ボクとお父さんのおうち時間

久世 空気

第1話

 お父さんがお仕事に行かないで、ずっと家にいてくれるようになった。「きんきゅうじたいせんげん」というものの、おかげらしい。よく分からないけど、ボクはお父さんと一緒にすごせてとてもうれしい。

 今日は一緒に本を読んだ。お父さんが読む本はむずかしくて全然意味がわからないけど、お父さんが読み終わって積んだ本を、たおすのは楽しい。「あ~」とか言いながらお父さんは積み直す。

 怒らないお父さんが大好き。


 ここに引っ越ししてきたばかりの時は、お父さんは朝早くにお仕事に行き、帰ってきたらすぐに寝ていた。ボクが夜中にテレビを付けたり消したりしても、全然気づかないくらいぐっすり。つまんなかった。

 でも最近は一緒にテレビを見てくれる。今日はお父さんが借りてきた昔のアニメのビデオを見た。お父さんはえんえん泣いていた。アニメも面白かったけど、お父さんの顔が一番面白かった。


 お父さんは毎日数時間、机に向かってお仕事をした。一人でパソコンに向かって何か打ち込んでいることもあれば、画面に映っている人と真面目な顔をして、たまに笑いながら話すこともある。大事なことだってボクにもわかるからジャマしたりしない。

 でも仕事が終わったらすぐにお父さんに抱きつく。お父さんは「はぁ、疲れたぁ」とか言って一緒にお風呂に入ってくれる。そして一つのお布団で眠る。胸の上に飛び乗るとお父さんは「う~ん」って苦しそうな声を出すけど、ぜんぜん起きない。

 お仕事って本当に大変なんだな。


 お父さんは時々「暇だなぁ」って言ってお掃除をはじめる。別に汚れてないし、ちらかってないけど「部屋が暗い」と棚とか机とかの場所を変える。そして押し入れの中をのぞいて「あ、この段ボール開けてない」と引っ越ししてきたときに放り込んだままになっている荷物を見つけて引っ張り出す。

 段ボールの中を見ながら「こんな所に入れてたのか」「こんな物まで持ってきてたか」といろいろ取り出すから、お掃除してたはずの部屋がちらかってしまう。

 そうやって押し入れを何度も開け閉めしてるから、最初はガタガタとしか開かなかった襖もひっかかっていたものが取れてスムーズに動くようになった。これにはお父さんもちょっとうれしそうだった。

 部屋はちらかったままだけど。


 お父さんはだんだんボーッとすることが多くなった気がする。お仕事で何度も誰かに謝っている。ボクが「オムライス食べたい」っていったら作ってくれるけど出来たオムライスを見て「あれ? 何でオムライス作ったんだろう」とか言ってる。

 部屋もちらかったままになってきた。

 でもボクはお父さんが大好き。

 お父さんは怒らないから、大好き。


「こんにちは、田仲さん」

「こんにちはじゃないですよ! どういうつもりですか!」

「お電話いただいた件ですね?」

「当たり前でしょ! 事故物件だなんて聞いてません!」

「聞かれませんでしたし、すでに告知義務がない部屋でしたし」

「私、聞きましたよね? 『何でこんなに安いんですか』って。あなた、なんて答えました?」

「『押し入れの立て付けが悪くて、開きにくいんです』」

「そうですよね! ごまかしてるじゃないですか!」

「でも実際開きにくかったでしょ?」

「あんなもの、何回か開け閉めしてたら直りましたよ!」

「そうなんですか! 良かったですね!」

「全然良くないです! 事故物件! 虐待されていた子供がそこの押し入れで餓死していたそうじゃないですか!」

「痛ましい事件です」

「おかしいと思ったんですよ! 角部屋で窓が多いのに始終部屋は暗いし、やたら肩は凝るし、金縛りにもなるし! たまに記憶が飛んで食べたくもないオムライスを作っていることもあるんですよ!」

「私もオムライス、好きですよ?」

「聞いてないです! 今までこういったクレームはなかったんですか?」

「前の住居者の方は『単身者アパートなのに子供の声がして怖い』と引っ越されましたね。その前は『夜中にテレビ等の家電が付いたり消えたりして怖い』と1ヶ月ほどで。田仲さんは最長ですね」

「3ヶ月で最長?! まあ、引っ越したばかりの頃はまだ在宅ワークより、出勤の方が多くて気がつかなかったのもありますよね、たぶん」

「でも田仲さんは短期入居の方ですよね?」

「そうですよ! 在宅ワークが増えたことと、妻が妊婦で新型コロナの感染リスクを減らす別居のための部屋です。さすがに立ち会えませんでしたが先週無事、娘が生まれました」

「それはそれは。おめでとうございます! え、じゃあもう退去します?」

「当たり前でしょ。退院の準備もありますし」

「じゃあそんなに怒らなくても」

「それとこれとは別問題です!」


 お父さんが引っ越すことになった。

 今までのお父さんと一緒ですごく急いでる。

 でもね、今回はボク、ついて行くんだ。

 お父さんは気づいてないかもしれないけど、お父さんの荷物にね、ボクの歯が入ってるんだよ。

 ボクは押し入れの中で死んだけど、その時に歯が抜けてね、襖と溝の隙間に入ったんだ。

 ボクの歯は小さくて誰も気づかなくて、ずっと襖が開けにくかったけど、お父さんがたまたま取り出してくれたんだよ。お父さんはボクの歯に気づかずに、他の荷物と段ボールに詰めちゃったね。

 だからかな、ボク、お父さんについて行けるみたい。

 お父さんの家、どんなのかな?

 お母さん、どんな人かな。

 妹ができたんだよね。

 たのしみだな。

 これからもよろしくね、お父さん。

 

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