雨宿りの直観

向日葵椎

雨宿りの直観

 終業後、窓の外を見ると雨が降っていた。

 春雨はるさめだ……傘、忘れた。

「はぁ。……はるさめ、おいしいかな」

「何がおいしいの?」

「あ、おつかれさまです――って、え?」

 そばに見知らぬ女性が立っている。

 社員証を首から下げているので社内の誰かかな?


「ユウちゃんで合ってるよね」

「はい、すみません。お名前忘れてしまったみたいで」

「ああ、たぶん会ったことないからいいよ。あたし羽鳥。プログラムチームだからデザインチームのユウちゃんとはあんま会う機会ないもんね」

「えーっと、あれ? どうしてわたしの名前を?」

「直観かな。入社して五年くらいだからデザインチームの人数とだいたいの顔ぶれは知ってて、この前ほかの新人の子とはたまたま話したんだけど、その時に名前が出たユウちゃんがまだだったから」

「わっ、大先輩でした!」

 席から立たないと!

「いいよそのままで。今日ユウちゃん傘忘れたんじゃない?」

「あ、はい。どうしてわかったんです?」

「ん、直観。そろそろ新人が傘を忘れやすいかなって思って」

「およ……? そういうものなんですか」

「そうそう。理由は四つあって、一つ目はユウちゃんたち新人は新しく覚えることが多い。だから余裕がなくなってうっかりミスが増える。二つ目にこの前も雨が降ったから折り畳み傘を干したままにしやすい。三つ目に今は忙しい。この前いきなり大きな仕様変更があって現場がバタバタしてるからね。だからさらに余裕がなくなるし疲れる。それで朝ギリギリまで寝ちゃうと天気予報を見逃すってわけだ。そして最後の四つ目に」

「最後に?」

「ユウちゃんはたぶん不器用!」

「うっ……それはわたしが一番わかってるんです。ちょっとソフトの使い方にまだ慣れてなくて、実は折り畳み傘もこのあいだうっかり壊しちゃって……って、どうして不器用なのがわかったんですか?」

「はは、ごめんごめん。ユウちゃんが仕事に慣れてないのはここのチームの友達に聞いてたんだ。頑張ってるってのはみんな知ってるみたいだよ。あとここに入ってきた頃はやたら元気がよかったのに最近じゃ今日の天気みたいにドンヨリしてるとか」

「頭の中が新しいことでスパゲティーなんです」

「そりゃあカオスだな」


 窓の外のドンヨリを眺める。

「でもまあ、ダッシュで走ればなんとかなりますよ……へへへ」

 自分でもどこから笑いが漏れてきたのかわからない。

「こりゃだいぶキテるな……まあ走れる元気があるなら大丈夫か。あたしはなんか最近マンネリなんだよなあ」

「マリネですか?」

「はるさめとかスパゲティーとか絶対腹減ってるだろ。マンネリな。なんかパッとしないっていうかなあ」

「うーん、ドンヨリマリネですか……」

「もういいや……てかそれスッゲーマズそう」

 羽鳥さんは苦笑いしていた。


「わたし、先輩たちみたいにバリバリ仕事するのが目標です」

「そりゃあいい心掛けだ」

「でも覚えることだけで頭がいっぱいで、お先ドンヨリなんです」

 ふう、と漏れるため息。

 どこかで雷がバリバリと鳴る。

「ほらユウちゃんがため息つくから」

「わたし、いつのまに風神か雷神に……!」

「ま、大丈夫だよ。初めは覚えることだけで大変だろうけど、それを越えりゃあまたあれこれ気になるようになるから、だんだんそれに慣れるしかないかな。ああ、そういうことか……」

「どうしたんですか」

「いやあ、あたしは慣れきっちまったんだよなあ」

「慣れきることなんてあるんですか?」

「うん。それで最近マンネリしてたのか。なるほどな、ありがとう」

「あ、いえいえ。なんだかカンが鋭くてすごいなって思ってたので少し意外です」

「あたし感覚的な方の直感は微妙なんだよな。自分が観察してる分野とかの直観はよく当たるんだけどさ」

「さっきのはもはや予知能力ですよ」

「意外と似たようなものかもな。よしついでにもう一つ言ってみよう。ユウちゃんはこの先かなり苦労する!」

「えぇ……それじゃわたしますますドンヨリしそうですよ」

「はは、苦しむのだ新人よ」

「なんですかその神っぽいセリフ……その直観はなぜでしょうか?」

「ん、この時期に傘を忘れるあたり、昔のあたしに似てる」

「もしかして、羽鳥さんも昔は大変だったんですか?」

「最初だけな。もう慣れちゃったけど。で、だなあ……あんまり慣れちゃうと、こういう風に傘忘れた後輩いじることくらいしか楽しみがなくなっちゃうわけだ」

「てっきり雨宿りに付き合ってくれているのかと……あっ、わたしと似てるなら羽鳥さんも不器用だったりします?」

「得意なこと以外は割とひどくて笑えるレベル」

「わたしそこまでじゃないですよ」

「おいズルいぞ」

 羽鳥さんが笑う。

 なんだか晴れ間のような人。


「でも、ありがとうございました。なんだか元気出てきたような気がします」

「そこは『元気出ました! 羽鳥先輩大好き!』でもいいな」

「わたし距離感については割と器用なんで」

「えぇ……。でもあたしも話せてよかったよ。最近のマンネリ解消のために自分からゲーム企画出そうかなって思ってたんだけどさ、何にするか決めた」

「すごい、どんな企画ですか?」

とらわれの後輩を助けるために先輩が立ち上がり、物理的な距離が近づくたびにイベントが発生して心理的な距離も詰まっていくゲーム」

「うわぁ、すっごく興味出ないです」

「これは売れるとあたしのカンが言ってるわ。じゃあさっそくメシ行ってそのへん話し合おうか」

「それ微妙な方のカンじゃないですか。あと距離の詰め方おかしいです」

「当たるんじゃない、当てるんだよ。さ、行くぞー」

「名言風に言っても興味は出ないです。……まあ、聞くだけですよ」

 立ち上がって支度をする。


「よしきた。じゃあ友達に傘の予備借りに行くか」

「え、忘れてたんですか?」

「だから似てるって言ったじゃんか。さっきの五個目の理由かも。まあそんなことはいいからユウちゃん何食べたい? はるさめ? スパゲティー? マリネ?」

「恥ずかしいので言ったこと全部覚えないでください!」

「これからもいい直観が生まれるように――ああゲームのアイデアを膨らますためだから仕方ない。ほら行くぞ行くぞ」

 わたしは羽鳥さんについて歩く。

 なんだか変わった直観が磨かれそうな予感を胸に抱きながら。

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