あらわれた同居人
草群 鶏
あらわれた同居人
平日の日中どころか家にはほとんど寝に帰るだけ、心身ともに削られていた僕の生活は、リモートワークに移行してがらりと変わった。
家から出ない生活、起伏に乏しい一日。影響は想像以上に大きかった。僕だけじゃない、世の中の多くの会社員が似たような状況に置かれていると思うが、そういうことじゃない。
そういうことじゃないんだ。
だれだおまえ。
「うまくいくと思ってたんだけどなあ」
そう嘯くヤツの耳は尖っていて、背中にはトンボのような翅をしょっていた。身長はA4タテくらい、つまりどう考えても人間じゃない。妖精というにはなんだかくたびれていて、どうも奇妙な格好をしているなと思ったら、身体に巻き付けているのは失くしたと思っていた僕のハンカチである。
「返せよ」
「いやだ。っていうかおまえ、このさきこれで手を拭けるのか?」
以前と比べても手を洗う機会は増している。そのたびにこいつがちらつくのか……と思うと急激にやる気が失せた。
「わかった、もういい」
けっこういいやつだったのにな。惜しむ気持ちはあるが仕方ない。
季節は春。こうして、謎の生き物との共同生活がはじまった。
はじまった、というのは語弊がある。こいつは僕が家を空けているのをいいことに、ずいぶん前から気ままに暮らしていたのだ。
「まあ、二毛作ってやつだ」
「ちがう」
これほどの生活の変化でもなければ気がつかなかった。何かがなくなっても、どこやったっけな、食べようと思ってたのにな、なんて追及する間もなく日々は過ぎていく。僕の不注意だと思って見過ごしていた大半は、ヤツの仕業だったというわけだ。
名を聞くと、「たけし」と名乗った。つくづくファンタジーとはかけ離れている。
「ばれちゃあしょうがねえ、これからは俺が生活の面倒をみてやろう」
「どの口が」
ふんぞりかえった妖精もどきに半ば呆れて、僕はしばらく様子をみることにした。以降、家主に認知されたたけしは堂々と姿を顕すようになり、たまにふらりと窓から出かけては、何かしらの土産を持ち帰ってくるようになった。
「見ろ、でっかい小松菜だ」
「夏みかん拾った、見た目は悪いがけっこういける」
「こういうのをベビーリーフっていうんだろう、知ってるぞ」
それなりに気は遣ってくれているようで、たけしは僕が仕事の手を止めている時を見はからって獲物を披露しにくる。はじめのうちは、どこから盗ってきたんだとハラハラしたが、いずれも近所の畑で土に還るのを待つばかりのものだという。言われてみれば、育ちすぎて硬かったりひび割れていたり、もしくは弱々しくて間引かれたものだったりして、返しに行くわけにもいかないのでありがたくいただくことにした。
そんなある日、たけしは珍しく、仕事中に声をかけてきた。
「なんだよ」
つつかれた脇腹がくすぐったくて身をよじるように振り返ると、窓の外にずっしりとでかい猫が座っている。
「俺じゃ持ちきれなかったから、運んでもらったんだ」
「なあう」
土埃でドロドロの、どこで拾ってきたかわからないような紐で猫の背中にくくり付けられていたのはぼんやりと巻きの甘い白菜で、いくらでかい猫でもこれは大変だったろうと察した。紐をほどいて軽く拭いてやると、猫は大きく伸びをしてから物欲しげにこちらを見上げる。
「なんかないか」
「なんかって」
「礼になるようなもの」
「ええ?」
たけしに催促されて台所を漁ったものの、うちにはパックのかつおぶしくらいしかない。
「今日はこれで勘弁してくれ」
「ぶすん」
猫は不服そうに鼻を鳴らし、それでもかつおぶしは平らげてからしゅるんと去っていく。
「お前、缶詰とまでは言わないけど、せめてちゅーるくらいは用意しといたほうがいいぞ」
「……わかった」
別に頼んでないんだけどな、と思いつつ、僕はちゅーるをポチった。
たけしは料理についても僕より詳しく、仕事終わりの自炊はもはや日課になっていた。本人(何度も言うが、人なのか?)は口を出すだけだから僕が調理するのだが、指示がいちいち具体的なのでどこから仕入れた知識なのかと首を傾げる。
「何を言う」
たけしは心底意外そうに言った。
「昼の番組なんか食べ物の話ばっかりだぞ」
かくして、たけしが昼の情報番組をひととおり視聴していることが発覚し、これに僕もつきあわされることになった。
そう、僕の生活は大きく変わった。米と野菜をまともに食べているせいか、胃や胸のあたりのむかつきは軽くなり、深く眠れるようになった。ほぼ毎日快便だし、心なしか肌の調子もいい。たけしと猫(ポチというらしい)に連れられて例の畑をのぞきに行ったりするうちに、主のじいさんにつかまって手伝わされたりして、それがまたいい運動になっていた。
「彼女でもできたか」
「やめてください」
おかげで、久しぶりに出社したタイミングで上司にからかわれることになった。
季節は巡り、夏の盛りを迎えた。たけしが持って帰ってくる野菜も、ナスやキュウリ、とうもろこしに変わって、これを旬というのか、といまさらに知る。たまに人型に変形したものがあってそれはもう笑えるのだが、いざとなると刃を入れるのが憚られてひどく食べにくかった。
「終わったぞー」
仕事を片付けて、いつものように声をかける。しかしこの日にかぎって返事がなかった。日没が遅いとはいえ外はすでに暗く、わずかにむらさきの光が残るばかり。こんな時間までたけしがでかけているのはめずらしい。
(何かあったんじゃ)
犬に追われたか、カラスにつつかれたか。不吉なイメージが脳裏を駆ける。たけしはもはや家族同然になっていた。ベランダから乗り出して周囲に目をこらし、抑えた声で何度も名前を呼ぶが反応はない。しばらく待ってみたがとうとう我慢できなくなって、外に出かける用意をはじめたところに聞き慣れた声がした。
「あれ、出かけるのか」
「おまえ!」
どこ行ってたんだよ、と続けようとした言葉はとっさに飲み込んだ。翅がしおれて見るからに元気がない。
「どうした」
「あの畑、つぶすんだそうだ」
じいさんが体を壊してな、と眉をハの字にして、たけしはベランダのてすりに腰を下ろした。
「もともと、あの人が意地で続けてるような畑だったからなあ。いよいよだ」
「……そうか」
思えばずいぶんと恩恵にあずかってきた。それだけじゃない、顔を覚えられてから何度となく可愛がってもらった僕にとって、じいさんもすでに他人ではなかった。
「だいぶ悪いのか」
「さあ、わからん」
「お見舞いに行きたいところだけどな」
「難しいだろうな」
そもそもがタダ飯喰らいだ。立場的にもかなり微妙である。
その日の夕食はなんだか味がしなかった。たけしも豆皿を前にしてぼうっとしている。これまでなら気にもとめなかった、気付きもしなかったあれこれが、こんなに大事になるなんて。
僕の生活は変わった。新しい家族、新しい友人、なら僕もきっと変われるはずだ。
「なあ、僕にもやれると思う?」
たけしは怪訝そうに顔を上げる。
「なにを」
「畑」
一瞬固まってから、たけしは翅をぶるぶるさせて笑い出した。自分でも何言ってるんだと思うが、ぽろっと出てしまったものは仕方ない。そしてそういうのはだいたい本音だと、僕は経験上知っている。
「いいんじゃないか、協力ならするぞ」
「どうやって」
「外堀はまかせろ」
俺、このへんの鳥とか猫とかとは仲良いからな、と胸を張る。頼りになるんだかならないんだか、しかし仲間がいるのは心強い。僕は人差し指で、たけしと握手を交わした。
あらわれた同居人 草群 鶏 @emily0420
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