『直観』明治23年には存在しない言葉

井上みなと

第1話 その時代にはない言葉、うっかり使っていませんか?

 今回のKAC2021は『明治東京妖怪奇譚』(https://kakuyomu.jp/works/16816452218826976297)の番外編で揃えようと思ったのですが、タイトルのような理由で書けなかったので、エッセイ風の明治話となりました。良かったら『明治東京妖怪奇譚』や他の番外編もお読みいただけたら嬉しいです。

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 直観という言葉は元々、英語やフランス語の『intuition』から来ています。

  

 自分の知る限り、『直観』という言葉が出て来るのは明治27年以後です。


 それまでは『直覚』と言われていました。

 

 明治の教育者であり、文部官僚であった伊沢修二が明治21年に出した本『教育学』でも『直覚力』という言葉が使われています。


 明治11年に文部省から出された翻訳本『心理学』でも『直覚』と書かれています。


 この『心理学』は明治の教育家であり、哲学者である西周にしあまねが訳したものです。

 

 西周を始め、井上哲次郎、西田幾多郎にしだきたろうなどの哲学者、福澤諭吉などの教育者、井上毅いのうえこわし小野梓おのあずさのような知識人、夏目漱石や森鴎外といった文豪によって生み出された言葉が、明治には多数あります。


 我々が無意識に使っている言葉も、実は明治以降の造語も多いのです。

 ちなみに今書いた「無意識」も明治以降の造語で、夏目漱石の造語ではないかと言われています。


 ちょっとした造語の例をあげてみましょう。


 例えば西周なら、意識、知識、技術、科学、理性、芸術、心理学、分解などがあります。


 これらは西が作った言葉ですので、幕末の頃の話で「すごい知識ですね!」とか「理性的な人ですね」というのは存在しない言葉を使っていることになります。


 西周関連だと他には本体、決定、人道、所有などがあり、これらは漢籍を元にしたものだから造語ではないとも読んだ事がありますが、西の著述に使われたものが、その後、諸語の形成に使われたとか、漢籍を元にしているが西の影響で意味が変わったという話もあります。


「人道的に良くない」「決定権はお前にある」とかいうのは幕末にはない言葉なのかもしれません。

「客観的に」「所有物」といった言葉も西周に関連する言葉のようです。


 使わないで済む言葉ならいいのですが、そうでない言葉だと意外と困ります。


 積極的、仮定、潜在、特権、緊張などは漢籍に出典のない西周の造語だと見たことがあります。

 

「緊張してきた」とか「武士のやつらは特権意識が強いんですよ」とか「積極的ですね」という言葉は幕末にはない言葉となります。


 漢籍からの転用言葉だと価値、傾向、空想、根拠、性格、条件、憶測、種類、同感あたりが困りどころでしょうか。


「俺の人生に価値などない」「そういう性格だから……」「同感です」


 こんな会話は幕末には有り得ないのかもしれません。


 同時に困るのが漢籍から転用されている言葉は、幕末の頃だと意味が違うということです。


「芸術的ですね」と言った場合、それは「Art」ではありません。

 芸術とは占いや医学などを含めた方術のことになります。


「特権階級」などは完全に幕末には存在しない言葉です。

「特権」は西周の造語であり「階級」が今のような意味で使われるようになるのは明治も終わりの頃、大正時代直前です。

 

 恋愛、愛、衛生、自然、社会、存在、個人、自由、青年、品性、人格、義務、本能、否定、感覚、目的、偶然、記憶、本質、自覚、純粋、事実、想像、材料、実験、方法、精神、愛情、表現、思慮、悪意、区別、過激、功績、予定、延長、志向、習慣、常識、外道、批判、一般、可能、集合、秩序、回想、偏見、自制、対象、快感、素材、論点、錯覚、思考、内容なども明治以降の造語、あるいは古い漢籍の言葉を西洋の訳語に当てはめて元の意味から変わったものとする言葉として、よくあげられます。


「外道どもめ。過激な思想ばかり振りかざし、秩序ある社会を乱しやがって」

「私は偏見の対象となり、愛情を知らずに育ちました」

「常識的には考えられないかもしれないけど……記憶はないけど、感覚が覚えているんだ」


 こんなことをうっかり書くと、幕末には無い言葉だらけになります。


 これらの造語や古くからある漢語を西洋由来のものに当てはめた翻訳借用語として使ったものを『和製漢語』といいます。

  

 和製漢語の中には明治以降の人間が初めて持った意識や考え方も含まれているので「自由」や「社会」など幕末の人は持たなかった意識なのだろうなと思うと興味深いです。


 しかし、小説は言語学の本ではありません。

 

 読んでる人が面白く、かつ今の言葉でわかりやすく書かれているのが一番だと思います。

 

 なのですが、今回はうっかり「直観という言葉は明治23年に存在するか」が気になったところで躓いてしまったので、今回は小説はお休みでエッセイ風となりました。

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