サクラメント

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廻春

「なあ、犬を飼ってみないか?」


 私の内縁の夫、ユウトが夜の食事で唐突にそう告げた。

 今日は20回目の私の誕生日。

 少し豪華なワインを開けて、ちょっと気取った豪華な食事にしてみたけれど、私たちの日常は変わらない。



 彼は病気で子どもが産めなくなった私を愛し、結婚しようとまで言ってくれた優しい人。

 ――だけど私はそれを断った。私なんかと結婚したら、彼が不幸になる気がしたから。


「それは私が子どもをつくれないから? やっぱり欲しくなっちゃったんでしょう」


 まただ。

 私はこういうところで変にプライドを張って、強がって、思っても無いことを言って彼を傷付ける。

 彼がそんなことを思っているワケが無いのに。


「違うちがう。僕の幼馴染がブリーダーをやっていてね。売れ残ってしまってこのままじゃ処分することになっちゃうからどうにかならないか、って言われてさ。幸いウチは一戸建てだし、どうかなって思って」


 ほら。私が嫌味を言ったって、にへら、とした笑顔で返してくるんだから。

 私も毒気が無くなって素直に考えてしまう。


「そうね……実際にその子を見てみないと分からないわ。ほら、やっぱり相性ってものもあるじゃない?」


 まぁ私も動物は嫌いじゃない。

 ていうか、人間なんかよりよっぽど好きだ。

 孫だなんだ、旦那が可哀想だ、なんて心無いことを言ってくることもないしね。



「じゃあ明日は休みだし、さっそく行ってみようよ。いやぁ、なんかドキドキしてくるね!」

「ふふ。ユウトはいつまでも子どもね。ダメって言っても捨てられている動物を拾ってきそうだもの」

「あはは、たしかにそれは言えてる。なんだか放っておけないんだよね~」


 ならさしずめ私は拾われた生意気な猫かしら。

 散々噛み付いて、構ってくれないとフシャーって怒るめんどくさいヤツ。


 だけど私はもう野生には戻れない。戻る気も無いけどね。

 私の記念すべきオトナになった夜は、彼と二人っきりでケモノのように愛を確かめ合った。




 ◇


 そうして私たちは結局、そのブリーダーの友人のところで出会った柴犬に一目惚れしてしまった。

 ロクに準備もできていないのにそのまま引き取り、その帰り道で寄ったペットショップで片っ端からペット用品を買い漁った。


 その柴犬は大人しい子で、すぐ手と口が出る私とは大違い。

 ひと通り躾もされていて、ほとんど手が掛かりそうもなかった。


 家に着いた私たちは犬のゲージを組み立てたりした後、さっそくその柴犬を連れて近所の公園に散歩をしに行くことにした。




 桜が満開となった歩道を、二人と一匹で歩いていく。

 春の陽気が気持ちよく、犬も心なしか嬉しそうに見える。


「ねぇ、この子の名前どうするの?」


 私はリードを持ってご機嫌なユウトにそう尋ねる。

 念願のペットとの散歩が叶って相当嬉しいのだろう。頭に桜の花弁が乗っているのにも気づいていない。

 せっかく家族として迎えたのだ。名前も無しにいつまでも柴犬って呼ぶわけにもいかない。


「そうだなぁ……うん。サクラでどうだろう? ほら、初めて散歩した記念にもなるだろ?」

「サクラ……うん。この子も女の子みたいだし、丁度いいんじゃない? よろしくね、サクラ」


 まだ自分の名前の事だと分からないサクラは、地面に舞い落ちた桜の花の匂いをフンフンと嗅ぐだけで此方には反応しない。


「ふふふ、これからゆっくり覚えていけばいいからね。ちゃんと僕の奥さんと仲良くしてくれよ?」

「ちょっと、それってどういうことよ!?」

「あははは。そのままの意味だよ~」


 私が問いただそうとすると、ユウトはサクラと一緒に逃げ出してしまった。


「……もう! ホントに子どもなんだから!!」


 桜吹雪の中、私の大好きなものが一つ増えた想い出のワンシーン。

 私は無意識にスマホを取り出して、ユウトとサクラが走り回るその姿を写真に収めていた。





 そしてその半年後。

 ユウトは死んだ。


 末期のすい臓がんだったらしい。

 入院する直前まで元気だったのに、どんどんやせ細っていってしまった。

 最後の数週間なんて、痛み止めも効かなくなってずっと昏睡状態。

 私は泣きながら、静かに息を引き取っていくユウトの手を握っていた。



 私はまた一人になってしまった。

 ユウトが居なくなって、私は独りじゃ生きていけないことを再び味わうことになった。

 あんなに文句や嫌味を言っても平気な顔をしていた彼が、あんな呆気なく逝ってしまうなんて。


 私は暗いダイニングのテーブルでひたすら泣き続けていた。

 もう、生きていたくない。

 ユウトに会いたい。あいたいあいたいあいたい。


 いっそのこと、後を追ってしまおうか。

 そんなことを考えてフラっと立ち上がった時、何かが私の脚に触れた。



 ――サクラだった。



『くうぅうん……』


 サクラは私を気遣うように、小さな声で鳴いた。

 まるで泣くようにクゥン、と何度も。何度も。濡れた小さな黒い鼻を私に擦りつけながら。


「サクラ……ごめんね。ご飯もまだだったよね……ごめんね……」


 私は重い身体を引き摺るようにしてサクラのご飯を皿によそって、いつもの餌場にセットしてやる。

 だけど、サクラは見向きもせず、ずっと私を見つめたままだ。


「どうしたの、サクラ……もしかして、私を心配してくれているの?」

『クウゥン……」


 必死な声で、ひたすら私に頬擦りをし続けるサクラ。

 やはり泣いてばかりいた私を思ってくれているようだった。



「ふふふ、サクラは優しいね。まるでユウトみたい。……ありがとね」



 そうだよね、私にはまだサクラが居る。

 この子がちゃんと天寿を全うするまではちゃんと私も生きないと。

 だって私がサクラのお母さんなんだもん。



 そうして気力を少し取り戻した私は、ユウトの葬儀をなんとか執り行うことができた。


 お互い家族とは疎遠だったから殆ど人は来なかったけど、お葬式でサクラを譲ってくれたブリーダーの人と再会した。

 ユウトの幼馴染であった彼は、ユウトから手紙を預かっていたと言って私に便箋を渡してきた。

 どうやら、自分が死んだら私に渡して欲しいと言っていたらしい。


 その手紙にはこう書いてあった。


『キミがこの手紙を読んでいる頃には僕はこの世に居ないだろう。キミを遺して居なくなる僕をどうか許して欲しい。実は少し前から僕の余命が残り少ないことは分かっていた。だけど頑固なキミのことだから、別れて欲しいと言っても離れないだろう。それは僕にとっては嬉しいことでもあり、心配でもあった。僕が居なくなった後、キミはきっと深く傷つくだろうから。……だから、僕は家族を遺すことにしたんだ」



 その後の事は、あの日私たちがサクラを迎えに行った時の話が書いてあった。

 本当は友人に頼まれたのではなく、ユウトの方が頼み込んでいたこと。

 まだ成人したばかりの私が絶望し、彼の後を追うことを心配していたということ。

 予想通り私がサクラを気に入って溺愛しているのを見て安心したこと。

 サクラ、と名付けたけど、自分はもう来年の桜を見ることはできないだろう、と。



 そんなことがつらつらと書いてあった。

 私は嗚咽を漏らしながら、その手紙を読んだ。


「ユウト……ホントに、バカなんだから」




 私は結局、死ぬことはスッパリ諦めた。

 ユウトにここまで思い通りにさせられちゃったのは何だか悔しいけれど、彼を裏切ることの方が私は私を許せないから。

 なによりサクラが私についていてくれるしね。




 そして私はサクラと二度目の春を迎えた。

 それは私の二一回目の春でもあった。

 ユウトは居ないけれど、彼との娘が私には居る。

 サクラと一緒に、今日も私はあの桜並木を歩くんだ。

 あの日の思い出の写真を胸に。


 サクラが、せめて私と同じ年になるまでは――。


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