走れ、文芸部

夜野 舞斗

走れ、文芸部

「ほらほら! 先輩命令! 鈴山君、私に追い付け追い付け!」


 お淑やかなはずの部長が僕に対し、無茶な命令をする。今は彼女の振り乱される長く黒い髪が悪魔のよう。たぶん、このカリナ先輩もアスタロトだとかベルゼブブだとか、そういう悪魔に認定される日が来るのだろうな、と思う。

 美の悪魔とか、かな。

 そんなことを考えて、気を疲れや今の現実から逸らそうとしたのだけれど。やはり足や横っ腹の痛みが主張する。お前は今、校庭三百メートルを五周も往復しているんだぞ、と。

 合計千五百メートル。

 文芸部で普段、運動なんかしない僕にとっては地獄のような距離。体育の授業でも体育祭の練習でもないのに、どうしてここまで走らねばならんのか。


「文芸部だからよ!」


 僕は引きつった顔の状態で何も口にはしなかったのだけれど。不満はそのまま伝わったようで、彼女は心の声に応答した。

 ただ理由が変だと思う。出ない声を喉をきる覚悟で吐き出した。


「な、何の意味があるんです……か。文芸部が何をしたって」

「い、いや、した、とかじゃ、じゃなくて……」

「どうしたんですか? いきなり慌てて」

「慌ててなんかないわよ。文芸部だからよ! 今まで青春小説をたくさん読んできたでしょ?」

「た、確かにそうですけど……」

「思い返してみて。青春を駆けた主人公達の勇ましい姿を! 先輩命令よ!」


 先輩命令と言われれば従うしかない。僕は渋々、今まで読んできた人の青春を感じ取ってきた。

 夕陽に向かって走る青少年達。

 犯人を追っかけて、証拠を探して、駆けまわる若き探偵達。

 誰かを守るために必死に足を動かした主人公。

 そうだ。今まで味わってきた物語の中にも走る人達は存在した。


「だから、何だって言うんですか。先輩! おいカリナ先輩。いや先輩カリナ!」

「何で呼び捨てなの。私先輩ぞ! 私先輩命令出せるんご! って、それはどうでもよくて。本を読んでる人として、それにどう感動した」

「ああ……まぁ、そういうシーン、いいなぁ、凄いなぁ、と」

「甘ーい!」


 僕は驚いた。彼女が大声を発したからとかではなく、砂糖まみれのパフェより自分に甘い先輩にそう言われることが。


「な、何が……」

「まだまだ想像が足りない。もっとたくさんの感動言葉が溢れるはずよ。実際、主人公達の考えた苦しみを知れば。確かに文学じゃなきゃ味わえない苦しみもある。だけど、真似はできる。真似をして、主人公がどれだけ頑張ったのか知れば、さらに物語を奥深くまで堪能することができるのよ」

「あ、ああ……」


 確かに彼女の言うことは間違っていない。部屋の中で引き籠って本を読むことだけが読書を、物語を楽しむことではない。物語でキャラクターが辿った道を共感したり、真似したりするのも娯楽の一つだ。


「どう? わかったでしょ?」

「は、はい……先輩がそんなことまで考えていたなんて驚きですよ」

「へっ? 私、侮られてたってことね。上司命令! 私を侮るな!」

「先輩から上司になってる!?」

「じゃ、私ちょっと加速するからついてきてね!」

「えっ?」


 彼女は少々前へと出ていった。僕も追いつこうとした矢先、体育の教員が近くを通ってぼやいていた。


「はて、体育の授業で眠ながら走ってた罰は……やってるかな?」


 その意味を一瞬で理解した。カリナ先輩はそういう人だから。

 ……あの女。

 自分一人で走るのが退屈だから、僕まで巻き込みやがったのか……!


「何が文学だ! 何が走るだぁああああああああああああああああ! カリナぁ! 待ちやがれ!」


 何て叫んで僕は彼女を問い詰めるために、暴走、爆走したのであった。

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走れ、文芸部 夜野 舞斗 @okoshino

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