ヒーロー気質なマイフェアレディ

λμ

なかんずくしのぶという女

 最初から嫌な予感はしていた。考えなくても分かるというか、あえて考える意味がどこにあるのか問いたくなるような、当然の帰結だった。

 青天の牧場。見上げるばかりの巨大な櫓。大きく張り出した突端で、安心安全な太いゴム縄を躰に巻きつけ、斎藤勇斗さいとういさとの可愛い彼女がプルプルと震えている。まるで生まれたての子鹿――いや、牧場だから生まれたての子馬か。

 だから言ったのだ。

 高所恐怖症にバンジーは無理だと。

 勇斗は両手をメガホン代わりに呼びかける。


しのぶー!? やめてもいいんだぞー!?」


 はっ、とこちらを見下ろす忍。高さに目眩でもしたのか腰砕けになりかけ、後ろの係員に支えられた。勇斗は少し後悔した。一緒に上がっておけば頼られるのは自分だったはずだ。起こりうる事態を予見し、後悔を先に立てても、いいことはない。

 その点、忍はすごいな、と勇斗は思う。

 あらためてプルプルと突端に立ち、とうとう両手を広げてみせた。死にそうな顔というか、すでに死んでしまった顔というか、大丈夫か。

 吹き出しそうになるのをこらえつつ、勇斗はもう一度はげます。


「忍ー! 無理するなー! やめていいぞー!」


 いっぱいいっぱいの忍に返答なぞ期待していなかったが、


「大丈夫です! 行きます! やってやります!」


 と、豪快な宣言があった。三度目の正直になるといいのだが。

 声が上から降ってくる。

 ワン、ツー、スリー。


「バンジィぃぃやあああああああああああああぁ!!」


 みょーん、と忍の自称ナイスバディが弾んだ。今にも泡を吹きそうな顔だった。たいへん申し訳なく思ったが、勇斗は笑いすぎてお腹が痛くなった。

 まったく大したものだ。自身が高所恐怖症だと知っていて、やったことがないからバンジーがしたいと言ってみる。もちろん、口に出したら必ずやる。

 勇斗は、ヘロヘロになっている忍を抱き支える。


「だから言ったじゃん。後悔するよって」

 

 だが、忍は。

 フフフ、と強気な片笑みで切り捨てる


「分かっていましたとも。分かっていましたが、やってやりました!」


 後悔は先に済ませた。

 後は全力で挑む。

 そして、


「終わってみれば楽しかったです!」


 と大胆不敵に背筋を伸ばし、遅れてやってきたらしい吐き気に青くなった。

 勇斗は苦笑交じりに背中を撫でつつ、やっぱ凄くて可愛い人だと見直してみる。

 そもそも、出会いからして、チャレンジングであった。

 入学初年度の夏前、キャンパス内で最も人が行き交う学食前で、


「あの! ちょっと、お時間よろしいですか!?」


 と、バカみたいにデカい声で呼び止められた。誰もが振り向き、動物園のごとき学食の喧騒がかき消える大音量だ。

 最初はどこのバカが叫んだんだろうと無視を決め込む予定だったが、二度目の


「あの!!」


 で振り向かざるを得なかった。

 でっか。

 それが第一印象だった。声のデカさは躰のデカさに通ずるのかと思った。靴のせいもあるのか、一七〇センチ超えの勇斗と目線が揃っていた。遅れて、やや童顔ながら目鼻立ちのしっかりした、美人さんだなーと呑気に思う。

 女は、背筋をまっすぐ伸ばし、片手を勇斗の前に出して、直角に腰を折った。


「好きです! 付き合ってください!」


 大声量が静けさに一石――大石を投じた。ざわめきが一瞬で広がる。勇斗は誰が何を言ってるんだと理解に時間を要した。

 記憶と経験を総動員した結果、まず、この人は誰ですか、と胸の内で呟いた。


「……ど、どちらさまですか?」


 声にも出た。学内のざわめきに困惑の色が加わる。

 何がどういう状況?

 勇斗のほうが聞きたいくらいだった。

 女は躰を起こすと、自信満々な笑みを浮かべて言い切った。


就中なかんずく忍です! 顔と躰と愛嬌には自信があります! 絶対に後悔はさせません! 付き合ってください!」


 なかんずく、しのぶ。名前からしてタフネスだった。

 ふたりは初対面であるという事実が、キャンパスにさらなる混乱を呼ぶ。

 記憶と、経験。

 総動員しようにも、勇斗の人生なかに前例がない人間性タイプ。直観が狂う。論理的にはダメ。でも、とりあえずで手を取ってみたくなる。忍は絶対に後悔させないと断言していたが、勇斗はすでに羞恥で泣きそう。手を取らずとも噂の種。手を取っても公衆の玩具。退路はない。塞がれている。


「ぜひ! 私に! チャンスを下さい!」

 

 言ってビシっと突き出される右手。大胆不敵な笑み。勝利を確信している顔だ。

 しかし、よく見てみれば、その手は微かに揺れていた。

 変な奴だと直感したが、考えてみれば当たり前だ。初めて話す男にこんなところで告白する。大声量で弱気を払い、勇気を振り絞ってセールスポイントを並べ、自慢の笑顔をアピールする。

 直観は狂っちゃいなかった。直感も間違ってない。

 変だけど、後悔するかもしれないけれど、蛮勇に免じて受けてやろうと、


「よろしくお願いします」


 勇斗は忍の手を取った。学食では軽くないレベルで騒ぎになり、キャンパス内に拍手が起こった。そして二秒後に勇斗は知った。

 忍は、勇斗の名前を知らなかった。


「初対面で、一目惚れで、初恋でした!」


 鼻息も荒く、彼女は言った。

 すげえ。一語に尽きる。

 

「でも、もうちょっと声は小さくね?」


 そう言って勇斗が手を引くと、膝が笑って歩けないと言われた。

 それから、一年。

 あの選択に後悔はない――こともない。

 こうして、牧場の真ん中で早々にやることが尽きたときとか、特に。

 けれど、毎回、直観でダメだろという勇斗に、忍はいう。


「ええ。分かっておりますとも! 分かっていますが! やってやります!」


 そして。


「やってやるって……どうやって?」


 と、勇斗は笑う。なんであのとき手を取っちゃったのかと笑ってしまう。

 直観は正しい。

 正しいが――


「ふふふ、終わってみれば、なんてことはありません!」

 

 忍の勇気と挑戦が、勇斗の直観にいつも勝つ。


「楽しかったと言わせてやります!!」


 でも、もうちょっと声は小さくね?

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