ちょうかんちょっかんちょっかんちょう

隠井 迅

第1話 漢字デュエル

「カンジなんてエですよっ! それがセンセイにはわからないのですかっ!」

 国語の授業中に、来週、漢字の小テストを行うって、軽部(かるべ)先生が告げた時、東勇樹(あずま・ゆうき)君は、突然、立ち上がって、先生に向かって大声で叫んだのです。

 その時、ああ、またかって空気がクラスの中に漂いました。

「カンジみたいなヒョウイモジをつかっていたら、ニホンはセカイからとりのこされますよっ! フゴウリなんですよっ! カンジにくらべて、アルファベットのようなヒョウイモジのホウがゴウリテキです。カンジのガクシュウをするくらいならば、もっとほかのコトに、ジカンをつかったほうがユウエキってものですっ!」

 東君は、いわゆる帰国子女で、英語の成績は抜群なのですが、それに比べて、国語は苦手科目で、漢字の読み書きを特に不得意にしていました。

 だからなのか、「漢字」って聞くと、それだけで、東君にはスイッチが入ったみたいになって、そうなると、同級生であろうと先輩であろうと、そして、先生であろうと激しくかみついちゃうんです。

「しかし、東君、きちんと漢字を学習しておかないと、教科書さえ読めなくて困りますよ」

「ニホンゴには、オトをあらわせる、ひらがなとかカタカナがあるじゃないですかっ! カンジでかかれたブンをよまなくちゃならないのならば、フリガナをふってくれればいいんですっ! そうなっていないのは、それこそ、モンカショウやガッコウのタイマンというものですよっ! フリさえしてくれれば、ひらがなとカタカナはマスターできているので、カンジのガクシュウなんてイミないってはなしです」

 海外帰りの東君は、自分の意見をはっきり主張するタイプなのです。

 この日の東君は、漢字の勉強をしたくないという自分の考えをごり押ししていました。

 ここだけの話、クラスラインの東君の文は、ひらがなとカタカナだけで、非常に読みにくいのです。だけど、中二のわたしたちでは、こんな風に、東君に理屈をまくしたてられると、すぐには何も言い返せなくって、彼に反論などできないのです。

「ほう、教師側の怠慢ですか……」

 軽部先生は、指をあごに当てて、少し考えこんでいた様子だったのですが、何か閃いたらしく、両の手の平をパンと叩くとこう言いました。

「それでは、私と君とで、タイマン勝負をしましょう」

「東君は、漢字なんて学ぶだけ意味はないと言う。君の主張に対して、国語教師である私は、これから社会に出て行く君たちに、きちんと漢字を学んで欲しいと考えています。こうも意見が対立したら、お互いの正しさを証明するためには、決闘するしかありませんね。デュエルです」

 先生対生徒の闘いということで、クラスの皆は盛り上がってしまいました。気持ちがデュエリストになったのか、東君も半身に構えて、体を先生に向けています。

「それで、タイケツホウホウは?」

 東君が先生にたずねました。

「類音・同音異義語での対決です」

「どんなショウブか、さっぱりわからないのですが」

「東君、日本語には、音が似ていたり、あるいは、全く同じ音でも、意味が異なる単語が沢山あります。日本語では、その違いを漢字で表わすのです。きちんと漢字を学んでいれば、その字を見ただけで、何を意味しているかの推測ができるようになるのです。それが、表意文字たる漢字の優れた点で、漢字の学習をする意味は、まさに、その点にあるのですよ。

 そこで、君は、類音・同音異義語を、十個、示してください。私が一問でも間違えたら、君の勝ちとし、君の教科書の全ての漢字に、私が仮名を振りましょう。君が負けた時には、別に罰は課しませんよ」

 圧倒的に軽部先生が不利な勝負のように、わたしには思えました。

 

 一対一の勝負だったのですが、東勇樹君に助手を一人付けても構わないと、先生がおっしゃってくださいました。それで、東君は、わたしを指名してきました。理由は、わたしが教室でいつも本を読んでいるからで、それと、彼の下の名前とわたしの苗字が同じ音、つまり、勇樹と結城だったからだそうです。

「ねえ、ユウキさん、ドウオンイギゴって、どんなのがあるのかな?」

 わたしは、この前、夕食を取りながら、テレビの教育バラエティー番組を見ていた時に、ママが、「大人でも、<直感>と<直観>の使い分けって難しいのよね」って言っていたことを思い出して、その事を東君に耳打ちしました。

「ちょっとひねってみようかな。ピザひざサクセンでいくか……」

 東君は、近くにいるわたしにしか聞こえない程度の声で呟いていました。


 わたしは、そのまま、二人の対決の審判になりました。そして、わたしたちにはスマホの使用が許されました。

 わたしが正解不正解をスマホで調べ、東君は、スマホで検索した漢字をホワイトボードに書いてゆくからです。

 東君は本当に漢字が苦手なようで、左手に持ったスマホの画面を集中して観ながら、独特な書き順で、まるで絵みたいに文字を描き始めました。


 1:長官 2:朝刊 3:鳥瞰 4:腸管

 

 わたしが、スマホにかなを打ち込んで、それを変換させると、幾つもの漢字の候補が出てきました。東君が描いた「長官」や「朝刊」などは、もちろん知っている言葉でしたが、三番目の「鳥瞰」はわたしの知らない言葉でした。でも、先生が「鳥が高い所から全体を視るようなこと、<イーグル・アイ>だね」って説明したのを聞いて、すごくそれに納得がいきました。四番目の「腸管」は、わたしも初めて見た言葉だったのですが、一つ一つの字を見て、それが内臓のことって推測は、わたしにもすぐにできました。

 それから、東君は、「ちょうかん」から、「ちょっかん」に問題を移動させました。


 6;直管


「これは、『直管マフラー』のことだね。バイクで爆音を出すために、マフラーから、消音器を取っ払うのが『直管』だね」 

「正解です」

 わたしは、自分のスマホで意味を確認した後に、そう告げました。

「類音で、管が共通でも、腸と直の違いによって、こんな風に意味は分かるんだよ。じゃ、次どうぞ」

 

 7;直諫


「諫めるか……。目上の人に、率直に意見を言うことだね。ははは」

 クラス全体が、シーンと静かになってしまいました。


「そろそろ、いくか……」

 そう言って、東君は、二つの単語を立て続けに描きました。


 8:直感 9:直観 


「ふぅぅぅん。感じるって書く方の『直感』と、観光の<観>を使った『直観』か。こういうのは、同音っていうだけではなく、意味の区別が難しいんだよね。こうした言葉を区別するためのポイントは、外国語付きで覚えるか、あるいは、同義語に置きなおしてみることだよ。

 たとえば、『直感』は、英語だと<インスピレーション>だね。これは外来語にもなっているし、<天啓>とか<霊感>って訳せるね。すごく簡単に言うと、天や神から受け取ったみたいに、なんかピンとくること、それが、感じる方の『直感』だね。たとえば、何故か理由もはっきりしないんだけど、何の経験もないのに、突然、分かっちゃうってやつで、<第六感>と言い換えると分かり易いかもね。

 これに対する『直観』は、英語だと<インテュイーション(intuition)>、これは中二だと難しすぎる単語かな、外来語にもなっていないしね。この場合、ポイントは、<観>って漢字かな。これは注意深くみるってことなの。きちんと観ることによって、それは、経験や知識として自分の内に蓄積されてゆくわけで、それがあると、パッと何かを目にした時に、自分の中のデータベースに検索が掛けられたようになって、即座に読み解いて判断を下せる、これが『直観』なわけ。だけど、『直観』には、当たり外れもあって、直観力の精度が低いとしたら、その土台となる学習という経験値が低いってことになるんだよ。

 ここまで一緒に確認してきた同音異義語も、皆、必ずしも知っている単語ばかりじゃなかったはずだよ。それでも、なんとなく意味が分かったとしたら、これまでの漢字の学習によって培ってきた<直観力>が働いたってわけなのさ」

 ここに来て、漢字デュエルは、先生による国語の授業になってしまいました。

「せんせい、ぼくたちのたたかいは、これからです」

 ここまで、東君が出してきたのは全て、『国語辞典』に載っているような単語ばかりで、国語教師の軽部先生なら知っていても当然でした。そこで、東君は、先生が知らないような、オタク・スラングで勝負に出ることにしたのです。


 10:直缶


 軽部先生は、あごに手をあてながら、しばし考え込みました。

「ふぅぅぅん。<缶>ですか……。以前、ドラマで観たシーンからの連想になるのですが、アルミ缶に穴でも空けて、そこから直接、液体を飲むってことでしょうかね」

「せ、正解です……」

 先生は、国語辞典に載っていないようなスラングさえも、これまでの知識から<直観>して、正解を導き出してしまったのです。

 東君は、ホワイトボードの前で無言になっていました。

「どうしました。東君、まだ一つ残っていますよ」

 実は、あと一問残っていたのです。皆、もう勝負はついたと思い込んでいたのですが、白板を見返したら、<ちょうかん>から<ちょっかん>の間で、一つ数字が飛んでいたのです。

 先生に指摘されて、東君は、あわてて、スマホにひらがなを打ち込んで、それを変換させると、出てきた漢字をすぐに描きました。


 直浣腸


「ちょっかんちょうですか……。お尻から薬を直接注入することや、指でお尻を直撃させることでしょうかね」

 先生は淡々と答えながら、左右の人差し指を胸の前で合わせて、それを上に突き出す動作を、わたしたちの前でやって見せたのです。

 クラスの皆は大声で笑い出しました。

 大爆笑の中、東勇樹君は真っ赤になって俯きながら、こう小声で言っていました。それが、近くにいた審判のわたしには聞こえてしまったのです。


「ユウキさん、ボク、カンジ、すこしベンキョウするよ」


<了>

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