知らない君へ
深川 七草
知らない君へ
椅子から立ち上がり、目を瞑ると首を傾げて下を向く。
何故こうしているのかよくわからないが、周りがしているから自分もしている。
いやたぶん、わかっている。
まあ答えはひとつじゃないとしておいて、だがそのひとつを持ち出せばそのわかっている理由は自分も持っている。それはむしろ、他の者よりわかっているのではと思うほどである。
朝一番やってきた校長は、それが終わるのを見届けると職員室から出て校長室へ戻って行った。
いままで校長が口を挟むときは、散らかった机や作り付けの棚からあふれる書類で乱れているときぐらいであった。生徒のことも任せっきりであり、信用されているのか関わりたくないのかと悩むぐらい大人しい人物であったのだ。
しかしここ最近は、そうもいかないようだ。圧力を感じているのだろう?
そりゃこうも、銀色に輝く飛行機が頭の上を通り過ぎればである。
もちろん自分たちにある話なのだから、生徒たちにも伝えられた。
彼らは素直に従う。理屈ではなく感覚でわかるのだろう。
しかしである。
感覚でわかったからといって、理由がいらないとは限らない。
「ええと、」
休み時間、廊下を移動していると担当している教室の生徒がすれ違いざまに足を止め自分に話しかけてきたのである。
何かを聞こうとしている君のことは実はよく知らない。だって、この国難で動員された偽物の先生なのだから。
「何て思うの?」
?
どうでもいいことを考えていた自分は、生徒の言葉に一瞬きょとんとしてしまう。
「祈るの?」
ああ、想像するに朝の話である。目を瞑っているあいだ、何を考えるのかということであろう。
願いごとをするでもなく、許しを求めるでもなく。
おそらく、その者のことやその家族のことを思ってもいい。無心でもいい。形が同じだからといっても同じ考えを共有する必要はないだろう。
だが答えは必要か。
「そうだね。あなたのことを思っています。忘れません。と、感謝の気持ちを心で伝えたらいいんじゃないかな」
自分はちょっと、気持ちを濁して伝えた。
「うん。お国のためにありがとうだね」
この子が言う通りなのかな。きょう祈りをささげた理由は、誰もが知っている大将が前線で華々しく散ったという理由なのだから。
昼休み。職員室に戻ると持ってきた小さな弁当をありがたくいただく。食えるだけマシだと言い聞かせながら食べ終わってしまった弁当箱をしまうと、棚に放置されていた新聞を引っ張り寄せた。
“負けてなるものか! 大将の意思を継ぐ若き精鋭、主要な地点を次々攻略”
“東方戦線異状なし。まもなく配備完了! 防衛を司る新兵器”
踊る見出しから下の方に目をやれば、小さな記事が続く。
“竹槍を手に訓練を披露する少年たち。「これは見事」と観覧する少尉もその勇敢さを称える”
“旗振る人々を横に通り過ぎる不良市民に注意する官憲”
午後の教室はまばらである。
廊下で質問をしてきた彼もいない。
彼は缶詰工場での仕事があるから午後はいられないらしいのだ。あと、お兄さんも工場動員に行っていると聞いた。しかも、弟もいるとか。
こう考えると、君のことを少しは知っているのかも知れない。
あの時、言ってもよかったのだろうか?
『なんで祈っているのか自分にもわからない。そのあいだ、何を思ったらいいのか本当は知らない。どんなにその者が立派な人だったとしても、私は感じられない』と。
そして、伝えてもよかったのだろうか?
『もし無名の君に同じことが起きたなら私は祈ってしまうだろう。本当は祈りたくないのに』
きっと、許されない発言ある。
知らない君へ 深川 七草 @fukagawa-nanakusa
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