走れ!

葉月りり

第1話

 届きました! ピッカピカの新車です! 思い切って買ってしまいました。展示してあったのを見て一目惚れでした。


 色は情熱の赤。スポーティなミッドシップ。サスペンションは超タイト、路面の状態をつぶさに伝えてくれる。ハンドルも小ぶりでドライバーの意思が直にホイールに伝わるタイプ。ギアは3×7の21速、ハンドルの両側についたスイッチで切り替える。タイヤは悪路もがっちりグリップ2.2インチ幅。

そう、私のこの新しい愛車は自転車。マウンテンバイクです。


 ちょっと前のこと、会社の昼休みにボーッとパソコンをいじっていたら、Google mapsが映った。そのままうちはどの辺かなーと探していたら、気がついてしまった。私、なんて遠回りして会社に来てるんだろう。


 うちの最寄駅から乗り換え駅、会社の最寄駅というコースはちょうど「く」の字。だけどうちから会社へ直線だとすごく近い。それにあるじゃない! ほぼ直線のコースが! 


 このコースはうちから会社のある埋立地の街を通り、海へとそそぐ川沿いの遊歩道兼サイクリングロード。


 車が通らないから安心だし、電車を使わなければコロナのリスクも減る。スムーズに走れれば通勤時間も減るはず。なら、この直線コース、使わない手はないでしょう。


 この愛車で会社のファサードに颯爽と乗り付けるという野望、叶うか⁈


 朝起きたら、お天気をチェック。上々だ。しっかり朝ごはんを食べて支度する。幸いなことに私の会社は制服。通勤はどんな服でもOKなので、動き易いパンツにウインドブレーカー、リュックにはペットボトルの水を入れた。


 初めは慎重に行こう。何があるかわかないから、いつもの電車を使う時より1時間も早く出発。


 気温は低めだけど風は微風。街中は軽めのギアでスイスイ進んで、ちょっとギアを落として坂を下ると、例の直線コース、サイクリングロードに出た。


 コンクリートで護岸された川の水はきれいとは言えないけど、太陽に照らされてキラキラしているのを見たら、なんか楽しくなってきた。


 右手に川、左手には明るい森。森の向こうは住宅街。森の縁には青い小さな花がたくさん咲いている。よく見る花だけど名前は知らない。でもかわいい。赤紫の細い花もたくさん。やっぱり名前はわからない。森の木々は今にも咲きそうな蕾をたくさんつけている。これはわかるぞ。桜だ。ここは桜の森なんだ。満開になったらさぞかし…うっとりする。


 道は平坦。朝だからか人はほとんどいない。トップギアでビュンビュン行けちゃうぞ。と、思ったのは束の間。左側の森が深くなってきたなと思ったら、護岸が切れて、川岸が草むらの土手になって、道も舗装路じゃなくなった。しかも、登りだ。ギアを何段も落とす。土手がどんどん高くなって川が下へ遠くなっていく。こんな急坂があるなんて想定外。直線にばかり目がいって高低差を考えてなかった。


 息がどんどん苦しくなってくる。足も痛い。バイクを降りて押して歩きたい。でも、バリバリのマウンテンバイク、押して歩くなんて超恥ずかしい。誰も見てないよ、と思うけど、何故か降りられない。

 

 とうとうギアを1番下にした。足は少し楽になってペダルはクルクル動くけど、ちょっとずつしか進まない。これ、走ってるって言える?


 歯を食いしばって足を動かし続けてやっと登り切った。汗びっしょり、息も絶え絶え。でも、この達成感。気持ちいいっ! ここで給水。ごくごく一気に半分飲んでしまった。


 今度は急な下り坂。漕がなくてもどんどんバイクは走っていく。せっかく登ったのにって思ってしまったけど、顏や体の汗がどんどん乾いていくのは爽快だ。


 下るごとに森が深くなってきて川も近づいてきた。覆い被さる木の下を風を切って走る私の耳に「ホ〜〜ホケキョ」ウグイスの声が降ってきた。


 坂を下り切ったところに、白い炎のような縦長の花をたくさんつけた木があった。枝の間をオリーブ色の小鳥が2羽ぴょんぴょん飛び移っている。思わずバイクを止めて見上げる。白い花に明るいオリーブ色が映えてとてもきれいだ。さっきの声はこの鳥? 耳を澄ますと2羽は「チュルチュルチュル、ピリピリピリ」と鳴いているようだ。「ギィ〜ギィ〜」後ろから違う声が聞こえてきた。そちらを見ると白と黒のシマシマの小鳥が木の幹を滑るように移動している。逆さになっても翼を広げることなく移動している。なんだこれ。「ツーツーピーツーピー」「キリキリキリコロコロコロ」じっとそこにいると色々な声が聞こえてくる。枝の間をじっくり見ていると小鳥があちこちにいる。声と姿は一致しないけど、これは楽しい。


 バイクを押して歩く。目は上を見続けてしまう。「ピーーーッ」今度は下の方、川から聞こえた。川に目をやると青い鳥が水面スレスレに飛んでいく。え? きれい! その鳥は通り過ぎたかと思うとすぐ戻ってきて川に低くせり出した木の枝に留まった。


 青い背中、緑の羽、黒い大きなクチバシ。鳥はじっと水面を見ていたかと思うと「ボチャン」水の中に飛び込んだ。そしてすぐに上がってきたらクチバシに自分の体と同じくらいの魚を咥えていた。ビチビチ動くその魚を何回か止まっている木の枝に打ちつけ、ヒョイと咥えなおすと頭から呑み込んでしまった。


 何今の。私、もしかしてすごいもの見たんじゃない? これってEテレかナショジオでやってるやつじゃない? 自分で自分の目がまん丸になっているのが分かる。びっくりしすぎて眼球が勝手にキョロキョロ動く。そしてバイクのメーターについている時計が視界に入る。え?


うわああ! やばー! かいしゃー!


 急いでバイクに跨る。でもすごく名残惜しい。もう一度青い鳥のいた枝を見る。もういない。だけど、また、目がまん丸になってしまった。


 枝の向こう、対岸の草むらに、ペンギンがいる。ウソだろ。1度視線を外してもう1度見る。ペンギンがいる。いや、ペンギンじゃないだろ、クチバシが細すぎる。でも、白いお腹に黒い頭と背中。ペンギンだろ! もっとよく見ないと! だけど! 


 会社に行かなきゃ。目をペンギンに向けたままペダルを踏み出す。歯を食いしばって目を離す。スピードを上げる。あちこちから鳥の声が追ってくる。


 森を抜けて開けた田んぼの向こうに鉄道の高架が見える。あれをくぐれば会社はすぐだ。だけど、田んぼには白くて大きくて足の長い鳥がいる。川の真ん中の杭に留まって翼を広げている黒い鳥がいる。あー、よく見たい。


 前は見ているけど、目を瞑って走っているような気分だ。もっとじっくり見ていたかった。もっとゆっくり楽しみたかった。


 今度の休みは絶対このサイクリングロードを堪能するぞ! 双眼鏡を買おう。鳥のポケット図鑑も。植物図鑑もだ。


 こんな、こんな楽しい道、通勤になんか使っちゃいけない。大体、このサイクリングロード、街灯らしきものひとつもなかった。


帰り、どうしたらいいのー!


おわり


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走れ! 葉月りり @tennenkobo

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