約束のランナー

黄黒真直

約束のランナー

 彼らは、音速よりも速く走れる亜人である。


 ヒューホースと呼ばれる彼らは、姿かたちは人間とさほど変わらない。違いといえば、少しまつ毛が多いことと、足の筋肉がたくましいことくらいだ。

 彼らの多くは、人間社会で人間と一緒に生活している。必ずしも、その足の速さを活かしているわけではない。

 第一、そんな速さで街中を走ったら危険である。だから、足の速さを活かしているヒューホースも、車程度の速さでしか走らないのが普通である。


 しかしそんな中で、その音速を超える走力を遺憾なく発揮しているヒューホース達がいる。


 彼らの名は、ランナー。

 100km走を平均1分程度で走り抜ける陸上競技選手達である。

 まさに、ヒューホースの花形。全ヒューホースの憧れであり、人間達の注目の的でもあった。


 そしてここにも一人、ランナーを目指す若いヒューホースがいた。



 栗山ツバサはいつも、ヒューホース専用ジムの隅で練習していた。ジムの一番安い会員費をなんとか支払うことはできても、高い練習器具をレンタルすることはできなかった。一番ランクの低い会員に使えるのは、敷地の一番端に申し訳程度に設置された練習コースだけだった。

 ツバサは30kmしかないそのコースを、毎日毎日走っていた。コースは透明な強化樹脂のアーチで覆われており、ツバサはそこから外の景色を眺めながら走るのが好きだった。

 親子連れが楽しそうに歩いていると微笑ましくなるし、自分と同い年くらいのカップルがいると羨ましくなる。ヒューホースが人を乗せた車を引いたり、手紙や荷物を運んでいたりすると、たとえ夢が破れたとしても、ああやって走力を人の役に立てる仕事に就きたい、と思う。

 全力で走っているとき、ヒューホース達には周りの景色が止まって見える。いや、事実、彼らが走り抜ける時間では、ほとんどの物体はほぼ移動できないので、たしかに止まっているのである。ヒューホース達には、それを見分ける動体視力があった。

 ツバサはその動体視力で、人間の男の子がこちらを見ているのを発見した。小学生くらいだろうか。ツバサより十歳近く年下だろう。大きな野球帽を被っている。

 気にはなったが、ツバサは練習に集中した。最近、伸び悩んでいるのだ。たった30kmを走るのに、35秒もかかっている。ランナーなら20秒で走る距離だ。こんなことじゃ、ランナーなんて夢のまた夢だ。


 ツバサはランナーの解説動画を見たり、本を読んだりして、フォームを工夫した。一番安い会員費では、ジムのトレーナーに教わることもできない。サービスには含まれているはずなのだが、上の会員にトレーナー達を独占されてしまうのだ。だからツバサは、自己流で研鑽を積むしかなかった。

 雨の日も風の日も、ツバサは走った。

 そしてそのたびに、あの男の子を見かけた。男の子も、毎日ジムの外に来て、ツバサの走りを見ているのだ。

 ジムの外は公園になっている。公園に遊びに来た子が、珍しそうにヒューホースを見ていることはよくある。でもこの男の子は、雨の日も来ているのだ。間違いなく、ヒューホースを見るためにここへ来ている。

 こうなると、もう気になって仕方がない。ツバサはついに、声をかけた。


「きみ、毎日見てるよね」

 突然現れたツバサに、男の子は驚いて飛び上がった。その拍子に、野球帽が落ちる。

「あ、ご、ごめんなさい」

 謝りながら、帽子を拾った。

「いや、怒ってるわけじゃないんだよ。ただ、気になって……。きみ、名前は?」

「遠山大地」

「大地君か。ヒューホース好きなの?」

「……」

 野球帽を胸の前で握りしめながら、こくりと頷く。

 ツバサはなんとなく、気をよくした。

「そうなんだ。僕は栗山ツバサ。知っての通り、ヒューホースだ」

 大地はうっとりしたようにツバサを頭の上から足の先まで見た後、急に元気になって言った。

「お兄さんは、ランナーなんですかっ!?」

「え? いや、んっと……」

 今度はツバサの方が、しどろもどろになった。まだ公式の大会に出たことはないので、ランナーとは言えない。

「残念ながら、違うんだ。でも、ランナーを目指して練習してる」

「そうなんですか……」大地は本当に残念がった。しかしすぐに、目を輝かせた。「あの、質問してもいいですか!」

「え、うん、良いよ。僕に答えられることなら」

「どうしてコースに、透明の屋根があるんですか?」

「あ、そういう感じ?」

 てっきりヒューホースについて質問するのかと思った。

 大地の言う「屋根」とは、強化樹脂のアーチのことだろう。

「これはソニックブームを外に出さないためだよ」

「ソニックブーム?」

「うん。ほら、電車がそばを通ると、大きな音がするでしょ? 僕らが走るともっとすごい音がして……その音のエネルギーで、周りの物が壊れちゃうんだ。この音のことを、ソニックブームっていうの。ガラスくらい、簡単に割れちゃうんだよ」

「へー!」

 大地は目をキラキラさせた。

「じゃあじゃあ、どうしてヒューホースはまつ毛が多いの?」

 ちゃんとヒューホースの話にもなった。ツバサはホッとしながら答えた。

「これはね――」


 それから、ツバサは大地と話すのが練習後の日課となった。大地は運動が苦手で、運動が得意なヒューホースに憧れているのだという。

 大地が練習を見に来るようになって、ツバサのタイムは伸び始めた。大地の前でカッコ悪いところは見せられない、というプライドがそうさせたのだ。30kmが30秒台に乗り、初の29秒台が見えてきた。

 そんなある日、大地が深刻そうな顔で相談した。

「来週、体育で徒競走をやるんだ」

「大地君も走るんだね」

「うん、だけどぼくは運動が苦手で……しかもクラスのいじめっ子が、からかってくるんだよ。どうせクラスで一番遅いだろって」

「それはひどいね」

「だから、ツバサさん」大地は真剣な顔で言った。「ぼくに、走り方を教えてください。あいつらを見返してやりたいんだ」

「え? う、ううん……」

 人間とヒューホースでは、体の形は似ていても、基本的な能力が全く違う。ツバサのアドバイスが大地に効くとは限らない。それにツバサも、ランナーを目指すヒューホースの中では遅い方だ。教えられる自信はない。

「ダメですか……?」

 だが大地が悲しそうにすると、ツバサは思わず胸を叩いていた。

「わかった、じゃあ明日! 明日教えるよ!」

「本当ですか!」

 大地の顔が輝く。

「うん、明日、この時間にこの公園で待ち合わせよう」

「はい!」

 帰ってから人間用の教本を読もう、とツバサは決めた。


 ところが、本屋で買ってきた本をさぁ読むぞと広げたとき、電話が鳴った。古い付き合いの友人だった。

『よう、ツバサ。久しぶり』

「久しぶりだな、ハヤテ! 元気してたか?」

『ああ。お前こそ元気そうでよかった』

 旧友の声を聞けて嬉しくなったが、ハヤテは用もないのに電話してくるような奴ではなかった。

「何かあったのか?」

『ああ、良いニュースだ。ツバサ、明日は空いてるか?』

「え、明日? 明日は……」

 ちょっと、と言いかけたとき、ハヤテが興奮気味に言った。

『来るんだよ、あの森河会長が!』

「え、森河って、あの?」

『そう!』

 全国ヒューホース競技会会長にして、全国有数のヒューホーストレーナーの一人、森河道彦。彼の指導のもと才能を開花させたランナーは数知れない。

 彼は時々全国のジムを訪ね、有望そうなヒューホースを引き抜くことで知られている。中には全くの無名から引き抜かれ、森河の指導で世界記録を出したランナーもいる。

『俺が行ってるジムに、明日来るんだよ。森河会長直々に。だからお前も来いよ。お前の走りなら、絶対に森河会長の目にも止まるって!』

「でも……」

 明日は、大地との約束がある。それを放り出してまで、行くべきなのか?

 森河会長に会ったところで、絶対に認められるとは限らない。だったら、大地との約束を優先すべきだ。でも、もしかしたら、万が一ということもある。森河会長の前で、一度でいいから走りたい。

「時間は? 午後か?」

『午後だな。午後三時からだ』

 大地との約束の時間にもろ被りだ。

 ダメだ。

 約束を反故にはできない。会長よりも、大地を助けることを優先しないと……。


「いや、待ってくれ」

 諦めかけたとき、ツバサはあることを閃いた。

「ハヤテの通ってるジムって、どこにあったっけ?」

 場所を聞くと、公園から30kmほどのところだ。

 30km。

 ツバサなら、片道30秒で……いや、29秒で走れる。往復58秒。

 2分だ。ほんの2分だけ、ジムを抜け出して、大地に会い、事情を話す。大地ならわかってくれるだろう。そしてまたジムに戻る。

 大地の徒競走は来週だ。一日だけ教えるのが遅れても、問題ないはずだ。

「OK。ハヤテ、僕も行くよ」

『そう来なくっちゃ。じゃ、待ち合わせ場所は……』

 電話を切ると、ツバサは静かに興奮していた。

 明日は、過去最高の走りをしよう。

 大地のためにも。自分のためにも。


 結果。

 街が、ソニックブームで壊滅した。

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