命の灯よ、ここに輝け

中村 天人

新人看護師、はじめて患者さんを看取る

 私が初めて患者さんを看取った日。


 産休中の同僚が、生まれたばかりの赤ん坊を抱えてナースステーションにあらわれた。母子ともに健康で、めでたく退院の運びとなり、配属されている病棟に挨拶に来たのだ。


 この日、患者さんを看取っていなければ、可愛い赤ん坊との出会いは印象に残らなかったかもしれない。


 まったく関係のない二人が見せた、人間の生と死。

 あの時、私の中で死が特別なものになった。




 看護学校を卒業した私は、そのままエスカレーター式に付属の病院に就職した。

 配属先は内科病棟。糖尿病の教育入院の患者さんなどは元気よく退院していくが、ほとんどの患者さんの病気は癌。病院で最期を迎える人も少なくなかった。


 卒業後、初めて受け持った80代の男性。

 この方も癌だった。


 新人だった私は、上手に採血ができなかったり、手際が悪くて何度も病室を訪れたり、とにかく沢山迷惑をかけてしまった中の一人が彼だ。

 その患者さんが、私の夜勤明けの朝に亡くなった。


 長年連れ添った奥さんが、冷たくなった夫を前に肩を落として涙を流す姿。それを見守る私の中で様々な思いが交差する。


 患者さんに、奥さんに、担当の私は一体何ができたのだろう。

 未熟な自分の至らなさや、もっとできたことがあったのではないかと言う後悔、私を看護師として育ててくれたことへの感謝。

 もう二度と会えない悲しさ。


 看護師と言えど、ただの一人のちっぽけな人間。

 人の死を前に涙が出ないはずがないのだが、立場をわきまえて最小限に気持ちを抑圧しなくてはならない。

 22歳の新人看護師だった私は、誰にも知られないまま今にも溢れそうな感情を処理し、気持ちを奮い起こして最期の身支度をさせてもらった。

 そして、お見送りが終わってカルテの整理をしていた時、産休中の同僚があらわれたのだ。


 この時、私の前に天使が舞い降りたのだと思った。


 母親と赤ん坊を囲み、次々に祝福を送る同僚の看護師たち。

 私もその輪に入り、人差し指を差し出してみる。それを一生懸命に握る赤ん坊の小さな柔らかい手。

 つい先ほど看取った患者さんのことを思い浮かべながら、この小さな手で、肩で、きっとたくさんのものを背負って人生を駆け抜けていくのだろう、そう思ったのを鮮明に覚えている。



 これが、人間の命のレースを肌で感じた瞬間だった。



 死んでいく命と生まれたばかりの命。

 終わりと始まり。


 人はいつか死ぬ。

 理屈では分かっていても、明日があると思って生きていたことに、若い日の私が気が付いた。




 私が好きな発達心理学者に、E.H.エリクソンと言う人がいる。

 エリクソンが言うには、人は年老いると二つのタイプに分かれるそうだ。

 (各年齢に発達課題があり、この場合は老年期の発達課題を指す)


  統合 対 絶望


 この言葉の意味を、私はこう解釈している。


 良い人生だったと思って満足感の中で死を受け入れる人と、人生の取り返しがつかず絶望の中で幕を降ろす人。


 体が老いて残された時間も少なくなった時、やり残したことや後悔があると、それを取り戻す時間も体力もないことに絶望を感じるのだろう。


 最期に自分の生きざまを振り返った時「良い人生だったな」と思いたい。だからそのために、人生という長いマラソンを納得いくように走りたい。

 生と死という教科書からそう読み取った私は、自分の感覚に正直に生きるようになった。


 今を一生懸命、自分に正直に生きること。

 その積み重ねが歩いた軌跡を輝かせ、振り返った時に絶景となる。


 最後の課題をクリアする日を楽しみに、私は人生を走り抜けたいと思っている。




 さいごに、私を育ててくださった全ての人に、心から感謝を捧げます。

 どうもありがとうございました。

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