おうちサウナはじめました
吉岡梅
とあるワンルーム。夜
テーブルの上にぶ厚い本を何冊か重ね、その上にタブレットPCを置いてできるだけ画面――というかカメラ、がまっすぐになるように立てる。ちらりと時計を見ると19時53分。あと7分。
PC版のLINEを起動してビデオの設定画面を選択する。モニタの中には口を真一文字に結んだ自分の顔が映った。はっと我に返って両手で軽く頬を叩くと、にこりと笑ってみる。よし、及第点にかわいい。はず。
リングライトの位置やカメラや前髪の角度をああでもないこうでもないと調整していると、背後のベッドの上に映ってはならぬ物が映っているのに気づいた。うおおおおお、と心の中で叫びながら掛け布団をかぶせて隠蔽する。モニタの前に戻ると、今度は念入りに背景をチェックした。画面ヨシ。背景ヨシ。モニタを指さし、振り返ってベッドを指さして確認していると、急に軽やかな着信音が鳴りだして肩がびくんと跳ねた。
咳ばらいをひとつして、先ほど調整した位置へと座りなおす。髪を軽く整えてあまりうれし過ぎない顔を作ると、通話ボタンを押した。画面には頭にタオルを巻いた
「うーす。お疲れ小弓ー」
「お疲れ、佑。何でバーなの。てか、そのタオル何」
「いやー、最近コロナで出かけられないじゃんか」
「え、うん」
「おかげで小弓にも会いに行けないし」
「元からあんま来てくれないじゃん。そのタオル何」
「人と会えないのって、意外とストレスたまるんだな」
「まあ、そういうとこあるよね」
「ストレス解消にサウナ行きたいところだけど、それも人が集まるって言えば集まるから行きづらくてさ」
「あー、最近ハマったって言ってたね。そういえば。で、そのタオル何」
「だから買っちゃいました!!」
「人の質問に……は? 何を?」
「じゃーん」
佑が嬉しそうに背景設定を解除すると、そこはいつもの部屋とは違っていた。床に直置きされた本のタワーもなければ、壁に貼られた特撮のポスターも無い。なんだか壁がふかふかしている。布? そして、画面の隅には、時計のような物がぶら下がっていた。
「え、なにそこ。そのぶら下がってるの時計? てかそもそもそのタオル何」
「フフフ……小弓くん、質問が多いようだね」
「あたりまえじゃん! 佑が何も教えてくれないんだから」
わからないものが多いと不安になるし、イラっとする。佑はその辺が平気な奴で、わからないものをわからないまま平然としているタイプだ。ある意味羨ましくて、強い。でも、だいたいの場面でめんどくさい。また始まってんなコイツ? と小弓は呆れたが、ちょっと久しぶりで嬉しくもあった。少しだけだけど。
「教えるとも。実はここはテントの中です!」
「え」
「そしてあれは時計じゃなくて温度計」
「温度計」
「うん。湿度も測れるよ。そして見てくれこれ。じゃじゃーん」
佑がそう言うと、画面がぐるりと回った。どうやらカメラを動かしているようだ。そして、そこにはステンレス製っぽい四角い箱のような物が映っていた。
「なにそれ。煙突ついてる? てことはストーブとか? でもなんでそんな石乗ってるの。てか佑いま外にいるの?」
「また質問が多いようだね。フフフ、いいだろう。お答えしよう。これはストーブだし、テントは外に建ててるよ。ほら、俺の部屋の横にちょっと空いてるとこあったじゃん? 昔、落ち葉集めて焚火したりしたとこ」
「あー、うん。懐かしい」
「そこそこ。そこにテント建てて、中にストーブ入れてんの。部屋からWi-Fi届いて便利だしここにしよう、って思ってさ」
「えー。おうちキャンプってこと?」
「まあ、そんなもの。だけどね、それとはちょっと違うんだよ。フフフフ」
コイツまだ何か隠してんな。小弓はそう思ったが、こちらから何か聞くのはなんとなく「負け」な気がしたので「ふーん」と気のない返事をするだけにした。
「あれ? 反応薄くない? ――だが、これを見たらどうかな」
佑はそう言うと、なにやら画面外でゴソゴソし出した。と、横の方からにゅっと
「では、行きまーす」
小弓のイラつきを余所に、佑は柄杓からストーブの上の石へと水をかけた。とたんにジュワアアアア……と水が蒸発する音か聞こえ、蒸気が上がったかと思うとあっという間に画面が白く曇る。
「えー何それ! てか佑、曇って全然見えない」
「あ、そうか。あー、それ考えてなかった」
画面の曇りが取れると、カメラは佑の方へと向き直っていた。なんだかいつもよりも血色がいい。お酒でも飲んでるのか、それとも、よっぽど嬉しいのだろうか。そう考えてしまった小弓は口元を引き締めた。危ない危ない。
「実はこのテント、テントサウナなんだよ。テントの中を熱くしてサウナにできるって奴」
「えー、そんなのあるんだ。で、買ったんだ」
「そそ。これを見せたくてさー。今はスマホ壊れたらヤバいからそんな温度上げてないんだけど、いつもはもっと温度上げてんだよ。気持ちいいぞー」
「へー。サウナにハマったのは聞いてたけど、そこまで好きだったんだね。あ、あれは? 水風呂?」
「そこなんだよな。水風呂はさ、家の風呂に水溜めて入ってるんだけどさ。ちょっと距離が遠くなっちゃって不便なんだよなー」
「あー。そうなるよね。しかも汗まみれで玄関からお風呂場まで行くんでしょ? なんかヤだよ。汚そうだし」
「汚いとは失敬な。でも、ま、そうだよな。だからさ」
「うん」
「一人用のビニールプールみたいなの買おうと思って。こないだAmazonで見つけたのがよさそうでさ。それをテント脇に置いて水張ろうかなって」
「えー」
「つかもう注文した。今週中には届きます」
「決断はっや! いつもあんなにモタモタしてんのに」
「いやー、人って変われるもんだよね。一人でいろいろ考える時間ができたせいかな。……小弓、聞いてくれ。俺さ、あらためて好きになっちゃったみたいなんだよね」
佑が急に真面目な顔を作ったので、小弓はちょっと慌ててしまう。
「え、ちょっと何急に。し……知ってるけど」
「サウナが」
「は?」
小弓が若干引いているのを尻目に、佑は楽しそうにサウナの話を続けた。温度と湿度のバランスがどうだとか、ローリュー? とかいう奴が自分でできるのがいいだとか、薪の種類と香りが、だとかを顔を上気させながら熱っぽく語っている。
そうか、なんか血色良かったのはサウナで温まってたからか。さてはタオルも汗対策だな。汗をかく程楽しんでるのか。コロナで会えなくてちょっとは寂しい思いをしているかと思ったら、おうち時間をすげー満喫してやがるじゃねーかコイツは。まじか。小弓はちょっと馬鹿馬鹿しくなってきた。
「でさー、ロウリュする水にアロマオイル入れとくと一気に香りが広がってさー」
「はいはい」
「小弓そういうの好きじゃん。アロマポットとか買ってたし」
「え……、うん」
「だからさ、いろいろ研究してんだよ。どういう風にアロマ水かけたら香りが一番立ってくるかとかさ。楽しそうでしょ」
「あー、いいかもだけど」
小弓がためらいがちに答えると、佑は満面の笑みを浮かべた。汗まみれのくせに。
「だろ? 落ち着いたらさ、一緒に入ろうぜ。やっぱさー、ひとりでいろいろ試すのも楽しいけど、一緒の方がいいよなあ、って」
「佑……」
「もうちょっとだろうからな。それまでいろいろ研究しとくから」
「うん……」
なんだかちょっと来てしまっている。こいつ……まじかよ。何か軽口を叩こうと思ったが出てこない。ちょっとくやしい。小弓が自分との戦いを繰り広げていると、佑がモニタの中でまた笑った。
「健康ランドとかのサウナだと、男女一緒ってあんま無いしな。でも、おうちサウナなら大丈夫だもんな」
「うん。て、え。でも裸はさすがにやだよ? 一応外だし」
「そりゃ裸では入んねーよ。ほら、俺も今、水着にレプユニ」
そう言って佑はカメラを引いた。確かに、下は水着で上は佑が好きな野球チームのレプリカユニフォームだった。そして頭にはタオル。なんだかちぐはぐで変な格好だ。小弓は思わず笑ってしまった。
「なにその恰好。それはそれで人に見られたくないじゃん」
「まあなあ。でもいいだろ小弓なら」
「は? なんか失礼な事言ってる?」
「ある意味。つか、嘘々。小弓もさ、水着用意して来ればいいよ」
「水着かー」
「うん。俺としてはちょっとエロい奴がいいです」
「無理」
「無理かー。あ、そうだ。入ってみて気づいたんだけど、あんま体にぴったりしすぎない奴がいいぞ。汗で貼りつく系だと気持ち良さが半減するから」
「ほんとにいろいろ試してるんだね」
「まあね。他にもさ……」
と、佑はまたよくわからないサウナの話をし出した。正直、何言ってるかよくわからないけど楽しそうで何よりだ。こんなにハマっているのなら、一度は行ってあげないと可哀想だろう。コロナが落ち着いたら、会いに行くとしよう。
――コロナが落ち着いたら、か。もうしばらくかな。
小弓は楽し気にしゃべり続ける佑を見ながら、ぼんやりと考えていた。たぶん、すぐには無理なんだろう。わりとしんどい。でも、少しありがたくもあった。持っていくアロマと、そして水着を選ぶ時間がもう少しありそうだから。
昔一緒に炊いたお香の香りの奴と、新しい水着を買わなくちゃな。小弓は忘れないように手元のメモ帳を開いた。「ToDo買い物、アロマ」と書きつけ、しばらくペンを止める。そして「ほどほどにエロい水着」と書いて視線をタブレットに戻す。
画面の中では佑が楽しそうによくわからない話を続けていた。あの話を隣で聞ける時がくるのは、きっと、あと少し。
おうちサウナはじめました 吉岡梅 @uomasa
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