ミッション

竹神チエ

オーケー、JJ。

 おれは左右を確認した。ブツを持つ手にも力が入る。


 こいつを落とすわけにはいかねえ。タウンの連中に迷惑がかかっちまうからな。無事にボスまで届けねえと、おれたち全員が困ったことになるぜ。


「右、障害物なし。左……よし、誰もいねえな」


 念のため背後も確認してから、おれは左の進路を選び、踏み出した。こっちの道は遠回りだが、人目はぐっと避けられる。


 次の角まで一気に走り抜けると、おれは電柱の陰で一息ついた。くっそ、給水ボトルを持ってくるんだったぜ。まだ春になったばかりだってのに、気温は砂漠みてえに上昇しやがる。


 陽が容赦なくおれを焼く。この異常気象なご時世に、ハットもなしに外に出たなんて知られたら、かかあにどやされちまうな。


 つい怒り顔を想像して苦笑していたおれだったが、肩に衝撃が走って振り返る。


「!!」

「よう、JJ。昼間っから、幽霊でも見たような顔しやがる」

「くっそ、てめーかよ。テディ」


 腐れ縁の男、ふとっちょテディだ。やつはキャップを軽く持ち上げて笑う。アニメキャラの白Tシャツの脇は、やつの汗をたっぷり吸いつくして、でかいシミを作っていた。むせかえるような悪臭だぜ。


「はなれやがれ、くま野郎。てめえの汗で溺れそうだ」

「おいおい。久しぶりだってのに、つめてぇ男だな」

「ふん、なにが久しぶりだ。きのう並んで飯を食ったのを、もう忘れたのか」


「おっと、そうだったな、JJ。おれはマドンナ・リリーばかりみていたから、お前の存在なんて忘れていたぜ」


「よくいうぜ。おれのエッグを盗みやがったのはお前だろうが、テディ」

「はっはっ。そいつは悪かったな。おれの腹は、ガキのランチ量じゃ満足できねえんだ」


 何が面白れぇのか、テディはゲラゲラと笑い出す。おれは黙らせるため、こいつのたるんだでかっ腹に一撃くらわした。


「ウップス。こいつああ、ひでえやつだ」


 キャップを投げ捨て、ファイティングポーズをとるテディ。おれは例のブツを鼻先につきつけてやった。


「おれのミッションを邪魔すんじゃねえ。騒ぐんなら、てめえとの腐れ縁も、ここでしめえにしてもいいんだぜ」


 怪物ジョンもチビるおれの眼力に、調子に乗っていたテディも冷静になる。


「オーケー、JJ。お前の仕事は邪魔しねえよ」


 降参を見せる両手に、おれは軽くパンチして、この日のバトルは終了だ。やつは投げ捨てたキャップを拾うと尻で汚れを叩き落として、ぎゅっと深くかぶりなおす。


「で、そいつをどこに運ぶつもりだ」


 おれはブツに記されている名前を指ではじく。テディはまた「ウップス」とうめくと、「ボスかよ。怪物ジョンが黙ってねえぜ」と声を低めた。


「そんなこたあ、こいつの運び屋になったときから、わかってんだ」


 おれの言葉に、テディは同情したように首を振る。


「そうか。おめえが行くっつんなら、おれも一枚かませてもらう」


「ばかいえ」おれはやつの肩をつかむ。

「お前んとこは、チビがうまれたばかりじゃねえかよ」


「はっ。あいつはおれがいても泣いてばかりだ」


「くっそテディめ」

「おいおい。おれはふとっちょとテディだ」


 にやっと笑うやつの顔を、おれがどんだけ頼もしく思ったか。口に出しては絶対いわねえけどな。


 おれはブツの中身をやつに見せた。やつは目を見開き、かすれ声を出す。


「こいつぁ、とんでもねえ計画だ」

「しかたねえだろ」


 俺は肩をすくめる。おれだって認めたくねえよ。でも上のやつらが決めたことだ。おれたちは従うしかねえ、ちっぽけな存在だ。


「でも、そう困るか? むしろおれたちにとっては好都合だと思うね」


 おれは強気な態度に出た。テディは低くうめく。


「ばかやろう。うちのガレージを見てからいうんだな。全部の準備が整ってたんだぜ」


「そいつは気の毒だ。おれはまだあいつらを手放さなくていいかと思うと、笑いが止まらねえよ」


 かかあには悪いが、あいつらはまだおれを楽しませてくれる。この計画がいつまで続くか知れねえが、数か月は安泰ってところか。


 だが、テディんちはそうもいかねえ。やつは前回、ミスしちまってる。そのツケがまた続くかと思うと、笑ってばかりもいられねえんだろう。


「ま、うちに来いよ。チップス片手に楽しもうや」

「ちっ。ひとりもんは優雅なご身分だぜ」


 おれたちはブツをかわるがわる持ちながら、ボスのいるノース地区まで歩いた。そこにつくまではヘブンみたいなもんで、おれたちは冗談交じりに昔話に花を咲かせていたもんさ。


 けど、そういう時間は長くはもたねえ。最初に気づいたのは、意外にもふとっちょテディのほうだった。おれは頭皮を刺激する日光に、すっかりまいっていたらしい。反応が遅れて、気づいたときには、尻もちをついていた。


「おい、走るぞ。あいつの血走った目がわかんねえのか」

「わかってら。いま立つところだ」


 おれたちにむかって歯をむき出してやがるのは、ボスの狂犬、怪物ジョンだ。こいつはボスの手にも負えねえワルで、完全に頭がいってる、タウンの嫌われもんだ。


 いつもはボスの監視下にいるが、隙あればおれたちに反抗してくる。どうもやつの思考はミジンコレベルらしく、ボス以外は敵だと勘違いしてるらしい。とんだあほうだが、やつの力だけは本物だった。


「ウップス」テディがうめく。

「あいつはおれたちを殺す気だぞ」


「ふんっ、やってみやがれ」


 おれはギラギラの目をしているジョンに向かって、尻を叩いておちょくる。


「おーい、ジョン。こっちだ。おれが遊んでやるぜ」

「おまえ、なにやって」


 慌てるテディに、おれは小声で指示を出す。


「おれがやつを引き付ける。そのあいだに、おまえがこいつをボスに届けるんだ」


 裏町のじいさんが死に物狂いで運んできたブツを、おれはテディのたるんだ腹に押しつける。あのじいさんは、今頃、ぶじに家についただろうか。蛇口をひねって、透明な水をがぶ飲みしていることを願うぜ。


「おい。そいつはちがうんじゃねえか」

「テディ?」


 ふとっちょテディは、ブツをおれに付き返す。キャップを後ろ前に回して腹をばんと叩いた。


「ジョオオオオン」


 テディが叫ぶ。「おれがてめえの相手だああ」


「おい、ふざけんな」


「はっ。それはこっちのセリフだ。てめえは自分の仕事を最後までやりとげろ、おれの屍を越えてなああああ」


 テディは、「ジョオオオオン」とまた叫ぶと、怪物ジョンに突撃した。ジョンが狙いをテディに決めたところで、やつは肩越しに振り返り笑った。


「行けよ、JJ。走れっ」


「ちくしょう。死ぬんじゃねえぞ」


 おれはブツを落とさねえよう赤子を抱くように守りながら走った。走って、走って、走って、ボスの家を目指す。


 途中、足がからまって土手を激しく滑り落ちちまったが、這い上がり、爪に土を食いこませて立ち上がった。こんな痛み、テディの痛みにくらべたら、屁でもねえ。くっそ、無事でいろよ。明日、特製のピッツァをおごってやるからな!


 ボスの家に着いたとき、あんなに暑苦しかった太陽は、田園のふちに沈みかけていた。染まる道を、おれは足を引きずりながら進む。ひざはすりむけ、血がシュージュを赤く汚す。


 おれがドアをノックする間もなく、ボスは到着に気づいてくれた。ボスは驚きに言葉がなかったようだが、おれが渡したブツを見て、安堵したように息を吐く。


「届けてくれたのか」

「はい。緊急だったので」


 けがの手当てを、と中へうながすボスに、おれは首を振る。


「ジョンが」


 ――テディ、無事でいろよ。


「また逃げてますよ」


 おれの言葉に、ボスは顔をしかめる。


「そうか。捕まえにいかんとな」


 おれは軽くうなずき、背を向けると走り出した。

 走れ、走れ、テディのもとへ。


 おれ――JJこと、小学五年生・城島じゅんは、テディ(熊田ケンヤ)を探しに走った。ボス(地区会長)の飼い犬ジョンから、彼は無事に逃げられただろうか。


「おーい、テディ」


 わんわん吠えたてるジョンから逃れたテディ(熊田)は、マドンナ・リリー(同級生の百合子ちゃん)が通うピアノ教室に避難していた。


 このピアノ教室の先生は、テディの母親だ。この日は生まれたばかりのテディの妹も教室に来ていた。テディの母親は、ひざをすりむいているJJを見て驚く。


「まあ、どうしたの」


 JJは回覧板を届けて来たんだよ、と答えたあと、おばさんに教えてあげる。


「明日の廃品回収、やらないんだって」


 テディの母親はうめいた。

 車庫には、段ボールと雑誌がいっぱい積んであるのに……。



 


 

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ミッション 竹神チエ @chokorabonbon

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