異世界で旅する君と、銀河鉄道で会えたから。

成井露丸

🚂

 銀河鉄道は夜空を走る。ジョバンニとカムパネルラを乗せて。

 それは何度も読んだ物語。幼い頃に学校の教科書で、高校時代に文芸部で書籍を開いて、大人になってから振り返るようにスマートフォンの青空文庫で。

 そんな銀河鉄道に自分が乗ることになるなんて、思っていなかったけれど。


「隣はいいかい、絵里奈?」

「――あ、秋人。……驚いた。あなたもこの銀河鉄道に乗っていたの?」

「まあ、気づいたら――って感じだけどね」


 僕は苦笑いを浮かべる。

 本当に前後不覚。いつ自分がこの電車に乗ったのだかよくわからない。

 でも僕が今日この列車に乗るべくして乗っているということは何故だかわかった。


 絵里奈は窓際に寄って荷物を膝の上に乗せると僕を見上げた。

 ――高校生の頃と何ら変わらない眼差しで。


「どうぞ」

「――ありがとう。……鞄はそれだけ?」

「まさか。銀河鉄道で旅をするのにトートバッグだけの女の子なんていないわ」

「だよね。じゃあ荷物は?」


 彼女は僕らが乗る三号車の入り口を指差した。

 その向こう側にスーツケースを預けられる場所がある。

 扉の前ではロボットの乗務員がコボルトの紳士と何やら口論をしていた。


「――スーツケース、預けているんだ?」

「重い荷物を背負うのは嫌だから。――秋人は?」

「僕は着のみ着のまま。このバックパックだけさ」


 そう言って僕はい背負っていたバックパックを座席上の網棚へと持ち上げた。


「――手伝った方がいい?」

「大丈夫だよ。これでも元バスケットボール部なんだから」

「――怪我して辞めちゃったけどね」


 香月絵里奈はそう言って、懐かしそうに目を細めた。

 青春を賭す筈だったバスケットボール部は高校二年生の時の怪我で辞めた。

 でもそれで縁が生まれて文芸部に入り、君と出会ったんだ。

 そんな君――香月絵里奈の隣の座席に腰を下ろす。


 目の前には大蜥蜴の革で作った袋を持った魔法使いらしきお婆さんが座っていた。

 長旅に疲れたのか、うとうとと居眠りをしている。


「秋人は元気だった?」


 久し振りだっていうのに君は窓枠に肘をついて外を眺めたまま素っ気なく尋ねる。

 飾りっ気の無い問いかけ。

 照れているのか、戸惑っているのか、はたまた別のことを考えているのか。

 でもそれが君らしくて、なんだか心地良かった。


「――まぁ、それなりにね。元気にやっているよ」


 引きこもったり塞ぎ込んだり逃げ出したりしたけれど、――元気にやっている。

 そう返しながら窓ガラスに反射する君の横顔を眺めた。

 その向こうには白く広がるアンドロメダ大星雲が浮かぶ。


「そっか、良かった。――私がいなくなって絶望してたらやだなぁ〜って思って。……まぁ、絶望もまたアリなのかもしれないけれど」

「――何だよそれ?」

「だって絶望って創作の糧になるでしょ?」


 やっぱり天才の考えることは分からない。

 でもそれが絵里奈なんだって――痛いくらいに理解できた。

 だからそんな彼女のことを好きになったんだ。

 彼女の書く小説を――好きになったんだ。


「絵里奈は――向こうの世界でも小説は書いているの?」

「――もちろん!」


 君が振り向いて、少しだけ鼻を膨らませた。

 当たり前のことを聞かれて、ちょっと憤慨するみたいに。

 小説を書くことは君にとって息をするようなもので、生きる意味そのものなのだ。

 そんな君に僕は惹かれて、僕も小説を書き出した。――僕自身の小説を。


「秋人は? 秋人は書いている? 小説ちゃんと書いている?」

「――書いてるよ。まぁ、鳴かず飛ばずだし、公募に出してもなかなか結果なんて出ないけどね」

「大丈夫だよ、秋人は。秋人の物語の中にある純粋さは、きっと伝わる。いつか届くはずだよ。――秋人は私が見つけた原石なんだから」

「――だといいんだけどね」


 右前方から大きな恒星が迫ってきた。

 それ自体が大きなエネルギーを放ち、煌々と輝く大きな星。

 その周りにそれよりも二回りほど小さな惑星が浮かんでいる。

 恒星の重力に引かれたまま、その周りのを回り続ける小さな星。光を反射しながら輝くその星はちょっと頼りなく見えた。――それもまた輝いてはいるのだけれど。


「絵里奈――エリナ・エルシフォードは向こうの世界で、今は幸せかい?」


 エリナ・エルシフォードはあの世界での彼女の名前。

 あの世界――ユーレフラシアでの彼女の名前。


「今はどうかな? 幸せかどうかは、わからないかな。でも充実してはいるよ。――私は今、初めて旅をしているの。レンと一緒に。物語を書いて、――彼がそれを歌にするの」

「――そっか」

「うん、そうよ。――ちょっと素敵でしょ?」

「かもね」


 フローレンス王国の侯爵令嬢となった彼女は、でも家族を失い、自らが住む街も失った。そして吟遊詩人と旅をしている。

 ただ世界を見て、自らの物語を綴り、それを歌い――生きるために。

 

 ――物語は読まれた数だけ現実になる。登場人物たちは生命を得る。


 いつか君が言った言葉。僕に生命を与えた言葉。

 僕が君と生き続けるための言葉。

 その言葉は今も僕と君を繋いでいる。

 そして今この瞬間、銀河鉄道が僕らを運ぶ。


「ねえ、絵里奈。――いつかまた僕らが同じ世界で生きられる日って来るのかな?」


 僕のその問い掛けに君は振り向いた。

 穏やかな表情の中に、少しばかり淋しげな笑みを浮かべて。


「どうだろうね。どうなんだろうね? いつかそんな日が来たら――素敵かもね」


 僕は君を見つめる。君は僕を見つめる。

 描くものと描かれるものの関係性を超えて。

 シニフィアンとシニフィエの断絶を超えて。


「エリナ・エルシフォード。――僕は君を描き続ける」

「水瀬秋人――私はあなたを描き続ける」


 二人が描きあう世界の未来が、いつか二人でまた笑い合える瞬間へと至れますように。記号が連なり意味を成し続ける無限のセミオーシスのその果てに。――それまではこの銀河鉄道で、僕らはあてどない旅を続けるのだ。


 やがて僕らを乗せた銀河鉄道は、君の住む惑星へと到着する。

 君が生きるユーレフラシア大陸が浮かぶ――その星へ。



 ※



 目を覚ますと部屋の中はもう明るかった。

 半分しか閉まっていないカーテンの輪郭が白く滲んでいる。

 ゆっくりと目を開く。枕元を探るとスマートフォンに手が触れた。

 スマートフォンと一緒に昨夜の記憶を手繰り寄せる。

 徐々に記憶を取り戻した僕は、スマートフォンを手してエディタ画面を開いた。

 書きかけの原稿。――やっぱり携帯で執筆しながら寝落ちしてしまったみたいだ。


 次の公募の締め切りまではまだ一ヶ月以上あるから致命傷ではないけれど、予定通りに執筆が進まないのは、まずいなぁ、なんて思う。


 ベッドの上で仰向けに寝転がって、スマートフォンを真上に掲げる。

 エディタを閉じると、ブラウザでいつもの小説投稿サイトを開いた。

 そこで掲載している小説を開く。僕自身が書いた物語を。


 高校三年生の終わりに香月絵里奈が死んだ。

 文芸部で彼女の小説と彼女自身が好きになって、僕と彼女は恋人同士になった。

 でも神様は残酷で、天才だった彼女にデビューの機会さえ与えぬまま、その命を奪った。


 最後に彼女が書いた物語は、小説大賞の最終選考まで残ったけれど、落選した。


 『夢かうつつか』


 ――それが最後に彼女が書いた物語。

 僕も読ませて貰えなかった、彼女の秘密の物語。


 小説が君と僕の繋がりだったから、君が死んだ後も僕は小説を書き続けた。

 大学生になって、高校生の時以上に真剣に、青春を懸けて。

 でも僕には絵里奈みたいに輝かしい才能はなくて、大学生を終えた今もこうやってあてどない旅を続けている。――自分の物語を探す旅を。


 そんな中で書き始めた物語は、君が最後に書いた物語へのアンサーソング。


 『夢か現か、それとも恋の物語。』


 異世界に侯爵令嬢として生まれ変わった君が、物語を書き続ける話。

 ただの物語じゃない。それは僕らの物語。

 君が僕を書いて、僕が君を書き続ける。――そんな一風変わった物語。


 小説投稿サイトに掲載して、数ヶ月前にコンテストへと応募した。

 その作品は全一二九三作品の中から四次選考通過作品である四四作品に選ばれた。

 そして昨日、その五次選考通過作品が発表されたのだ。

 ――でも通過作品リストの中に、僕の作品の名前はなかった。


 だから僕は銀河鉄道に乗っていたのだと思う。

 意地悪だった神様が少しだけの時間をくれたのだ。

 違う星に住む君と言葉を交わす時間を、少しだけ。


 僕は物語を書き続ける。コンテストの結果が落選でも。

 僕はまだ走り続ける。いつか君に届くまで。


 ――物語は読まれた数だけ現実になる。登場人物たちは生命を得る。


 物語を書くことは生命を与えることだから。

 物語を書くことは生きていくことだから。

 また同じ物語を。また違う物語を。

 そしてまた――君がくれた僕自身の物語を。


 異世界で旅する君と、銀河鉄道で会えたから。








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異世界で旅する君と、銀河鉄道で会えたから。 成井露丸 @tsuyumaru_n

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