直観探偵サルバドル
多賀 夢(元・みきてぃ)
直観探偵サルバドル
真っ暗な屋敷の中を、二つの影が足音を隠して進んでいく。
「こちらです」
先行する影――この屋敷の当主であるアマル家の次女ジュリアは、後ろにいるサルバドルに向かって押し殺した声をかけた。半月の明りの中で、サルバドルが静かに頷くのが見える。ジュリアは少し息を吐き、再び気合を入れ直した。
「見張りが起きていたら、構わず逃げてください」
サルバドルはまた頷いたが、軽く肩をそびやかした。分かったから黙っていろとでも言いたそうだ。
(長い事この国を空けていたくせに、状況が分かってないの?)
ジュリアは焦りから怒りを覚えた。サルバドルはジュリアの従兄である。一族唯一の男子である彼は、神童の名もほしいままにし、当主としての将来を期待されていた。ところがある日『私はこの国を出ます』と書置きして、行方をくらましたのである。
ジュリアは、彼が消える直前に交わした会話を覚えている。
「直観とは知識なのだよ」
「直感とは感じるものでは?」
「それは君が得意な分野だろ。羨ましいな、幼少より勉学に溺れた私には、育っていない代物だ」
いつも自信に満ちて見えた従兄が、やけにちいさく見えた一瞬だった。
ジュリアはちらりと疑った。サルバドル従兄様は、あの時のように小さな人間になってやしないかしら。
部屋の前にたどり着いた二人は、3人の大男が大の字で寝ているのを確認した。ジュリアがふるまった睡眠薬入りの酒を、疑いもなく飲み尽くしたようだ。
「神殿騎士団がこの有様じゃ、国の未来は不安だな」
小声で皮肉ったサルバドルは、見張りの一人が腰に下げた鍵を易々と手に入れた。
「ジュリア」
「はい」
「そして君の直感が、この『病室』がおかしいと言うのだね」
「ええ。――理由は、分からないんですが」
徐々に自信のない言い方になりながら、ジュリアは少しうつむいた。
この部屋の中には、姉のオーロラが隔離されている。姉はこのローゼリア神国の皇王に嫁ぐ予定だったが、祈禱室で禊をしている途中に気分を悪くして倒れた。最高諮問機関である神殿は、姫を妬む者が呪いをかけたと判断し、自宅にて魔払いをせよとアマル家に命じた。
魔払いをする部屋は聖水により清められ、調度類にも神聖なシンボルを刻み、神殿より一流の退魔師が日参してオーロラのために祈ったが、オーロラは悪化し続けた。
オーロラとの面会は、家族でも時間を制限されていた。ジュリアは許される限り姉のそばにいようとして、ふと気づいたのだ。『部屋が何かおかしい』と。
だけどそれは直感でしかなく、誰に相談すればいいのかも分からない。その時思い出したのである、サルバドルと交わした『直観と直感』の会話を。
「君が宝石すべてを売ってまでして、僕を誘拐したんだ。君の直感に従おうじゃないか」
「……手段が手荒だったのは、認めますわ。ごめんなさい」
「過去なんてどうでもいいさ」
サルバドルはドアのノブをひねり、扉を開けた。
(確かに、これは異常だ)
うっすらとした半月光に浮かび上がったのは、ローゼリア神国が信奉するローゼ教の教えがびっしり書かれた壁紙である。ベッドの天蓋にはシンボルが織り込まれ、魔除けの香炉には使徒の意匠が彫り込まれている。鮮やかな色味は一切なく、月光の下でも白と金しかないと分かる部屋だ。
(しかし、白は本来清潔な色だ。聖水に毒でも混ぜたかと思ったが、それらしい匂いもない、
サルバドルはそこで引っかかった。聖水をかけ続けているのなら、普通は床板だとか壁紙だとかが腐るはずだ。なのに何故、どこも異変がないのだ。
天蓋をめくり、オーロラの様子を確認する。暗がりでよく見えないが、弱っているにしては妙にふっくらして見える。いや、この膨れた手を見るに、浮腫んでいるのか。
(おかしい)
知識に基づいた直観が、彼に異常を伝えてくる。
「ジュリア。皇王は、オーロラやこの家をどう思っている」
「皇王様をお疑いですの!?」
「静かにしろ。身分を取っ払って考えてくれ、皇王はどんな人間だ」
ジュリアは大いに考え込んだ。
「ええっと……姉と皇王様は親が決めた許嫁ですけれど、仲良しですわ。皇王様は姉よりも少しお歳が若いので、姉に甘えたりする事もございます。このお部屋も、皇王様が自分の祈禱室に似せているそうです。香も香炉も壁紙も、皇王様が選んだ物です」
「なるほど。だから白一色なのか」
いや、白だけではないか。贅沢に金の文字も描かれている。
ジュリアは己の両腕を抱き、寒くもないのにさすった。
「皇王様に悪意はないと思いますわ。だけど、皇王様が下さった何かが変だと思うのです。あんなに健康的な人だったのに、皇王様そっくりにふくよかになってしまって」
「おい待て」
「はい?」
「皇王も太いのか」
「はあ。色白でふっくらした、それでも愛らしい方ですわ」
サルバドルの脳内で、全てが一つに繋がった。祈祷室そのままの部屋、太ったオーロラ、同じく太った色白の『部屋の送り主』。
「急いで皇王に手紙を書け、このままじゃ皇王も危険だ!」
「え?」
ジュリアの目が点になった。この従兄は、一体何を直観したのだろうか?
数か月後、とある高級料理店。
「貴方には、感謝してもしきれない」
実に育ちの良さそうな青年が、サルバドルに微笑みながら礼を言った。
「それだけを言うためだけに、俺を呼び戻さないで下さい」
うんざりした顔で、サルバドルは赤いビロードが敷かれたテーブルに頬杖をついた。目の前の男は皇王である。彼はサルバドルが発した忠告を受け取り、神殿と居城を大改築した。その結果、彼は長らく悩まされていた体調不良から解放されつつあった。太っているだけと思っていた体も、少しずつだが細くなり、筋肉も付いてきた。
それはオーロラも同様である。別の部屋に移動させたところ、ゆっくりとではあるが血の気を取り戻し、最近は少しだが歩ける程度に回復した。二人の危機は去ったのである。
「しかし、『壁紙』が原因だったとは。朕の周りは、魔の障りだと騒いでいたのに」
「知識がない人間なんて、そういうもんですよ」
オーロラを弱らせていた原因は、あの部屋にも神殿にも多用された壁紙だった。正確には、壁紙に金を定着させる定着液だ。この液には毒物と同じ成分が含まれており、生き物ほぼ全てを殺す力を持つ。
しかしワンポイント程度の模様なら有害ではない。壁紙一面に金の文字を施すような、贅沢な使用が有害なのだ。血色が悪くなるのも、体が浮腫むのも、その成分が原因で起こる症状である。気づかずにそのまま生活をしていれば、当然死に至る。
つまりは、オーロラと同じ状況にいた皇王の命も危なかった訳である。
サルバドルは、給仕が注ごうとしたワインを手で断った。飲みすぎては知性が鈍る。
「俺よりも、ジュリアに感謝してください。彼女は知識はないにしても、姉への愛ゆえに直感で危機を察した。直感で俺を呼んで解決させた」
「そうとも言えるな」
「そうなんですよ」
サルバドルは皮肉気に口をゆがめた。
「俺には、自分の直感に従う勇気がありません。だから知識を求めて、直観でそれを補っている。直感に生きる者こそが有能です、ですから手元に置くのはジュリアが良いですよ」
「ならば、ジュリアと貴殿が婚姻を結べば最強だな」
皇王が茶化すと、サルバドルは心底嫌そうに激しく首を横に振った。
「やめて下さいよ。貴族なんて足枷があったら、知識を集める旅ができやしない」
皇王は愉快そうに笑った。このように真っ直ぐな男は、邪心だらけの神殿にはいない。だからこそ欲しいと思うのだが、それを強要するのはきっと駄目だろう。――朕の『直感』が、そう言っている。
直観探偵サルバドル 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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