リモート会議の日

庵字

リモート会議の日

 男は我に返った。

 ――そうだ、今日は会議がある日だった!

 掛け時計を見やると、会議開始時刻まで、もう一分と迫っていた。

 ――まずい!

 男は作業を中断してパソコンに飛びつく。鏡を見て、とりあえず顔をタオルで拭う。起きてからまだ洗顔も済ませていなかった。

 今の社会情勢下、男が務める会社では、社員の業務は在宅ワークへとシフトしており、会社の人間の顔を見るのは、月に一度のこのリモート会議の場だけになっていると言ってもよい。男に――いや、所属する全社員にとって、このリモート会議にはどうしても出席する必要があった。欠席はおろか、遅刻もまずい。というのも……。

 在宅勤務が始まってからのある日、役員が社員のひとりに電話を掛けて通話をしたことがあり、その際、背後に明らかに映画のものと思われる音声が流れていたことが問題視されたのだ。

 その役員は社長に、「社員たちの業務状態を把握する手段を講じるべき」と進言したが、社長はそれを退けた。「規定の期間内に仕事をきちんと収めてくれればそれでいい。自宅にいながら勤務時間内は仕事のみに専念しろ、というのが土台無理な話」社長はそういう考えの持ち主だった。

 が、「ただし」と社長は、在宅勤務中の姿勢を社員に一任する代わりに、月に一度開かれるリモート会議には絶対参加の条件を課し、社員全員はこれを受け入れることとなった。月に一度、しかも一時間程度の会議への出席を厳守するだけで、自分のペースで仕事が出来る(効率よく仕事をすることで自由時間をより捻出できる)というのは魅力的な条件だった。

 会議に欠席したら、給与査定に大きく響く結果となる可能性があることとは別に、この条件を提示してくれた社長の顔を潰さないためにも、という思いも社員たちにはあり、会議の時刻になると、仕事――あるいは仕事以外の趣味を嗜んでいる最中であっても、それを放り出し、誰もが会議への参加を最優先させるのだった。

 そう、何を放り出しても。――現在のこの男のように。

 男のパソコンにミーティング参加の招待が届いた。開始予定時刻ぴったり。男は胸をなで下ろして、それに参加した。参加予定者に欠席、遅刻はひとりもなし。無事会議は開始された。

 男も含めて、参加者の何人かは、宇宙空間や草原の画像を自分の背景にするという、“仮想背景”を設定したうえで会議に参加していた。カメラで自室内を映されることに消極的な社員たちで、これは社長も容認している。ただ単にプライバシーの問題、散らかった部屋を見られるのが恥ずかしい、狭い住居なので家族が頻繁に背後を通る、等々。仮想背景を設定する理由は人によって様々で、男はそれらの理由すべてに共感を憶えていたため、自分でも仮想背景を設定して会議に参加していた。男は片付けが不得手で、妻帯者でもあった。

 男は、会議参加者のひとりである同期社員の画面に目をやる。彼も仮想背景組であり、眼鏡をかけた痩せぎすの外見が宇宙空間に浮かんでいた。それを見て男は、心の中でにやりと笑った。彼が仮想背景を設定している理由を知っていたためだ。彼は模型を趣味としており、パソコンが置いてある部屋は、壁に並んだ棚一面、飛行機や戦車、アニメのロボットなどの彼の作品で埋められているのだ。そんな部屋の状態を見られて、「きちんと仕事をしていました」と言い張るのは無理がある。いかな就業時間をどう使うかの裁量が社員にゆだねられているとはいえ、これはさすがにばつが悪い。実際彼は、業務自体は早々と済ませておいて、空いた時間を趣味の模型作りに充てているのだろう。今も彼は、会議が始まる直前まで模型をいじる「おうち時間」を満喫していたはずだ。時折見える彼の指に赤や青の塗料が付着しているのが分かる。といって、それをわざわざ指摘するつもりなど、男には毛頭ない。

 ――自分も似たようなものだから。

 広大な宇宙空間のただ中にいる彼を見て、男は心の中でほくそ笑んだ。部屋を見られたくないという彼の気持ちを、男は痛いほどに理解していた。

 男は自分を映した画面を見る。自分の頬にも赤いものが付着していたことに気づき、男はそっとそれを手で拭い取った。

 会議は終了した。男は深く息を吐き出すと、電源を落としたパソコンに背を向け、おびただしく真っ赤に染まった部屋の壁を見上げてから、妻の体を解体する作業を再開した。

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リモート会議の日 庵字 @jjmac

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