隣の席で走る友人の話
向日葵椎
走る友人
珍しく隣の席の奏太がノートをとっている。
高校の授業中、いつも黒板をぼーっと眺めているか、寝ている奏太がだ。
人は変わるがこうも急に変わるだろうか。
そんな授業後の十分休憩のこと。
「これ見てよ」
奏太が話しかけてきた。
手に持った教科書を開いて見せてくる。
「なに。珍しく勉強してたみたいだけどなんか面白いとこあったっけ」
「いや、そうじゃなくて」
奏太が教科書の隅を指さす。
そこには棒人間の絵が描かれていた。
手足が「卍」のような形になっている。
「落書きかよ。真面目に授業受けてるかと思えばお前は」
「まあそうなんだけどさ。割と渾身の落書き」
「渾身の落書きってなんだよ。それのどこが」
「パラパラしてみればわかるよ」
「ああ、パラパラ漫画か」
ということは、ページを素早くめくるとこの棒人間が動いて見えるということだ。
僕は奏太から教科書を受け取ってパラパラとページをめくってみた。
途端に棒人間が躍動しだす。
おかしな体勢だった棒人間は、走っている最後のコマ――走っている途中で終わっているコマだった。
「どう」
「へえ。よくできてる。単純だけどうまいもんだね」
「あ、わかる? 走るのって単純に見えるけど、これがけっこう難しい。走るのってさ、足が地面からまったく浮いてる瞬間があるんだよ。そのへんうまく表現できたかなって思うんだ」
「たしかにうまいけどさ、授業中にやることかなあ」
「まあそうなんだけどさ、未来の有名アニメ監督はここから始まったのだ! みたいな瞬間だと思えば許されると思わないかい。えっへん」
「目指してるのかい? アニメーター」
「うん、実はね。今はこんな棒人間だけど、これからもっとすごいものをどんどん動かしていこうと思うんだ」
「人々の心とかかい?」
「あ、うまいこと言うね」
またパラパラとページをめくってみる。
棒人間が走り出す。
隣の席でじっとしているように見えた奏太の心は、そう見えただけで既に走り出していたらしい。
「でも教科書じゃページ数が少ないよね。走ってる途中で終わってる」
「大丈夫さ。まだ他の教科の教科書があるから」
「教科書から離れよう。ノートとか、メモ帳とかあるだろう」
「あ、そうだな。それがいい。さっそく次の時間からはそれを使って描いていくことにするよ」
「それもいいけどちゃんと授業を受けなよ」
「それはごもっとも。しかし未来の有名アニメ監督の始まりはここから――」
「わかったわかった。もう好きにしなさい」
またパラパラ漫画を眺める。
棒人間が走って、途中で終わる。
「そんなに気に入ったならあげるよ」
「今のうちにサインもらっといたら後々高値で売れるかな」
「僕が有名になったらね。ていうか売らないでよ」
「そもそも教科書あげるだなんて、いよいよ授業受ける気ないね」
「交換すればいいだろう」
「なるほど。……じゃあ交換しようか」
「いいともさ」
奏太と教科書を交換して授業を受けた。
教科は違っていたけれど、僕はその教科書を開いていた。
そして授業が終わり休み時間になる。
「奏太、これ見てよ」
教科書を手に取り奏太に見せる。
さっき交換した教科書だ。
「なに、君もなにか描いたのかい。あれ? それさっき交換したやつだ」
「うん、ちょっと描き加えたからパラパラしてみてよ。あ、一番手前は見ないようにしてね」
「ああ結末がわかっちゃうからね。いいよ」
奏太は教科書を受け取ってパラパラとめくった。
最後に一番手前のコマをじっと見て、またパラパラとめくった。
「どう」
「どうって、すごくいいよ」
「それはよかった。なにか足りないような気がしててさ」
「ああ、それは僕も思ってたんだけど、これは化けたね」
「よければ教科書交換してあげるよ」
「いいのかい? よろしく頼むよ」
こうして僕の教科書が戻ってきた。
奏太はまたパラパラとページをめくる。
棒人間に羽が生えて助走をつける。
そして最後のコマで、棒人間は飛び立った。
将来の有名アニメ監督の言葉を最後に。
「あ、わかる? 走るのって単純に見えるけど、これがけっこう難しい。走るのってさ、足が地面からまったく浮いてる瞬間があるんだよ。そのへんうまく表現できたかなって思うんだ」
隣の席で走る友人の話 向日葵椎 @hima_see
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