走る女

今福シノ

短編

「コーちゃん、やっぱりやめとこうよー」

「なに言ってんだよ、ゆーすけ」


 10月の終わり。オレはとあるウワサ・・・・・・を確かめるために、同じ5年1組のゆーすけと一緒に寄り道をしていた。


 走る女。


 さいきん流れてきたウワサだ。

 夕焼けであたり一面真っ赤になるころ。住宅街のはずれにポツンとある直線の道路に、ソイツは現れるらしい。

 ソイツは太陽に負けないくらいの真っ赤な服を着て、道路を走り抜けるんだとか。

 それだけなら、ただの変なヤツ。

 だけどウワサは、こう続く。


 走る女とは絶対に競争してはいけない。

 なぜならそのスピードは速すぎて、誰も勝つことができないから。

 そして競争に負けたら最後、どこかへ連れていかれる、って。


「なーコーちゃん。もう帰ろうよ」

「はあ?」

「もうすぐ暗くなるし、お母さんに怒られちゃうよ」

「バカ。ウワサじゃ夕方にしかいないんだから、今じゃないと意味ないだろ」

「それはそうだけど……」


 まったく、ゆーすけはビビりなんだよ。


「でもどうして確かめようと思ったの?」


 ゆーすけが後ろからついてきながらきいてくる。


「コーちゃん、ウワサ話とか好きだったっけ?」

「んなわけねーだろ」


 そんなよくわからない話で盛り上がるより、体を動かしてる方がいいに決まってる。


「オレはただ、しょうめいしに行くんだよ」


 オレに走って勝てるヤツなんていないってことを。

『え、マジで誰も勝てないの?』

『らしいよ、めちゃくちゃ速いんだって』

『えー、じゃあ1組の浩平くんよりも?』

『そりゃそうなんじゃない?』

『だよねー、あははー』

 かげでヒソヒソ話してた女子たちに、こう言ってやるんだ。


「走る女」なんかよりも学年でいちばんのオレの方が速かったぜ、ってな。


「おっ、ここだな」


 住宅街を歩くこと10分。オレとゆーすけはウワサの場所にたどり着いた。


「すごい、広いね……」


 ゆーすけの言うとおり、道路はめっちゃ広い。歩道に、車の通るところ。人も車もいないから、よけいに広く感じるのかもしれない。だけど長さは500mくらいしかなくて、ナイフで切ったみたいにブツンと途中で終わっていた。

 そーいえば、かーちゃんが前に言ってた気がする。ばぶる時代の残り物、だったっけ。意味はよくわかんないけど。


 オレはまわりをキョロキョロしながら、道路のスタート地点をめざして歩く。ウワサによれば、「走る女」ははし・・から500m先の道路の終わりまでを走りぬけるらしい。


「ほんとにいるのかな……」


 ゆーすけもビクビクしながら、首を動かしている。ここまで来たからいちおう、オレにきょーりょくしてくれるらしい。なんだかんだでいいヤツだ。

 けど、見つけたのはオレが先だった。


「おい、見ろよ」


 指さす方――道路のスタート地点。

 夕焼けのせいでハッキリとは見えないけど、たしかにいるのが見える。ウワサどおりの赤い・・ジャージに、かみの毛をうしろでしばってる。


「……まちがいない」


 走る女だ!


「ど、どうしようコーちゃん。ほんとにいたよ?」

「しっ! 気づかれるだろ」


 オレはしゃがんで、歩道の木に隠れる。それからランドセルをおろして、じっとヤツの様子をうかがうことにする。


「お前も隠れろって」

「う、うん。でもどうするの?」

「そんなの決まってるだろ」


 競争だ。


「アイツが走り出して、ここまで来たらオレもスタートする。それならズルしたことにはならないだろ?」


 ここから「走る女」のいる場所までは50mくらい。どれだけ速いかは知らないけど、それくらいのハンデをもらって勝ったって少しもうれしくない。自信をもって勝ったって言えないしな。


 オレはいつでも走り出せるよう準備しながら、「走る女」の方を見る。あっちも体を動かしたりしていて、いつスタートしてもおかしくない。


 どっくんどっくんと、心臓がだんだんうるさくなってくる。

 だいじょうぶ、今まで負けたことないんだ。オレが負けるはずなんてない。

 おちつけ、おちつけ。

 そんな風に自分に言い聞かせていると、


「あっ」


「走る女」がついに走り出した。

 あとはここまで来るのと同時にスタートすればいいだけ――が、


「うそだろっ!?」


 気づいたときには「走る女」は目の前まで来ていた。

 やべえ。コイツ……速い!


「くそっ」


 ビックリしてしまったせいで、オレは少し遅れて走り出す。


「負けるかよっ!」


 赤いジャージの背中に向かって全力で走る。だけど相手のペースはぜんぜん落ちない。

 それでもオレは必死に食らいつく。運動会のリレーでアンカーとして走って、何人も追いぬいたときみたいにぐんぐんスピードを上げる。

 負けねえ!


 オレの想いが通じたのか、差は少しずつちぢまっていく。

 5m、3m……1m。

 よし、追いつ


「あっ」


 声が出る。同時に見える世界がぐらついた。


 転んでしまったんだとわかったのは、背中に道路の感触が広がったときだった。

 じんわりと伝わってくるにぶい痛み。だけどそれよりも先にオレの頭をうめつくしていたのは、


「負け……た?」


 今から起き上がって走っても、絶対に追いつけない。

 敗北。

 それが意味することは――


「!」


 足音が近づいてくる。誰の、なんて考えるまでもない。


『競争に負けたら最後、どこかへ連れていかれる』


 ウワサなんてウソに決まってる。決まってるのに。

 さっきみたいに心臓がうるさい。でも、さっきとは違うどきどきだ。

 どうしたら。でもまだ動けない。

 どうしよう、


「ちょっと、大丈夫?」

「え……」


 と、オレをのぞきこんできたのは、女の人の心配そうな表情だった。


「え……っと」

「ケガとかしてない?」

「あ、はい……」


 女の人、オレの前を走っていた赤ジャージの人がさし出してきた手をつかんで、オレは起き上がる。優しそうな顔だった。


「よかったー」


 そしてホッ、とむねに手を当てて、


「それにしてもビックリしたよー」

「え?」

「いきなり追いかけてくるんだから。とうとうここで走ってるのを怒られるのかと思ったよ」


 女の人は恥ずかしそうに頭をかく。夕日が当たってオレンジ色になっていた。


「私、高校で陸上やってるんだけど、ここでコッソリ練習してるんだよねー。ほら、ここってぜんぜん人も車もいないからさ」

「はあ……」


 えっと、つまり。


「おねーさん、自主練で走ってたってことですか?」

「うん、そうだよ」

「……なーんだ」


 やっぱりウワサは、ただのウワサだったんだ。


「え、どうかしたの?」

「べっつにー」


 首をかしげるおねーさんに、オレはてきとーに答える。

 こんなことなら公園で遊んでた方がよかったぜ。

 ゆーすけも待ってるだろうし、さっさと帰ろう。

 そう思って歩き出そうとした瞬間。


 ――ワタシノ、カチ


 オレの後ろを、冷たい風が通り過ぎた。


「!?」


 通り過ぎた方をふり向く。

 そこには、赤いワンピース。

 真っ赤な・・・・服を着て、走っていく女がいた。


 みるみるうちに、オレが立っている中間地点・・・・から、道路のはし・・の方へ遠ざかっていく。

 だけどその姿は、くっきりと見えていて。

 小さくなって、ぼやけていくはずなのに。


 オレの目には、ソイツがこっちを見ているのがハッキリとわかった。


「あ……」


 ソイツは、「走る女」は。

 にぃ、と笑っていた。

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走る女 今福シノ @Shinoimafuku

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