前向育子は己の直感に物申す

ヒトリシズカ

私の直感はいい仕事をしているのか問題

 直感。

 虫の知らせともいわれるそれは、己れが積み重ねた経験であったり、はたまた野生的な勘であったり……とにかくじっくり時間をかけて考えて弾き出すものでは無い。条件反射にも似たものだ。通常、色々なものに直感は働くだろうが、ピンポイントでのみ働く場合もあるだろう。

 そしてその直感が、大概ネガティブな事象に働くと嘆く少女がここに一人。


 少女こと、前向育子まむかえ いくこは、小さい頃からトラブルが絶えなかった。


 卸したての洋服を着て外に出れば、嫌な予感がして立ち止まった直後に、猛スピードで車が突っ込んできて、目の前の水溜りの水を盛大に跳ね上げ頭から爪先まで泥でべったりと汚れた。


 学校の図画工作の授業で彫刻刀を握れば、嫌な予感がして顔を上げた直後、クラスの男子が後方からぶつかってきて、指の先を切った。


 窓際を歩いているとき嫌な予感がして窓から少し離れれば、部活中の野球部が打った球が有り得ない軌道を経て、こちらに飛んできて窓ガラスを突き破った。


 他にも挙げ出したらきりがないが、とにかく直感的に嫌な予感がすると何かしらのトラブルに見舞われるのだ。


 △


 昼下がりの高校の学食。

 各々が仲の良い友人たちと食事を楽しむなか、私と育子もお決まりの定食を注文し、席についていた。


「嫌な予感、嫌な予感って!もう!もっとこう、ポジティブなことに、なんで直感は働かないの?!」


 くぅ、と嘆く声と共に育子は吠えた。

 学食のテーブルで向かいに座った育子が箸を握りしめ、空いている左手を握り込みテーブルにグッと押し付けている。目の前でふんわりとしたボブヘアーが揺れるのを見ながら、私は育子と同じ定食をつつく。


「ポジティブな直感って、例えば?」


 付け合わせのポテサラを口に運びながら、続きを促す。


「今日の学食の唐揚げが一個多くついてきそう!とか。……まぁ、今日もいつもと一緒だったけど」


 育子は迷わず提案したが、私——佐伯絹さえき きぬは、それをバッサリ切った。


「それじゃただの願望じゃない」


 育子の言葉通り、今日の定食も変わらず、唐揚げは四つのままだ。ちなみに、私の食べている定食の唐揚げも四つから増えたことはない。

 すると育子は眉根を寄せて、うぅ〜ん、と唸りはじめた。


「うう〜、あ、帰り道500円玉拾いそう!とか」


 閃いたとばかりに顔を上げたが、口をついて出たのはまたしてもささやかな願望だった。


「今月始まってまだ13日なのに、もう金欠なのね?」


 きっと、この前大好きな漫画の初回限定版が出たとかで、買いに付き添いでついて行ったが、あれが意外と高くついたのだろう。売り場でその本を裏返した育子が、小さく縦に跳んだのを見ているので、多分間違いない。


「わかった!帰り道、素敵な男子と運命的な出逢いをする!みたいな?」


 育子は、どこぞのとどろき警部みたいに拳で手を打った。少々古臭い手振りを交えて景気良く出した育子の答えに、私は片眉を上げて返した。


「育子、彼氏欲しいの?」


「きぬちゃんがいるから、特にいらない」


 ふるふる、と首を振って即答した育子に、私はため息をついた。予想はしていたがあまりに予感通りで、呆れてしまう。


「育子が言う、ポジティブな直感って、全部直感とは違うものじゃない?」


 キョトンと首を傾げる育子は、いまいち違いが分からないらしい。多分、この後ちょっとむくれた顔で聞いてくるんだろうな。


「じゃあさ、きぬちゃんの言う、ポジティブな直感って何?」


 案の定、育子は箸を置くと、頬を膨らませながら聞いてきた。それに倣うように、私も箸を置いた。


「そうねぇ……」


 私は落ちてきた髪を耳に掛けながら、目を細めた。

 ポジティブかどうかはさておいて、私の思う直感とは、己れの経験に基づいた『多分、こうなるだろう』とか『これは良い、もしくは悪い』と瞬時に判断するものだと思う。

 それを育子に置き換えるのなら、『このままだと危ない』とか『嫌な予感がする』に相当するだろう。そして育子自身は、そのネガティブな直感が何故だか嫌なのだろう。だが私はそれをネガティブだとは思わない。ならば……。


「……育子が毎日、元気で唐揚げを食べられていることかな?」


 ストレートに言っても通じないだろうから、ちょっと捻った返しをしたが、どうだろう。ちょっと捻り過ぎて、育子には伝わらないかもしれない。


「へ?」


 唐揚げ?と顔中に疑問符を浮かべながら、皿の上の唐揚げと私の顔を交互に見つめる。

 やっぱり意味が通じなかったらしい。もう少し直接的に言ってみた方が良いみたいだ。


「ほら育子、トラブル体質じゃない。直感のおかげで怪我しないでいてくれるってことよ」


 ……あ、ちょっとしくじったかも。

 言ってからすぐ、口にした内容を後悔した。予想は当たり、育子の眉がどんどんと八の字に下がっていく。


「いやいや、めっちゃ細かい怪我するじゃん私!つまり、それって、私の直感が全然仕事してないってことじゃん?!」


 育子はガタリと音を立てて立ち上がると、焦ったような、悲鳴のような声で叫んだ。感情豊かな育子のことだ。ここで放っておくと、多分、泣く。だから私は、畳み掛けるように言葉を重ねる。


「でも大きな怪我しないでいてくれるじゃない」


「…………大きな怪我?」


 思いがけない言葉に、育子の涙は引っ込んでくれたようだ。口をへの字にしながら、鸚鵡返しに聞いてくる。


「そう、細かい怪我じゃなくて、大きな怪我。したことないでしょ?」


 育子は確かにトラブル吸引体質だから、細かい怪我は絶えない。だが、逆に医者に診せたり、入院しなくてはいけないような怪我はしたことが無い。


「それってつまり、育子の直感が良い仕事してるからでしょ」


 育子の直感——育子に言わせるところの『嫌な予感』がして立ち止まらなければ、猛スピードで走ってきた車に轢かれていたかもしれない。


『嫌な予感』がして顔を上げなければ、細かい作業をしていた育子の彫刻刀は、ぶつかられた反動で近目で作業をしていた育子の目を突き刺していたかもしれない。


『嫌な予感』がして窓から離れていなければ、割れた窓ガラスが育子の顔面に降り注いでいたかもしれない。


 私が知り得る限りの、育子が言っていた『嫌な予感』と、もしもその直感が無ければの『ifもしも』を挙げていく。

 そして、じっと育子の目を見つめれば、まんまるの目がより大きく開かれていく。


「私の直感は、ネガティブじゃなくて、ポジティブに繋がってるってこと……?」


 私はやっと伝わった真意に、にっこり笑う。そして再び箸を取ると、ある物を摘んだ。育子は笑顔になる。絶対に。


「そうそう。だから、その頑張ってる直感の為に、この絹さんが労って進ぜようー」


 ころん、と育子の皿に、私は自分の皿に乗っていた一番大きな唐揚げを乗せる。

 みるみるうちに、眉も口角も上がっていく育子を見て、私も大満足だ。


 私は、育子の直感をネガティブだとは思わない。何故ならば、その直感のおかげで、私は今日も育子と楽しい昼食を楽しめるから。


 そして私の、育子に関する直感だけはいつだって良い仕事をしてくれるのだ。

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