限界突破・スプリンター

隠井 迅

第1話 ユニーク・トレーニング

 ウチの高校の陸上部にはコーチがいない。

 もちろん、部の顧問はいるんだけど、専門が長距離のため、練習の間は中長距離ブロックに掛かりきりで、短距離ブロックの練習さえも、基本、放任なのだ。

 しかし、顧問がそんなだとしても、ウチら短距離陣が弱小かというと、決してそういうわけではなく、個人種目でもリレー種目でも地区大会突破の常連だった。

 そんなウチらの目標は、四百メートルリレー、通称、<四継>での北関東大会への出場だ。


 夏のインターハイ予選では、県大会で六位までに入れば、次のラウンドである北関東大会の出場権が得られる。

 だが、ウチらの学校は、一昨年は全体のタイム九位で準決勝落ち、去年は決勝で八位、今年の夏は、六位と0.1秒差で七位といったように、たしかに、毎年少しずつ順位は上がってはいるものの、今一歩のところで、北関東に届いていなかった。

 こういった分けで、ウチの高校では、リレーへの執着が非常に強いのだ。

 たとえば、走者が最高速で、スムースかつベストなタイミングでパスできるようにするために、バトンパスのスキル向上の練習に余念はなかった。とは言えども、やはり、最重要な課題は、各々のスプリント力の向上であることは言うまでもない。

 そのためには、一も二もなく練習だ。

 だけど、ウチの高校は、一応は進学校なので部活動の時間は決まっていた。

 夏の県大会の敗退の後、三年の先輩たちが引退してから、新たな短距離ブロックのリーダーになった二年の桜道淳(さくらみち・あつし)先輩、通称、<ジュンちゃん先輩>は、中長距離以外に無関心な顧問の代わりに、少ない練習時間でも結果を出すために、練習方法の研究と、<効率的>な練習メニューの作成に余念がなかった。


 リレーメンバーは、レギュラーの四人と補欠メンバーの二人で六名になるんだけれど、レギュラーの四人とジュンちゃん先輩の間には走力には割と差があって、走力的には、先輩は六番目であった。だけど、部のメンバーの中で、スプリント愛が最も深く、先輩ほど陸上に詳しい部員はいなかった。だから、三年生の先輩も、ジュンちゃん先輩を、ブロック・リーダーに選んだのだろう。

 そして夏休み――

 秋の新人戦に備えた夏合宿が始まったんだ。


 合宿初日――

 ウチらは、高校近くの急坂に来ていた。

 この坂は、地元では「心臓破りの坂」と呼ばれている、最大斜度二十パーセントの激坂だった。

 上り坂ダッシュは、わずか数本だけで脚がパンパンになってしまう程きつくって、ウチの高校の夏合宿名物の地獄のメニューであった。

「よぉぉぉ~~し、みんな坂の上まであがれっ!」

「「「「「??????」」」」」

 ダッシュを始めるのならば坂の下でしょ。でも、ジュンちゃん先輩に促されて、ウチらは歩いて坂を上って行った。

 坂の上に着くと、ジュンちゃん先輩は、練習内容の説明を始めた。

 この日の練習は、坂道ダッシュであることに変わりはないんだけれど、坂道をダッシュで上がって、地面を蹴るための脚力を鍛えるのではなく、坂道をダッシュで下るというものであった。

「ジュンジュン、こんな練習やったことないんだけど、上るんじゃなくて、坂を下るなんて楽じゃん。練習になんなくね?」

「ミッチー、キツイからって、それが効果的な練習ってわけじゃないんだぜ」

 二年生の中道先輩に対して、ジュンちゃん先輩は反証した。

「ミッチー、最近の研究で、下り坂でのスプリントトレーニングの成果が実証されているんだよ」

「どゆこと?」

「坂を下ると、平地で走っている時以上にスピードが出るんだ。人によって、ストライド(歩幅)が拡がるケースもあれば、ピッチ(脚の回転)が高まるケースなどそれぞれらしいんだけど、いずれにせよ、限界を突破したスピードが出るわけで、それを身体に染み込ませれば、平地を走る時にも、スピードが反映されるっていうわけなのさ」

「わかった。じゃ、とりあえず、試してみっか」

 その激坂は、それほど道幅が広くなかったので、一人ずつ坂を下ることになり、ウチらはリレーの走者順に走り始めることになった。

 走り終えた、第一走者の初瀬(はせ)先輩が興奮しながら、坂の下から大声で叫んできた。

「やっべぇぇぇ~、まじ、やっべぇぇぇ~って、まじ、ぱねぇぇぇって、す、すげぇ速ぇ~ぞ」

 初瀬先輩は、完全に語彙力足らずになっていたが、どうやら、これまで味わったことがないほどの疾走感を覚えたらしい。

 アンカーのウチは四番目に走ることになっていたが、ウチの後に控えている、中道先輩は、限界を超えたスピードを味わえるという期待感に少し酔っているように見えた。

 走り終えた、ウチらレギュラー陣は、坂の麓から、天辺の中道先輩とジュンちゃん先輩を見上げていた。

 中道先輩は、最初おそるおそるスタートを切ったのだが、走り始めるとスピードにのってきて、ストライドがかなり大きくなっているように見えた。

 だけど――

「「「「「あっ!」」」」

 中道先輩は、限界を超えたスピードに脚の回転がついていかなかったらしく、坂の途中でこけてしまったんだ。

 中道先輩は、まるで、弾むボールみたいになって、下り坂を転がっていった。

 その後、中道先輩は病院に運び込まれた。命に別状はなかったものの、先輩は、今回の夏合宿からは離脱することになってしまったんだ。


 合宿は二日目になった。

 初日のアクシデントで、坂下りダッシュは禁止になってしまったため、ジュンちゃん先輩は、別のトレーニングを考案してきた。

 それは、チューブプル、つまり、チューブで引っ張るという練習法だ。

 これは、バイクとランナーをチューブで結び付けて、バイクにプル、つまり引っ張らせるというものだった。

 つまり、ジュンちゃん先輩が提案する、効率的な練習コンセプトとは、限界突破のスピードを肉体に覚えこませるというものなのだ。

 坂下りは転がり落ちる可能性があって危ないので、平地で、常以上のスピードを体感させるのならば、バイクに引っ張らせれば良いんじゃないかって話になったんだ。

 この練習法は、実は、大昔に、四継でインターハイを制した高校が導入していたという練習方法で、先輩はネットで、その時の古い動画を発見したらしい。

 バイクに引っ張られるなんて、面白そうってことで話が盛り上がって、早速、このトレーニングが導入された。

 みんな、五十メートルの加速走のベストは、速くとも五秒台後半だったんだけど、バイクで引かれた結果、みんな、五秒台前半をマークした。

 その疾走時の快感はもう抜群であった。

 みんながこの、バイクで引っ張られるチューブプル・トレーニングの虜になってしまい、日々の練習を送っているうちに、夏合宿は最終日を迎えた。


 みんなが、このバイク・トレーニングに慣れてきたということもあったのか、練習前のブロック・ミーティングで、最終日には、合宿の〆として、これまでよりも少しバイクのスピードを上げようという話の流れになった。

 一走の初瀬先輩が一番目、二走でエースの広木先輩が二番目で、二人が走り終わったところで、次に三走で、ウチと同学年の大貫茂一が走る順番になった。

 そして、大貫が走り始めた。

 五十メートル地点で、マネージャーがタイムを計っていたのだが、ラップタイムを見て、彼女は興奮して叫んだ。

「す、凄い。五秒フラットだよっ!」

 だが、その後、足がもつれてしまった大貫茂一は大地に倒れ込んでしまい、大貫はそのまま数十メートルの間、バイクで地面を引きずられてしまったのだ。スピードメーターの数値に集中していたバイクの運転者は、茂一の転倒に気づかず、伸び切ったチューブが引きちぎれるまで、茂一は引きずり回されてしまったんだ。


 合宿所からの帰り道、帰りの方向が同じだった、ウチとジュンちゃん先輩は、駅までの道すがら、あの激坂を下ってゆくことになった。

 実は、ジュンちゃん先輩とウチは同中で、中学の時は、先輩が三走、ウチがアンカーだった。その時にも、惜しくも関東大会には届かなかった。

 坂道の幅が狭いため、ウチらは、ウチが前、先輩が後と、まるでリレーの三走と四走みたいに縦一列になって、無言で自転車を押し歩いていた。

「なあ、サッキー」

「なんすか、先輩」

「今回の合宿でいろんな事が起こっちゃって、秋の大会は、中学ん時みたいに、俺がお前にバトンを渡すことになりそうだわ。よろしく頼むわ」

 それだけ言うと、先輩はまた黙ってしまった。

 ちょうど、風が強く吹いてきて、そのせいで、ウチの目にごみが入ってしまった。そこで、ウチは、胸ポケットに入れていた鏡を取り出した。

 その時――

 鏡に、ジュンちゃん先輩の顔が映り込んできた。

 ウチはバトンパスの時と同じように振り返りはしなかったんだけど、鏡の中のジュンちゃん先輩の表情は、喜びで溢れかえっているように思えてしまったんだ。


<了>

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限界突破・スプリンター 隠井 迅 @kraijean

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