愚かな賢者と花売り娘と鳴らないケータイ

古武智典

愚かな賢者と花売り娘と鳴らないケータイ

「30歳まで童貞だと魔法使いになれる」


 なら、私はさしずめ大魔法使いか賢者と言ったところだろうか。

 私の初体験はそれ程まで遅かった。


 恋愛は人並みに経験しているが、今となっては若い、というより幼い思い出で、社会に出てからはとんと異性に縁が無かったせいでもある。

 今のように出会い系サイトだのマッチングアプリだのが無かったか、胡散臭いものしか存在しなかった時代であったのだ。

 無論社会人になっても、恋愛に対する欲求は有ったし、下世話な話し性的欲求もあった。

 ただ、女性に縁が無かったというのもあるし、自分自身が生身の相手をするのも面倒臭いなどという、今から考えると「なにを無精な」といわれそうな日々をだらだらと過ごしていたためでもある。

 私の住む生まれ故郷は古い田舎町で、産業と言ったら酪農かミカンや梨がそれなりに有名と言った程度で何もない場所でもあったのだ。

 それと女性に求める理想が高すぎた、と言うのもあるし、所謂いわゆる二次元に傾倒していた『ヲタク』であった事も理由の一つだろう。

 それと当時は、自分が結婚して子供を育てるのは不可能に近いとんでもないこと、と考えていたのだ。

 実を言えば子供を愛して育てる自信が無かった。それどころかイライラとして暴力を振りかざし、虐待を繰り返しかねないという恐怖にも似た予感もあったのだ。

 子供が嫌いなわけでは無かった。兄夫婦が生んだ姪達は皆可愛かったし、我が子のように可愛がりもした。

 だが兄からも言われたが、「可愛がる事が出来るのは、自分に責任がないため」との言葉が私の胸に刺さった。その通りだと思ったからだ。ならば結婚などせず一人生きて行ければと考え、いつの間にかアラサーと呼ばれる年代はとうに過ぎ、周囲の見合い話も全て断って、挙げ句には両親から同性愛者なのかと詰め寄られるまでに至っていた。


 私が恋したのはその頃だった。


 ただ、相手が悪かった……といっては失礼かもしれない。


 私が学生以来恋した相手は風俗の女性であったのだ。


 まず惚れたのはその容姿だった。自分の理想を具現化したような女性だった。

 年齢も私より遙かに若く、しかし大人びていて、なにより誠実であった。

 風俗という仕事にも関わらず、である。

 サービスが良いという以上に気遣いをしてくれ、こちらの要求にも努力して応じてくれるのが分かった。

 これが単なるサービスでも良い。

 私は、その女性に恋をしてしまったのだ。

 一緒に歳をとっていきたいと思える程に。

 彼女の子が欲しいと思えるまでに。


 そして私は彼女の常連となった。

 無論、彼女がビジネスで付き合いってくれる以上、金は必要だったが、貯蓄を降ろし、借金までして、彼女の出勤スケジュールを確認しては彼女の元に通い続けるという日が多くなっていた。

 そしてついには、彼女と自分のケータイの電話暗号まで交換しあうまでの関係を築く事が出来た。

 更に遅まきながら自分が賢者からただの男になったのは、彼女が私の初めてを貰ってくれたおかげだったのだ。

 そしてある日、私は彼女の過去には何故かとんと興味が湧かなかった為もあって、私は思いきって交際を申し込んでみた。

 これで振られても、風俗嬢に入れ込んだ愚かな男が一人生まれるだけだと。そこまでの覚悟をして。


 そしてその結果は、驚くべき事に「イエス」だった。


 私は有頂天となった。


 理想の女性が自分だけの、唯一の存在になってくれる。こんなに嬉しいことは無かった。

 無論、彼女の過去なり背景なりを飲み込もうとするならば、生半可な覚悟では務まるまいと思っていたし、実際山積みになっていたことだろう。

 それでもいい。私はその時本気で一世一代の覚悟を決めていたのだ。


 そうして私と彼女は結ばれ、めでたしめでたし──

 

 となればよかったのだろう。


 だが、破局は一方的に訪れた。


 ある夜の事だった。


「今日で最後」

 

 彼女はポツリとそう言った。


「お店、辞めるから」


 それがどうしたのかと問う私。

 

 金が必要なら相談に乗るし、と交際する時に言っていたのだが、彼女は首を横に振っていた。ただ、しばらく今の仕事を続けさせて欲しいとは言っていたが。

 

 じゃぁなんだ。他に好きな男でも出来たのか。それならそうで、相手次第では祝福してやる。そうも言ったがやはり首を振るばかり。


 訳が分からなかった。


 私は相手の女性のことを尊重しているつもりだったし、隠す事など何も無いことを言っている。


 それが重荷になったのか?


 尋ねてみたらこんな答えが返ってきた。


「私、行かないといけないの」


 どこへ?


「……遠いところ」


 それだけ言って、彼女はその夜逃げるように別れた。


 そして、それが彼女と交わした最後の会話になった。

 

 翌日以降、店のサイトから彼女の名が消えていた。

 交わしたケータイ番号も、通話不能になっていた。


 店に尋ねてもただ「辞めた」と言うばかり。


 その日を境に「彼女」という存在はまるで最初からいなかったように過ぎ去っていく。



 そしてケータイがガラケーと呼ばれ、スマートフォンが主流となったこの時代。


 今も私は一人でいる。



 これは愚かな賢者がただの男になった話。



 花売り娘との恋の話。



 いつ、どこにでもあるような、ただの失恋の話である。

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