toto caelo

都途回路

第1話

特集  都途回路


 社会常識を揺るがす緻密な設定と、エキセントリックな登場人物で注目を集める奇才・都途回路。その謎めいた創作の原点に迫るインタビュー


——作家を目指したきっかけはソローキンの小説だったそうですね。どのように影響を受けたのでしょうか?


 小説を書けるという勘違いを起こさせたのが中学生の時に読んだ「青い脂」でした。それから、不条理ものというか、現実を支える認識をひっくり返す小説にのめり込みました。いや、のめりこむといっても、大学に入るまでは小説を読むこと自体ほとんどしませんでした。小説を見る目がなかったのです。影響といえば、常識を粉砕した方が良いという意識を持てたことが大きいでしょう。それまで、私は世間に迎合することばかりを考えていたのですよ、意外に思うかもしれませんが(笑)


——そうですね(苦笑)ご自身で「クソ真面目なからくり人形だった」と青春時代をふりかえておられますね。


 学校でひどい洗脳を受けたのです。東京芸大を目指して絵の勉強をしましたが、まったくだめでした。それからうつ状態になったのは幸運でした。自殺未遂をしてすっきりとしたものです。そして幻聴の楽しみを覚えました。フィリップ・グラスみたいな曲が聞こえるんです。


——初めて小説を書いたのが、大学一年生の時と、遅咲きだったんですね。


 実質的にそうですね。「アドホックな宇宙」なんかは小六くらいから構想を練っていましたが、書き始めたのは大学入学直前だったと記憶しています。大学の文芸部に入ったのですが、最初は迷走しまくっていましたよ(笑)あと、一年生の後期になって、小説サイトに投稿するようになりました。でも全くリアクションがなかったから、私は天才なんだと思っていました。


——「都途回路」というペンネームを作ったのもその頃ですか。


 はい。自分でペンネームをつけて、すぐにそれを小説にしました。「toto caelo」という題名だったと思います。確かカリスマ小説家の私を書いたんです。


—都途さんの方針が定まったのもその頃ですか。


 まあ、常識を掃除することにしたっていうことです。



 都途回路は自身に対する文芸誌のインタビューを読んでいた。


 インタビュー記事は大変不満な仕上がりだった。大幅な編集で彼の発言が削除されていた。若年期に関するエピソードは、実際もっと多く話したはずだった。下着を汚しながら夢中で「青い脂」を読んだとか、芸大を諦めた後で北大を目指したとか、離人症——自意識が死んで体だけが生きている状態——が十一年続いたとか、そんな話をしたはずだった。


 メディアの取材はこれだから避けているのだ。今回は受賞に気をよくして承諾してしまったのが運のつきだ。これだけ恣意的な編集があると、彼のイメージが良くなって困る。


「これで私がokを出すと思いますか?」都途は編集者を睨みつけた。

「いや、あの、控えめにしてくださいと申し上げたのですが…」編集者は言葉を濁した。

「だったら取材しないでください。作家を勝手に料理するんじゃない」


 彼はピシャリとのラップトップpcを閉じた。teamsの画面の向こうでは編集者が胸を撫で下ろしているだろう。都途回路はただでさえ扱いにくいキワモノだ。それ対してインタビューでまともな回答を求める方がおかしいのだが、その試みの失敗を認めたくないのが出版社だ。

 彼は自らそうしているのだ。この名前を使い始めてから、ずっとそれを完徹している。


 この小説を読めばお分かりの通り。

 

 「私はは天才だ!」と脳のある部分で信じている。本気で信じている。

 私は都途回路を創造した。そして私は都途回路になった。

 都途回路は私の空想の中の私だ。現在の私と設定が地続きにもかかわらず、全くの別人と言っていい。そもそも、私は小説家を目指していないのに、将来の私像は変人の小説家だ。

「カリスマ小説家・都途回路」よりも、私の方がよほどおかしいに違いない。

 この奇妙な現象の原因には心当たりがある。

 私の脳の別の部分では、「私は知恵遅れの社会の落伍者だ」とやはり本気で信じている。いづれも私にとっては信じるに値する命題なのだ。しかし、両者を同じくらいの蓋然性と見積もっているのだから、後者である蓋然性がますます高くなる。それゆえに、私は自己評価を誤っている。その結果というのが、「都途回路」なのだ。

 困ったことに、私は都途回路になってしまった。その告白をここでしている。今、それをpixivに放り込もうとしているのだ。



 都途回路は自宅を出た。


 編集者への怒りが収まらず、頭が熱くなり轟音が響いていた。足を踏みおろすたびに頭が揺さぶられて痛みが生じる。

 次々と湧いては脳の圧力を上昇させる思考を振り切るために、彼は早足で歩いた。侮辱の現場から離れ、思考を執筆に適した状態に戻すのが、この外出の目的だ。

 二十分ほどひたすら歩き続けたところで、ようやく怒りが下火になった。同時に、周囲の風景を観察する余裕が生まれてきた。早足では景色が流れるのが早すぎて目が回る。


 歩調を緩め、彼は国道沿いのスターバックスに入った。


 都途回路はどこでも自由に行くことができる。顔を公表していないためだ。それは静かな生活に必要なことだった。奇妙な振る舞いをすることも、心の安寧のためだった。一度死んだ自意識に余計な負荷をかけないためだった。


 彼はカフェ・ミストとチャイ・ティーラテでしばらく迷って、後者を注文した。強い甘味と香りが欲しかったのだと解釈できる。彼はコーヒーに砂糖とミルクを加えることを嫌っていた。心的エネルギーを激しく消耗した身に、糖分を補給するためには、チャイがちょうどよかったのだ。糖分と心的エネルギーが等価であると仮定すればの話だが。


 しかし、知名度が低いわけではない。ネット上には熱狂的なファンがいる。


 彼はリュックからPCを取り出した。機種はmicrosoft surface。だがOSはLinuxだった。生まれ持っての中身を抜き取られ、外見だけ同一性を保った存在。それは都途の鏡だった。

 そのPCには、Latex、Anacondaなど作家らしからぬアプリケーションが入っていた。それらは大学生時代の名残だ。彼は情報科学系の大学に進学した。いつか「常識人」の脳を洗脳から解放することを目指して。



 私は、急に空想から引き戻されて、今ここにいる自分自身の認識を再点検し始めた。

 ああ、何を考えているのだ、私は!私は脳の読み書きのために情報工学科に入ったのか?

これは過剰な創作ではないのか?何のために私は人工知能を学んでいるのか?何のために小説を書いているのか?

しかし、疑問の嵐が収まるやいなや、私は自己認識をアップデートした。コンピュータ科学を学ぶ目的を改竄したのだ。



 それでも、学生時代の都途は脳インターフェースや意識アップロードの研究をしなかった。代わりに、人語で小説を書くことにしたのだった。


 PCで作業を始める前に、彼はtwitterにログインし、自身へ宛てられた公然の独り言を探索した。それは主に受賞の反響を調査する目的だった。


 およそ五十のツイートを見たところで、大体の傾向が読み取れてきた。よく彼に言及する人物らからは、主流派の表現に接近して作風が変わってしまうことを危惧する声が上がっていた。一方、受賞でこの作家を知って気に入ったという声や、受賞者と審査員の人選を疑問視する声も見られた。そのほかは、「都途回路は気に入らない」とか、「どうせイロモノ扱いで終わるでしょ」といった、人格に対する非難であった。


 不思議なことに、作品の内容に具体的に言及した発言がほとんど見られなかった。このことは次のように解釈できる。一つ目の解釈は、ほとんどの新規読者にとって、都途の作品は言語化の手がかりを欠いているというもの。二つ目の解釈は、受賞を知った人々の多くは、作品ではなく作家の方に興味を抱いているというものである。後者が事実なら、彼に対するメディアの態度が、より偏見に満ちたものに変化する可能性が高い。これは危惧すべき事態だった。


 分析の結果、彼の作品は一部のファンには理解されても大衆の心には響かなかったという結論が得られた。彼はため息をつき、空いたところを埋めるようにチャイを流し込んだ。


 にわかに大衆に注目されるようになった今、目的を達成するための手段を一段と強化しなければならなかった。より広い範囲で効果的に「常識を掃除する」ための方策を練り直さなければならないのだ。

 頭を掻きむしりながら、彼は執筆作業に入った。




 再び私は我にかえり、自身の境遇に意識を向けた。

 私と、私が創造した自己像には、天の幅ほど——toto caelo——の違いがあった。それでも共通点はある。「常識を掃除する」ことは私にとっても心からの希望なのだ。

 では、素人物書きの私ができる常識やぶりのことは何かと自問するのだ。

 その答えは分かりきっている。私の心の中に居着いたカリスマを利用するのだ。この私の奇妙な精神構造を公衆の目に晒すのだ。 

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