくゴシゴシ磨かれて、新品のかわいい服で着飾らせてもらったまではよかったんだけど、自分のものだとあてがわれた部屋に行ってみたら、しゃちほこばった厚化粧の女たちが

「わたくしども、本日より姫君さまのお世話をさせていただくことになりました。なんなりとご用をお申しつけください」

って、いっせいに頭を下げてお出迎えさ。そっからが、地獄だったよ。まーっ、毎日毎日飽きもせずに、琴だの習字だのの練習をさせられる缶詰の生活さ。「内大臣家の姫君にふさわしい教養と礼儀作法を身につけるため」なんだって。でも、アタシは知ってたよ。アタシのしもべだって名乗ったあの厚化粧の女たちが、陰でアタシのことを見下してバカにしてたことぐらい。フンッ!こっちはアンタらの言う振り分け髪のころから、経験豊富な年増の同業者とお客の取り合いしてたんだ。その気になれば、アンタらなんか裸足で逃げ出すくらいの啖呵は切れるんだよッ!

とはいえ、アタシもしばらくの間はそんな生活を我慢して送っていたんだ。厚化粧たちが、

「これまでの姫君さまの人生は、ご自身の高貴なご出自をご存じなかったがゆえのまやかしです。これからが姫君さまの本来の人生の始まりなのです。ですから、本来の人生を歩まれるにふさわしい女人にならなければなりません」

と吹き込んでくるのをバカ正直に信じてたワケ。でも、さすがに一人の知り合いもいないなかで慣れないことをする日々に滅入っちゃったから、「どうだ、息災にやっているか」って久しぶりに顔を出した父上に、泣きながら(ウソ泣きだけどね)お願いして、やっと親友の五節の君を呼ぶことができたんだ。


 五節が来てくれたことで、アタシの缶詰生活もずいぶんマシになったよ。ただ、昔なじみがそばにいてくれるようになったことで、アタシの押し殺していた〝素〟の部分がまたほじくりかえされちゃったみたいで、せっかく厚化粧たちに矯正されて改善されつつあった早口に戻ってしまうわ、ようやく熱が冷めたと思った博打癖がまた再熱してしまうわで、ただでさえ進みの遅かった〝近江の君姫さま化計画〟の見通しは絶望的なものになっちまったんだ。

んで、このころになると厚化粧たちも、一日中ぺちゃくちゃしゃべりながら双六で暇つぶしをするアタシらに辟易したみたいで、「わたくしどもの手にはもう負いかねますッ!」と父上に泣きついたもんだから、さぁ大変。酒吞童子みたいに顔を真っ赤にした父上がドカドカと部屋に入り込んで来て、「なぁにをやっとるんだッ!」って双六盤を蹴っ飛ばして大層なご立腹だったよ。なんでもあとから聞いた話なんだけど、ライバル(って父上が一方的に思い込んでいる)六条院が迎えた養女の玉すだれ…、じゃなくて、玉鬘って子がむちゃくちゃ美人でよくできたお姫さまらしくてさ、その子とアタシを比べて世間様が大笑いしてたんだって。そりゃあ、申し訳ございませんでしたねー。こっちは全然、お姫さまらしくなくて。それにしても、あのとき五節が

「近江ちゃんのお父ちゃんは、怒った顔が近江ちゃんとそっくりだねッ!」

って感心したように言ったときには、叱られてる真っ最中だったんだけど、つい吹き出しちまったよ。それまでガミガミ怒ってばかりだった父上も、そのひと言を聞いて急に苦虫を嚙み潰したように黙り込んじまってさ。まぁ、おかげでそれ以上叱られずに済んだから助かったけど。


とはいえ、これじゃマズいって話になって、アタシは「どうせ恥かくだけだから、イヤだ」って言ったんだけど、無理やり異母姉の弘徽殿女御さまのもとへ行儀見習いに出されることになっちまったのさ。いくら劣り腹とはいえ、アタシも同じ内大臣の姫さまなんだから、てっきり(おねーさまの話し相手でもしてればいいのかなぁ)なんて思ってたら、着いた途端お屋敷のはしっこにある吹きっさらしの陰気な渡殿に案内されて、「ここが今日より、姫さまの居所でございます」なーんてしれっと言われたもんだから、危うくその女房の横っ面張り倒しそうになっちまったよ。要するに、弘徽殿の女たちにしてみれば、アタシは主人から押しつけられた厄介者だったのさ。

不幸中の幸いは、このときはほったらかしにされるばかりで、琴だの習字だのの練習をしなくてよかったから、五節と好きなだけ博打ができて楽しかったよ。ひとつだけイヤだったのが、ときどき父上が顔を出したときには、おねーさまの御前に参上して大人しく座ってなきゃならなかったことかな。

 「どうか、内大臣さまのご不興をかわぬように、お静かになさっていてくださいましね」

だってさッ!フンッ!アタシが余計なことをしゃべって、自分たちがほったらかしにしてるのがバレたくなかっただけだろうがッ!まぁ、もっとも、父上はおねーさまとばかり話すことに夢中になっていて、かなり経ってから「あぁ、お前。いたのか」ってアタシの存在に気づくくらいだったから、ボロが出ることもなかったけど。


うん?弘徽殿女御さま?あぁ、そりゃあもう、きれいな人だったよ。アタシとおんなじ血が流れているとは思えないくらい、上品で高貴で。父上もおねーさまと話しているときは、自分の娘なのにいつもデレデレとうれしそうにしゃべってたっけ。アタシも少し運命が違ってたら、あんな風に父上と楽しく話ができたのかな…。

そうそう、おねーさまといえば、消息を書いたことがあるよ。あぁ、そうだよ。おねーさまへ消息を書いたんだよ。アタシが内大臣家へやって来て初めのおねーさまのお宿下がりがあったとき、こっちから出したんだ。「初めまして、わたくしあなたさまの妹の近江でございす。ぜひ一度逢ってご挨拶がしたいです」ってね。いやー、文面をひねり出すのに苦労したよ。なにしろ女御さまに出すお手紙でしょ?難しい本を開いて一生懸命に古歌を引用しまくってさー。我ながら上手くできたと思ったんだけど、返事が来たと思ったらわけのわからない歌が一首書いてあるだけなんだもの。意味がわからなかったんだけど、(とにかくお逢いできるってことなのかなぁ)と思って、慣れない十二単で着飾りまくって女房が呼びに来るの待ってたんだけど、待てど暮らせどお呼び出しがかからなくてさー。あとから聞いたら、おねーさまからの返事だと思っていた消息は実は女房の代筆で、歌もこっちをただからかってただけなんだってさー、ひどいよねぇ。


まっ、こんな冷やかしは日常茶飯事だったよ。アイツら上流の貴族さまは、自分よりエラい人にはやたら敬語使いまくってへりくだるけど、その分自分より立場が下のヤツは見下しまくって人間以下の扱いさ。一度なんてさ、尚侍になりたいって言ったら、父上までアタシのことをからかってくれちゃってさぁー。うん?そうだよ、あの宮中の女官の尚侍だよ。…なによ、その顔。アンタまでそんな吹き出しそうな顔して、なんか言いたいことがあるんなら言いなさいよ。こっちはこれでも本気だったんだから。

さっき話したあの玉鬘って子がさ、実は父上の娘でアタシの異母姉妹だってことがわかってさ、しかもその子が尚侍として宮中に上がるって聞いたもんだから、

「同じ父上の娘であるアタシのだって尚侍になれるはずだッ」

って主張してがんばったワケ。でも、兄弟たちはそれを聞いて大笑いするばっかりだし、頼みの綱の弘徽殿のおねーさまは、こっちが下働きのするような仕事まで買って出てお願いしたのに、「困ったわ、そんなことを言われても…」って黙り込んじゃってなーんにもしてくれなかったよ。しまいにゃ父上が、「お前が尚侍になりたいと言っていると聞いたが、本当かね?」って訊いてきたものだから、

「はい。ぜひぜひ、わたくしを尚侍にするよう帝へお願いしてください」

って、神妙に頭を下げたんだ。そしたら父上も、「そうか。そうか」ってにこにこしながら頷くものだから、(オッ、これはいけるかも)って思ったんだけど、

「ならば、帝へその願いをしたためた長歌などを差し上げたらどうかね?」

だってさッ!長歌なんて、このアタシが書けるわけないだろッ!あのクソ親父ッ!わかってて言ってんのさッ!おっと、これは失礼。ついついカッとなっちゃった。


ともかく、玉鬘が本当は父上が探していた行方不明の娘だったってことが世間へ知れ渡ったことで、アタシはますます隅に追いやられることになっちまったのさ。まったく、「父上はずっとお前のことを探していたんだ」と言われて、つい情にほだされてノコノコついて来た自分が、いまとなっては恨めしいよ。要するに父上はさ、帝のおきさきやいいとこの貴族のボンボンの嫁にできるような、利用価値のあるお姫さまがほしかったんだよ。それで必死こいて探した結果、アタシみたいな掘り出さなくていいものを掘り出しちゃったってこと。それでまぁ、玉鬘が自分の娘だってわかった途端、ぜーんぜんこっちへは寄りつかなくなったんだ。んで、その父上の調子に合わせるみたいに、女房たちもこれまで以上にあからさまにこっちを見下すようになって、いよいよ五節と肩身のせまーい思いをして過ごしていたんだ。


そんな胸クソ…じゃなくて、うつうつとした日々が続いていたある日、事件は起こったんだ。ものすごいイイ男が座っているのが御簾ごしに見えたものだから、にじり寄ってついジロジロ眺めちゃったのさ。そしたら向こうもアタシの視線に気づいた様子だったから、使い慣れない頭を総動員して歌を詠みかけたんだ。まぁ、案の定あっさりフラれたんだけど、それを見た女房たちが騒ぎ出してさぁ。妙に怒り狂うなぁと思ってたら、なんとそのイイ男ってのが、あの六条院の息子の夕霧だったらしくてさ。三高で、しかも独身ッ!っていう好物件にアタシみたいのがちょっかい出したのが気に入らなかったらしくて、「なんてことをなさってくれたんだすかッ!」「いい恥さらしだわッ!」ってもう大騒ぎだったよ。最初はアタシも、「あーあ、またやっちゃった」って反省したんだけど、あんまりにもあの女房たちがギャーギャー騒ぐもんだから、

「いい加減にしなよッ!そんな寄ってたかって人のこと罵倒しやがってッ!そんなにあの夕霧坊ちゃんの気を引きたいなら、アイツの寝床へ裸で忍び込めばいいんだよッ!そうすりゃ男なんてすぐにこっちのもんさッ!まわりくどい歌読みかけるより、そっちの方がよっぽど確実だよッ!」

って、バカでかい声で言い返しちゃったんだ。そしたら水を打ったようにシーンとなっちって、我に返った時には後の祭りさ。んで、(あ、これはもうダメだな)ってそのときはっきり悟ったんだ。いや、はじめっからわかっていたことだったんだ、心の底では。ここはアタシの居場所じゃないってね。ただ、自分が内大臣さまの姫君だなんて言われて、「もしかしたら」って分不相応な夢を抱いちまったんだよ。


それからのアタシの行動は速かった。女房たちが啞然としているうちに踵を返して弘徽殿のおねーさまの御座所に向かうと、

「いままでお世話になりました。本日をもっておいとまをさせていただきます」

って前口上もなしに申し上げたんだ。突然のアタシの襲来に最初はおねーさまも面食らってた様子だったけど、すぐに気を取り直して

「そうですか。わかりました。あなたがいなくなったら寂しくなるでしょうけれど、仕方がありませんね」

ってそれほど寂しくなさそうに言ったんだ。だからアタシもホッとして、「はい。ありがとうございました」って頭を下げてさっさと御前を後にしようとしたら、「ところでッ」と少し慌てた調子の声が背後から聞こえてきた。振り返るとおねーさまが少し戸惑った表情でこっちを見てた。まるで声を上げた自分自身に驚いているみたいに。

「ここを出て行って、その後はいったいどうするのです?あなたは父上以外に近しい身内もいないのでしょう?これからどうやって暮らしていくのですか?」

「別に以前の暮らしに戻るだけですよ。男を引っかけて日銭を稼ぐ。単純労働です」

「そんなッ、仮にも内大臣の娘であるあなたがそんなことをする必要はありません。どこか嵐山か宇治あたりに屋敷を用意させますから、そこで暮らしてください」

「いやいや、そんな郊外に引っ込んで中途半端な隠居生活なんかイヤですよ。近江へ帰ります。大丈夫。アタシが内大臣の娘だってことは、だれにも言いませんから、弘徽殿のおねーさまにも内大臣家の皆さまにもごめーわくはかけませんよ」

「そッそうではなくてッ!」

そう言って口ごもり赤面したおねーさまに、アタシはつい見惚れてしまった。だって、いつもみたいにめちゃくちゃキレイではなかったけれど、いつもと違ってすごーくかわいかったからさ。んで、その流れでなぜか気が大きくなってしまったアタシは、ついまた身もフタもないことを言っちまったんだ。

「アタシのことは気にしないでください、おねーさま。春を売るっていう商売は、結局おねーさまたち帝のおきさきとやってることは同じです」

「同じ?」

「手練手管で男をものにして、こっちの思い通りになるように奮闘するってとこですよ」

その時の呆気にとられたおねーさまの顔は見物だった。できればもうちょっと眺めていたかったけど、騒ぎを聞きつけたらしい女房たちの衣ずれの音が近づいてきたから、アタシは最後にニカッとおねーさまへ笑いかけて逃げるようにその場を後にした。それから自分の居所に戻って大いびきをかいている五節を蹴っ飛ばすと、多くない私物をかき集めてさっさとお屋敷を飛び出したってワケさ。せっかくタダ飯食らいができる生活だったのにって五節にはブツブツ言われたけど、知ったこっちゃないね。


エッ、上流社会で得た教訓?ないよ、そんなの。強いて言えば、いまのこの近江での暮らしがどれくらいすばらしくてありがたいものかってのがわかったくらいさ。あぁ、あとウマい話にはウラがある。エラいやつらに関わるとロクなことがないってことかな。あれッ?結構いろいろなことを学んでじゃないか、アタシ。でも、いま話したことの情報源がアタシだってことはぜーったいオフレコにしとくれよッ!弘徽殿のおねーさまに内大臣家で見聞きしたことは喋らないって約束しちゃったんだから。そうそう、写真はモザイクで名前もイニシャルにしてさ。お金は前回教えた口座に振り込んどいてくれればいいからさ。うん、またいつでも来とくれよ。んじゃ、アタシは仕事があるから。バイバーイ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しょうさい しょうさい ~近江の君早口見聞録~ 長居園子 @nanase7000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る