トリプルミーニングの「走る」って題の方が玄人ウケするだろうけど。ドラゴンに勝ったら彼女と結婚するんだ、という男が怪人ブルマ男と呼ばれるまでの物語

半濁天゜

第1話

 くそっ、思ったより消耗がひどい。走る振動で、首に提げたロケットがチャリチャリと音をたてている。長距離を走るうえで最も重要なのは、ペースを乱さないことだ。勿論、馬の数倍も速い、国一番の俊足であるこのオレが、ペースを乱すなんてあり得ない……はずだった。


 だが、人の十倍を超えるドラゴンに。あのトカゲ野郎に追われているんだ。平常心を保てる方がどうかしている。だいたい、ドラゴンが狙うなら美しいお姫さまだろ。オレみたいな野郎を狙ってどうすんだよっ、なんて逆恨みまで頭に浮かぶ。


 くそっ、トカゲ野郎が空を飛ぼうが、このオレに追いつける訳がないんだ! 今はただ、走ることだけを考えろ! 雑念を頭から振りはらう。


 何年も体に染み込ませてきた、オレのベストスピード。速すぎず遅すぎず。呼吸に、手の振りと足の運びが、全てが連動し噛みあっていく。いつものように理想の走りをイメージし、実践する。それだけのことだ。


 …………無心でどれだけ走っただろう。見覚えのある景色が目に入る。荒野を走っていた街道が、森の中へ入っていく場所。


 森には仲間たちが隠れている。まずは森に入ってすぐの、道沿いの大岩。そこから右側の森に入る。立てかけてある杖を手に取り、森の中を走りつづける。


 十数秒遅れて、森の奥からドラゴンに仲間の攻撃魔法が放たれる。それが合図だ。街道に飛びだして、目立つよう大きな動作で、杖を投げ捨てる。オレが魔法を使ったように見せるんだ。こんな小細工でも、ドラゴンがオレを狙いつづけているところをみると、意外と効果があるらしい。


 森を抜けるまでに三度、同じようなことをくり返す。


 いや、このトカゲ野郎と競争をはじめて、もう十一回。そんなことをくり返している。


 なのにまだ、奴には余力が感じられる。くそっ、とっととくたばっちまえよ。だた走るだけの時に比べ、オレは大きく消耗している。このままじゃオレの方が先にへばっちまう……。


 いや、泣いても笑っても次がラストだ。仲間内最強の魔女がいる最終ポイント。そこまでは何としてでも辿りつく! そしてドラゴンを倒したら……。オレ、魔女かのじょと結婚するんだ!


 首に提げたロケットを手にとると、チャラチャラとした音がやむ。銀製の蓋をあけ、彼女の肖像画に勇気をもらう。いつ見ても綺麗だぜマイハニー……。


 彼女を胸に、再び走ることに集中する。肺が、足が、焼かれるように熱く痛む。だがこれは勝利の予兆。オレと彼女のゴールが目前に迫っている証なんだ。


 …………だから走ることだけ考えて…………。


 ついに彼女がいる湖が視界に入った。湖には大きな滝が流れこんでいる。いや、その滝壺が広がって湖になったのだろう。


 滝の裏には洞窟があり、彼女はそこに隠れている。流れ落ちる水越しでも、ドラゴンの巨体なら視認できるだろう。つまり魔法が発動できるのだ。しかも瀑音ばくおんが、彼女の詠唱までかき消してくれる。まさに俺たちにうってつけの場所だった。


 囮の役目ももうすぐ終わりだ。自然に速まる足を必死に抑える。ここまできて、トカゲ野郎を振り切ったら目も当てられない。


 奴を倒し、ドラゴン・スレイヤーの称号を手に入れて。彼女と二人で、新しい世界を走りだすんだ! 大丈夫、全てが順調だ。あと一撃。最強の、彼女の一撃さえ入れば絶対勝てる!


 ……いよいよ滝が間近に迫る。残った気力を振り絞る!


 滝の裏に入り、立てかけてある、見た目だけハデな杖を手に取った。ほぼ同時に、彼女がオレに水上歩行ウォーター・ウォークの魔法をかける。完璧、打ち合わせどおりだ。


 オレは滝裏から湖に飛びだして走りつづける。ドラゴンを彼女の視界内に誘導するんだ!


 彼女の見よう見まねで杖を大袈裟に振り回す。ただでさえ足りない空気を肺からひねりだし、呪文みたいに適当な言葉を並べたてる。少しでもドラゴンの気をひくように。


 そしてオレが湖を渡りきった時、ついに彼女の、いや彼女たちの大魔法が発動する。


 オレたちは闇雲に漸減ざんげん作戦をしていたわけではない。このラストを含めた十二回の魔法。それらは全て、六芒星を形作る十二の交点で発動させている。つまり、十二人の魔法使いの全魔力をこめた巨大魔法陣が、それを用いた攻撃魔法が、いま完成したのだ。


 トカゲ野郎はまだ湖の上にいる。巨大な魔法陣が上空にも現れ、上下で奴を挟みこむ。閃光と轟音が混ざりあう刹那。極大の雷が何十本も、その中心へと収束し、哀れな犠牲者を貫い? た。


「っっしゃぁっっ!!」


 オレは反射的に叫びながら、丘の高さくらいまで飛びあがっていた。

反対に、黒い煙をあげながら、巨体が湖へと沈んでいく。一瞬、奴の目前で雷が弾かれたように見えた。だが、そんなことあるはずがない。奴はもはや湖の堆積物だ。


 ナーバスな思考を吹き飛ばし、彼女のいる滝へとひた走る……。そして。滝のそばに佇む彼女に駆け寄りながら、


「やったなサリー。帰ったら町の教会で結婚しよう!」

「えっ? 普通にお断りしますけど」

「えっ!? だってドラゴンを倒したら結婚するって……」

「は? プロポーズに答えると言っただけで、今その答えを言いましたよね? 私はいまやドラゴン・スレイヤー。大貴族や王族相手に、玉の輿だって狙えるんですよ。なんで貴方みたいな馬の足、いや馬の骨と結婚してあげなくちゃいけないの?」


 あまりに想定外のことに目の前が真っ暗になる。呆然と立ち尽くすオレに、


「じゃあ、貴方もせいぜい婚活を頑張りなさいな」


彼女はそう言い捨てると、足早に離れていった。どれくらいそうしていただろう、


「お主、あんな女のどこに惚れたのじゃ?」


その声に振り返ると、湖の上に十三、四歳くらいの、えらい美少女が浮かんでいた。


 金色の長い髪が、そよ風に遊んでいる。まだ少しあどけない、均整のとれた可愛い顔。無邪気さと生意気さが同居する大きな瞳が、伏し目がちにオレを見つめる。彼女が纏う、超高級そうなドレスとアクセサリーが霞んでみえる。


「そんなに見つめられると、少し恥ずかしいのじゃ」

「ご、ごめん……。き、君は……湖の精、とか?」

「何を言っておる。わらわはさっきまでお主を見ていたドラゴンじゃ」

「え゛っ!?」


 あまりのことに言葉に詰まる。なんで? いや、復讐しにきた? こ、殺される……?


「そこまで引かれると悲しいのじゃ。お主の美脚があまりにも眩しくて追い回してしまったことは認めよう。じゃが、足を露出してわらわを誘惑したお主にも責任があると思うのじゃ」


 見目麗しい美少女が、ストーカーじみたことを言いだした。もしかして、ずっと伏し目がちなのはオレの足をガン見しているせい、だったり……?


わらわはまだ百三十歳、幼子の戯れ、若気の至りなのじゃ。お主の最後の大ジャンプを見て、脚を見せつけられて、興奮で墜落してしまったくらいの若輩者なのじゃ……」


 上目遣いですがるように言う彼女。可愛すぎる。両胸の青い果実が、ドレス越しでも見てとれる。百三十歳? なら全然オッケー。オレがドラゴンならアウトかもしれないけど、人間だから全然セーフだ! ロケットのチェーンをちぎって投げ捨てる。


 婚期を迎えた女なんて悪魔の使いだノーセンキュー。ロリBBAこそ最高にして至高!! オレは走るぞ、オレの道を!


「ごめん、びっくりしてただけで、全然引いてないよ。オレの足でよければ幾らでも見ていいんだよ!」

「本当か!? さすが美脚な者は心も美しいのじゃ。じゃあ早速、このブルマを履いてくれぬかのう。人間の王子が履く最高級品なのじゃ」


 これがのちに『怪人ブルマ男』と言われる存在が誕生した瞬間だった。

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