ぐァぉぇん!

綿野 明

ぐァぉぇん!



「お前……駆竜くりゅうだろ? なんで全然動かないんだ?」


 テナはそう言ってみたが、三日前に相棒になったばかりの駆竜モーロは、その場に寝そべったままのんびり欠伸あくびした。よく見ると小枝や布の切れ端をかき集めてふかふかにした寝床の上に乗っかっている。お前、こんなのいつ作ったんだ?


「ほら、襲歩しゅうほ! お前の母さんがあたしの父さんとやってたみたいにさ、やってみようぜ。楽しいぞ? 風を切って走るの」


 耳の後ろをかいてやると目を閉じてゴロゴロ喉を鳴らす。うーん……懐いてはいるんだよな。


「モーロ。おーい、モーロさん。走りに行こう?」

「ぐあぉォぅェン」

「なんて?」

「ぐォぇん」

「あん?」


 何か喋っているが、意味はわからない。もこもこした羽に手を突っ込んで背中を揺すってみる。気持ちよさそうに鼻息を吐いた。


「おい、撫でてるんじゃないぞ、モーロ。起こしてるんだ」


 今度は返事もしない。寝息が聞こえ始めた。



 ◇



 駆竜の里に暮らすテナ達は、十歳になると竜の相棒を得て狩りに出るようになる。竜といっても駆竜の見た目は長い尻尾のついたダチョウという感じで、冠羽根のついた小さな頭に長い首、前足は羽毛に隠れて見えず、立派な二本の脚と太くて長い尾を持っている。飛膜で空を舞う飛竜よりは弱そうだが、どんな竜より速く駆ける優美な生き物だ。あと、蹴りもすごく強い。


 テナの相棒モーロは、そんな駆竜のなかでも特別美しい黒紫色の羽を持つ、特別体格のいい若い竜だ。彼が相棒になると知った時テナは喜びで小躍りしたものだが、しかしモーロはどうやら特別怠惰な性格の持ち主でもあったらしい。この三日、ただ日向でおやつを食べながらごろごろして生活している。


「モーロ、行くぞ」

「……ぉぇう」


 すごく情けない声が返ってきた。平原を群れで駆け、時にグリフォンをも蹴り飛ばす誇り高き駆竜とはとても思えない姿だ。というか、本当に不自然なくらい寝てばかりだな。


「もしかして……具合悪いのか?」


 段々心配になってきて、小さな声で問いかける。そういえば顔色も土気色で、具合が悪そうに見えてきた。どうしよう、何か大きな病気だったら。


「父さん! 父さん!」


 テナは真っ青になって、向こうでモーロの母竜モイレンの羽繕いをしてやっている父のところへ走った。父は疾走する娘の顔色を見るやいなや、狩人らしい鋭い目になって言った。


「グリフォンか」

「違うよ。父さん、モーロが具合悪いかも」

「何だと?」


 父と共にモーロの巣まで走る。肩で息をしながら相棒のところまで戻ると、モーロは満足そうに息を吐いて一際大きい声で何か寝言を言った。太い足を体の下に仕舞い込み、細い首をだらりと地面に伸ばして、間抜けな毛玉のような形になっている。どんな寝方だ、せめて丸くなって寝ろよ。


「……どこが具合悪そうなんだ」

「寝てばっかりで、顔色が悪い」

「駆竜の顔は元々土色だろ」

「あ、そっか」


 テナは納得して照れ隠しの笑みを浮かべたが、父は「まあ、一応……」と言ってモーロの羽に手を突っ込み、体のあちこちを触った。モーロは薄目を開き、ぐるぐると喉を鳴らして寝返りを打つと腹を見せながら大きく欠伸した。


「どこも悪くなさそうだな」

「……じゃあ、なんでモーロは全然動かないんだ?」


 眉を寄せると、父は「動かない、ねえ……」と言って立ち上がり、腰に手を当てて大きな声を出した。


「モーロ、〈立てアッシェ〉!」


 さっと立ち上がったモーロが父の傍らまで小走りにやってきて、頭を低くする服従の姿勢をとった。


「……え?」

「いい子だ、モーロ」


 父がひらりとモーロの背に飛び乗る。


「〈襲歩ガィルエン〉!」


 モーロはすぐさま反応し、幅の広い三歩の助走の間に息を呑むような急加速をして、跳ぶように走り始めた。実に駆竜らしい、骨も筋肉も繊細な馬には絶対できない走り方だ。嵐の日の突風のように速い。


 父とモーロはそのまま家の周りを一周し、速度を緩めながら戻ってくると、ふてくされたテナの隣にぴたりと止まった。いつの間にか近寄ってきていたモイレンが、励ますようにテナの肩を鼻先でツンとした。


「ま、嘗められてるんだな」


 ニヤッと笑って父が言う。最悪の気分になったテナは足踏みしながら「はあっ!?」と荒い声を上げた。それに構いもせず、父を背から下ろしたモーロがずんずん寄ってくる。なんだよ紫もふもふ、さっきはあたしの言うこと全部無視したくせに。


「もーっ! なんでだよ!」

「お前がちっこいからだろ。精進することだ」

「あたしのせいかよ!」


 もう一度地団駄を踏んだテナは、こちらをものすごい近距離から覗き込んでくるモーロからぷいと顔を背け、モイレンに話しかけた。


「ねえモイレン、乗せてよ」


 母竜は「いいよ」というように優しく瞬いて、テナが乗りやすいように背を向けてくれた。そうそう、これだよ。


「──ぐおぁォウぇえン!!」

「は?」


 その時モーロがとても大きな声で嫌そうに鳴いて、テナは顔をしかめながら振り返った。


「なんだよ」

「ぅぉぇん……」


 今度はねだるように高い声で鳴く。


「お前が先に無視したんだろ」

「ぐぅぅん!」

「チッ……わかったよ。どうしてもお前が乗せたいのな」


 不機嫌を装って、しかし内心ぴょんぴょんしながらモーロの背に手をかける。父が「女の子が舌打ちするな」とかなんとか言ったが、無視して背中に飛び乗った。


「行くぞモーロ、〈襲歩ガィルエン〉!」

「ぐぅぅぉぇん!」


 モーロは素晴らしい加速で平原を駆け出した。父の時と違っていちいち間抜けな声を返すのが解せないが、まあいい。


「これだよこれ! できるじゃん!」

「ゥぇン!」


 体で風を切る。太陽に向かってどこまでも走る。ふたりにはグリフォンの翼だって追いつけない。最高の気分だ。


「よし、モーロ! そろそろ戻ろうぜ。今日は狩りの道具を持ってきてない。遠出はまた明日だ」

「ェん!」


 ひとしきり楽しんだところでテナが相棒に声をかけると、駆竜はご機嫌に返事をして更に速度を上げた。おい、嘘だろ。


「おい戻れ……止まれって! 〈止まれパテン〉!」

「ぐァぉぇん!」

「ぐァぉぇんじゃない! おい、モーロ!」


 全く、本当にどうしようもないやつだな──よし、最後の手段だ。


 しかし不測の事態にもテナは冷静だった。狩人の娘に相応しく、きりりと勇ましい顔で頷いた彼女は、バッと首を後ろに向けると声を振り絞った。


「父さん! 父さん助けてえええぇぇえ!!」

「ぐォぇぇええええん!!」


 歓喜の雄叫びでも上げていると思ったのか、テナの叫びに合わせてモーロも楽しげに咆哮した。


 そうして一人と一頭は絶叫の尾を引きながら地平線の彼方に消えてゆき、平原には呆れ顔の母竜と爆笑する父親が残された。





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