あの頃はまだ、小さく丸かった彼女の背中

@haitaka07

直観はハズレ、覆る

 高校まで学校生活を経験すると、なんとなく今後の人生でも関わりそうな相手は見えてくる。


 だからその日、彼女を見たとき、あたしは思ったのだ。


 ──こいつと関わることはないんだろうな、と。


「は、長谷川瑠衣はせがわるいです……よ、よろしくお願いします」


 小心さから丸くなった、細い背中。

 顔を隠すように伸びた長い黒髪は陰気が漂い、黒縁メガネの奥にある視線はきょろきょろと散らばって落ち着きがない。


 小声でお辞儀をした彼女は、ハッキリ言って、ぱっとしない陰鬱な少女だった。


 顔が良い悪い以前の問題。

 前髪長すぎ、眼鏡ダサすぎ、オドオドしすぎ。


 吃音でもなし、話始めに出る「あっ」てなに。

 そのせいで『カオナシ』なんてあだ名付けられて。行動ひとつひとつがワンテンポ遅い。


 ほら、また了承も拒否もできないままメンドーな委員やら掃除やらの雑用を押し付けられてる。


 その上、クソ真面目ときたらもう救いようがない。

 文句ひとつ言わずに全部やりきるのだから。そりゃ生徒も先生も、「あっ、いいんだ」と思って、みんなして任せるよ。


 幸いにもなんでも言うことを聞く分、いじめっ子に特別目を付けられるでもなし。

 都合の良い給仕とか、面白半分にからかう玩具のような扱いに留まっていた。


 そして、それはこんな場面においても──


「はいはーい。ミスコンは長谷川さんがいいと思いまーす!」


 文化祭の恒例行事を決める、ホームルームで。

 クラスのギャルがもはや転校生という肩書ではなくなった彼女を推す。


「それはちょっと……ほら、うちには読モもしてる高嶺麗たかみねれいさんがいるわけだし。ミスコンはやっぱり彼女に出てもらうのが一番じゃないかな?」


 教壇に立つ実行委員の困惑した視線が、あたしに向く。

 うわっ、だっる。ここで変に拒否ってもメンドくさそー。


「……べつに。あたしはどっちでもいいけど」

「えー、そんなのありきたりでつまんないじゃーん。高嶺さんには男コンに出てもらえばよくない?」

「あっ、それはサンセー!」

「高嶺さんの男装とか、ぜったいイケメンじゃん!」


 おいおい、本人の意思ガン無視かよ。

 いや、いいけど。あたしもそっちのほうが気ラクだし。


「ほらねー? みんなもこう言ってるわけだし? 男コンは高嶺さんに任せて。ミスコンは他に立候補とか推薦がなければ、長谷川さんってことで」

「で、でもそれは、その……長谷川さんは、それでいいの?」


 悪ノリの空気に戸惑う実行委員の視線が、件の彼女へ向く。


 あー出た。自分は悪者になりたくないからって、相手を尊重してるフリして決定を委ねるアレ。

 

 それを彼女へ託す時点で。もはや答えは見えている。


「あっ……み、みんなが、そう言うなら……」

「はいケッテー! 異議ナーシ!」

「長谷川さん、頑張ってね!」

「ふぁいとふぁいとー! ひゅーひゅー!」


 案の定、俯き加減に答えた転校生の一言に、善意と悪意の混じった雑な拍手が沸き、ホームルームは終結した。


「マジにアイツで決まるとか。チョーウケる」

「ひっでー。こっちは高嶺さんの男装見れたらそれでいいわ」

「でも、カオナシがステージに上がるとこ想像したらヤバくない? 『あっ、あっ』つって。顔真っ赤にしてさ」

「きゃっはは、なにそれ。手から金でも出んの? 草不可避なんですケド」


 そんな下品な笑い声が昇降口から響く。


 当の本人は聞こえているのかいないのか。

 またしても掃除当番を肩代わりして、黙々と箒を持つ手を動かしている。


 バカなヤツ。完全に笑いモンじゃん。

 担任は担任でまともに見る気もないし。やる気ゼロ。


「……マジでクソだな。学校ここは」


 時間を持て余したクソが、クソみたいな理由で、クソみたいにクソの誰かを陥れる。


 こんなところにあたしの居場所はない。

 あたしはあたしのしたいこと、目指す場所がある。


 そのために仕方なく通ってるだけで、叶うなら今すぐにでも卒業して、そっちに没頭したい。


「……あんさー。あんた、これでいいワケ?」


 思わず、あたしは掃除中の彼女に話しかけていた。


 彼女もまさか声を掛けられると思ってもみなかったのだろう。「えっ」と驚いた様子で振り返る。


 あー、もう。関わるつもりなかったのに。なんで話しかけたかなー。

 自分でもよくわからないまま、こうなったらヤケだとあたしは続ける。


「気付いてっか知んないけどさ。あんたプチイジメに遭ってんだよ。いまでもそう、今日当番じゃないっしょ。なんでもはや恒例行事と化してんのコレ」

「えっ、だって、用事があるからって……代わってほしいって……」

「はぁ? んなの嘘に決まってんじゃん。どんだけ頻繁に用事あんだよ、M-1優勝した売れっ子芸人かよ。あんたもマジにそれ信じちゃってるワケ?」

「あっ、いや……それは……」

「まぁあたしはどーでもいいけどさ。イヤならイヤって言いなよ。ミスコンもそうだけど。あんたがイヤって言うんなら、今からでもあたしが立候補してやるし。したら、さすがにあいつらもあんたを男コンに出そうなんて思わないっしょ」

「あっ、ありが、とございます…………でも、あの……」

「あ? なに?」


 モゴモゴとまごつく彼女に、あたしは無意識に目を細める。


 本人に悪気はないのだろうが、おろおろとこちらの顔色を窺う挙動が、いちいち癇に障るのも事実。

 僅かながら、あのクソイカレ女たちの気持ちもわからんでもない。ホント僅かながらだが。


「えと、わ、わたし……その……ミスコン、に……」

「……ん? もしかして、あんた出たいの?」


 あり得るはずのない先の言葉を、あたしは代弁した。

 すると、彼女はびくりと肩を震わせ、「えっ、あぅ……」と変な鳴き声を上げながら、顔を真っ赤に染めた。


「わ、わかってます……わたしみたいな暗いやつが、そんなの出るの可笑しいって……あの人たちも、わたしを嗤う為に、推薦したんだって……」

「だったら──」

「だ、だけど……わたし、好きなんです。お洋服とか、見るの。可愛くてオシャレで、あーゆーの、ずっと……いいなって……」


 珍しく、彼女は意見した。

 他人の口上を遮ってまで、素直に自身の気持ちを打ち明けて。


 その瞬間、あたしの中にあった、彼女の印象がガラリと変わった。


「ご、ごめんなさい……! せっかく、わたしのこと思って……わっ、忘れてください。あり得ないですもんね、あははっ……」

「……なにそれ、チョーいいじゃん」

「へっ……?」


 あたしはニヤリと笑って、彼女の丸い背中を叩いた。


「ひっ……!」

「まずは姿勢。もっと背すじ伸ばしな。それだけで印象だいぶ変わる。あと、髪切れ。特に前髪。短すぎてもいい。あたしが持ってるウィッグで後からどうにでもなる。それから──」

「えっ、あの、えと……?」


 言い募るあたしに、彼女は再びオドオドと困惑した様子をみせる。


「分かんねーの? あたしが手伝ってやるってんだ」

「なっ、なんで……?」

「そりゃ面白そーだから。あんたを笑いモンにしようとした奴ら、全員の度肝を抜く。想像しただけでたまんねーっしょ?」

「は、はあ……?」


 いまいちピンと来ていない様子だ。まぁいい。

 それはこっちの動機。彼女にはこう言った方が響くだろう。


「あたしが、あんたをシンデレラにしてやるってこと。分かった?」

「はっ、はひ……!」


 情けのない、だが力強い返事を聞いて。あたしと彼女の奇妙な関係は築かれた。


 モデルの撮影で学んだ立ち方・歩き方の指導。現場で知り合った一流の美容師とプロの化粧師に、彼女のカットからメイクアップまで依頼。


 そして、当日の衣装は──あたしが作った、お手製のドレス。


「実はあたし、モデルじゃなくてデザイナーになりたいのよ」


 舞台裏。

 ミスコンの出場者が続々と名を呼ばれる中、彼女の着付けを手伝いながら、あたしは語る。


「いま読モやってんのも現場を知って、コネを作るため。その甲斐あって、それなりに知り合いも多いし、良いセンセーのいる芸術大学トコも教えてもらった」


 だからかもしれない。

 「オシャレがしたい」と、彼女が心から叫んだのを聞いたから。


 あたしは、あたしのために、彼女の願いを叶えたくなったのかもしれない。


「──はい、出来た」

「ふあぁっ……!」


 鏡に映る自身を見詰めて、彼女は目を輝かせた。


 青い花柄レースとシフォンプリーツを組み合わせた、透け感の美しいドレス。


 ふんわりとゆとりのあるロングスカートは、ハイウェストも相まって、スラリと脚長に見える仕様だ。


「すごい……こ、こんなのわたし……」

「大丈夫、ちゃんと綺麗だ。それともあたしの衣装まほうが信じられないか?」

「……うぅん。高嶺さんなら、信じられる」

「なら、行ってこい。胸張って、優雅に歩いて。存分に魅せつけてこい」

「う、うん……!」

『──続きまして、二年二組の長谷川瑠衣さん。登場です』


 遂に、名を呼ばれた彼女が、舞台へ向かう。

 スポットライトの眩しい中心へ彼女が躍り出た瞬間、沈黙。


 固唾を呑む音が聞こえてきそうな、そんな静寂が辺りを支配した後──……すぐに熱の帯びた拍手が、会場を埋め尽くした。


 その日、一番の盛り上がりを見せた彼女は見事、表彰台に上がったのだった。


◇◇◇


「絶対に、あんたとは関わることはないと思ったんだけどなー」


 あれから十年。

 ファッションショーの開催される、アリーナの舞台裏で。


 あの頃と同じように、あたしは彼女の衣装を手掛けていた。


「まさか、あんたがモデルにねー」

「あはは……まだまだ駆け出しだけど、ね」


 照れたように微笑む彼女。カオナシなんて呼ばれていた頃が懐かしく思える。


 もしかしたら、彼女の本音を聞いたあの瞬間、あたしの直観は覆っていたのかもしれない。


「はい、出来た。あたしの服、ちゃんと魅せつけてこいよ」

「うん、任せて。高嶺さんの魔法ちゃんと利いてるから」

「やめろ。黒歴史なんだ、思い出させるな」


 あたしの嫌そうな声に、彼女はくすくすと笑って。あの頃と同じようにステージへ向かう。


 その背中はもう、あの頃のように小さく丸まってはいなかった。

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