弔客

深川夏眠

弔客


 夫の父親が亡くなった。急に体調を崩し、病院へ行くと余命宣告。治せない病気ではないが、難しい手術なので、そこそこの年齢の患者に余計な負担をかけない方がよいという医師の判断で、本人には告知もせず、家族は粛々と来たるべき日に向けて準備を進めた――と言っていいかもしれなかった。

 葬儀の後、遺品を整理していたら、見慣れないウールのベストが現れた。渋みの中にほのかな華やかさもあるグレンチェック。スリムだった舅には、よく似合っていただろう。残念ながら、夫はぽっちゃり体型だから今一つに違いなく、本人も着てみたいとは言い出さなかった。

 さて、久しく交友が絶えていたらしい遠い知己に死亡通知を出さねば……と、故人のアドレス帳を開いた。几帳面なペン字の列から通夜・告別式の出席者を除いてリストアップしていった。

 一覧表をチェックした夫曰く、住所から見て、ほぼ父親の故郷の古馴染みではないか、とのこと。

「記憶にない名前ばかりだな。年賀状のやり取りすらしてなかったろう。下手すりゃ50年ぐらい音信不通なんじゃないか?」

「それでも完全に縁を切りたくはなかったんでしょうね。がしてるもの」

 折に触れてページをめくり、一人一人に想いを馳せていたのだろうか。会いたい、たまには帰りたい、けれども思うに任せない、そんな望郷の念が染みついたような手帳に哀愁を感じた。

 しかし、申し訳ないが、嫁の立場としては淡々と事務作業をこなすのみ。ひょっとしたら、知らされていなかっただけで、先方が既に亡くなっている可能性もあると考えつつ、一通りの印刷を終えた。


 ある日、聞き覚えのない声で電話がかかってきた。

「恐れ入ります、青山さんのお宅でしょうか」

 私や夫と同年輩と思われる男性だった。

「平賀と申します」

 名乗られてハッとした。挨拶状を送った中にあったはずの苗字。案の定、宛名の女性は鬼籍にり、息子さんが連絡してくれたのだ。

「母の代わりにお線香を上げたいと思いまして。ご迷惑でなければ……」

「はい、是非」


 三日後、夫は休日出勤のため、私が一人で平賀氏に応対した。彼はお子さんを連れてやって来た。小学校一年生だそうだ。奥様の趣味がいいのか、この年頃の女の子にしてはシックなワンピースを着ている。即座にピンと来た。が、妙な表情を出さないよう、気を引き締めた。行儀よくかしこまっているので、楽にしてねと言ってジュースやお菓子を勧めた。私は平賀氏とありふれた世間話をしながら、彼女から目が離せなかった。

 急ぎの要件が入り、平賀氏が中座した。私はお嬢さんをまじまじと見つめた。よく似ている。涙が溢れかかるのを必死に堪えた。お嬢さんは不思議そうな面持ちで、視線のやり場に困ってキョロキョロし、サイドボードの上のフォトスタンドに気づいて軽い困惑の色を浮かべた。生前の、元気だった頃の私たちの娘の顔が自分とそっくりなことに驚いたようだ。

「素敵なお洋服ね」

「生地が古いって、お母さんはあまり好きじゃないみたいだけど……」

 チャコールグレーのグレナカート・チェックに菫色のペイン

「ううん、上品で、凄くきれいよ。仕立ても素晴らしい」

 褒め言葉に気をよくしたのか、お嬢さんは瞳を輝かせて、

「おばあちゃんが作ってくれたんです。亡くなる前」

「とっても似合ってるわ」



                 【了】



*2021年3月書き下ろし。

**縦書き版はRomancer『掌編 -Short Short Stories-』にて

  無料でお読みいただけます。

  https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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