家でまったりしていたら先輩が泊めてくれと言ってきた件

藤浪保

第1話 家でまったりしていたら先輩が泊めてくれと言ってきたんだが!?

「よぉし、準備できたわねー! ピザはまだだけど、お先にっと」


 グラスに蜂蜜はちみつ漬けの梅干しを放り込み、炭酸をそそぐ。しゅわしゅわと音がして、二酸化炭素がくっついた梅干しがほんの少しだけ浮き上がる。


 そこに割りばしを突っ込んで、がしがしと梅干しを崩す。はしの動きでさらに泡が弾けていく。


「んっふっふ~」


 私は満面の笑みを浮かべて、グラスに口をつけた。


 ごくりと一口。


 炭酸が口の中で弾け、ほぐされた梅干しのしょっぱさが口に広がった。


「っかぁぁっ! やっぱこれよねぇ~」


 仕事で疲れた体に染み渡る味だ。


 さらにもう一口。


 果肉が口の中に入ってきて、むと味が染み出てきた。


 ああ幸せ。


 ソファに背を預け、体の力を抜いた。これがあるから頑張れる。


 ずっとテレワークで家にいるから、週に一度こうやってリセットしないと気持ちが休まらない。


 と、そこに、ぴ~んぽ~ん、とドアのチャイムが鳴った。


「来た来た。ピーザ、ピザピザ~」


 おっとグラスを持ったままだった。


 一度引き返してテーブルにグラスを置き、玄関へ。


 もこもこの部屋着を着ているが、構うものか。配達のお兄さんは色々見慣れているだろう。


「はーい」


 がちゃりとカギを開け、ノブを下げてドアを開ける。


 そこにいたのは宅配ピザのお兄さんではなく――。


「先輩!?」


 ――会社の二つ上の先輩(男)だった。




 どうしてこうなった……。


 私はソファの上で、両手で顔を覆っていた。


 指の間からちらりと隣を見れば、そこには先輩が座っていた。


「ほんと助かったよ」


 いつもスーツをびしっとキメている先輩は、ジャージにパーカーという、ひどくラフな格好をしていた。玄関にあるのはサンダルだ。


 ピザのお兄さんだと早合点をした私は、ドアスコープも確認せずに、思いっきりドアを開けてしまった。


 そして先輩の顔を見てフリーズ。


 ぱちぱちとまばたきをしたのが三秒後。


 私が再起動したのを待ってくれていた先輩は、両手を顔の前でパンッと合わせ、「頼む。泊めてくれ」と言った。


 ゴミを出しに外に出たら、鍵を持っていなかったと言うのだ。


 先輩の家はオートロックで、鍵どころかスマホも財布もなく、途方に暮れていたら、私の家が近いことに気がついたそうで。


 近いと言っても電車で三駅はある距離を、てくてくてくてく歩いてきたらしい。


 どうして先輩がうちを知っているかと言うと、先輩を含めた職場のみんなに引っ越しを手伝ってもらったからだ。


 普段お世話になりまくっている私にそれを拒否することはできず……。


 こうして、二人テレビの前で並んでソファに座っている、というわけである。


 で、私はガチの部屋着で、すっぴんだということに今気づいた所。


「あの、私、メイクしてきますね」

「なんで?」


 顔を隠しつつ立ち上がった私を、先輩が止めた。


「俺のことは気にしなくていいから。なんなら隅っこで大人しくしてるし」

「いやいや、そんなわけにはいきませんよ」


 繰り返すが、先輩には大変お世話になっている。


 一から仕事を教えてくれたのは先輩だし、私がしたミスで一緒に怒られてくれたこともあるし、仕事が終わらなくて残業しているのを手伝ってもらったことは数知れず。


 大恩ある先輩を隅に追いやるくらいなら、私が一晩外に出ていた方がマシだ。


 そこに、ぴ~んぽ~ん、と再びのチャイム。


 そうだピザが来るんだった。


 ってか!


 私はテーブルの上の物と、さっきまでの自分を思い出した。


 金曜夜に一人梅干しサワーを飲んでいる女――。


「あのっ、これは炭酸水であって、お酒ではなくてですねっ」

「知ってるよ、お前アルコールだめじゃん」

「あ、そうですね」

「それより、出なくていいのか?」

「よくないです!」


 もう食欲なんて吹っ飛んでいたけれど、配達のお兄さんに無駄足をさせるわけにはいかない。


 今度はちゃんとインターホンで確認し、ドアスコープも見てから開けた。


 あつあつのピザの紙箱を持ってリビングに戻る私。


「お、ピザか。いいね~」


 先輩は見る前に匂いで当てた。


 金曜夜に一人ピザを食べてる女――。


「でも一人分か。俺なんか買ってこようかな。……あ、財布ないんだった」

「これどうぞ! あと何か出しますっ!」


 私は先輩にピザ(とサイドメニューのポテト)を押し付けて、玄関との間にあるキッチンに立った。


 といっても、料理なんてしない私には気のいた物が作れるわけでもなくて、そもそも冷蔵庫には食材すらなくて、冷凍庫から冷凍食品を引っ張り出す。


「悪いな。何か手伝おうか?」

「いえいえいえ! 座ってて下さい!」


 使っていない割にあまり綺麗にしていないキッチン。もう見られてしまっているが、マジマジと見られるのは嫌だ。


 レンジでチンしたチャーハンと餃子ギョウザを持って行く。一応皿には移した。


「お、美味そう」

「冷凍食品ですが」


 ていうかなんでピザなのに中華にした私。


 自分のチョイスに愕然がくぜんとするが、出してしまったものは仕方がない。


「あ、飲み物!」


 キッチンに舞い戻る。


「うち、アルコールないんですけど」

「水でいいよ」

「私と同じでもいいですか?」

「ああ」


 からのグラスと炭酸水のペットボトルを持ってリビングへ。


「さんきゅー」


 笑顔の先輩にそれらを渡して、ぼすんと座った。


 はぁ。


 なんかすごく疲れた。


 あ!


「メイク!」


 すっぴんのままだったことを急に思い出し、ソファから飛び上がる。


「だからいいって」

「いや良くは――」

「それより乾杯しようぜ」


 先輩が私のグラスを差し出してきたので、思わず受け取ってしまう。


「そんじゃ、かんぱーい!」

「かんぱーい」


 流れでそのまま口にする。


 あぁ、やっぱ美味しい。


「ささ、食べて食べて。俺のじゃないけど」

「あ、頂きます」


 先輩がピザの箱を開けてくれて、チーズの匂いにつられた私は、一切れ目を手にした。


 なんだか先輩のペースに飲まれてしまっている気がしたけれど、もういいことにする。考えたら負けだ。





「ちょ、ちょ、待てって!」

「待ちませんよっ!」

「やめろっ! 無理だから!」

「今だ! いけっ!」

「ああぁぁぁぁ!」


 私が放った赤いかめ甲羅こうらは先輩の車体に見事にヒット!


 クラッシュしている間に脇をすり抜ける。


「よっしゃー!」

「うわぁぁ、また負けた……」

「ふふん、私に勝とうなんて百年早いんですよっ!」


 私たちは、ゲームで盛り上がっていた。


 話の弾まない食事を終えた後、先輩がテレビの横にあるゲーム機に目を止めたのだ。


 微妙な空気を感じていた私は、一も二もなく飛びついた。


 ――で、こうなった。


 某電車のすごろくゲームや某ぷよぷよとしたスライムの落ちゲーを経て、今はこの某レーシングゲームをやっている。


 ただいま朝の七時。


 先輩をソファで寝かせるのもなぁ、とか、ていうか隣の部屋で眠ることなんてできそうにないんだけど、と思っていたけれど、まさか徹夜でゲームをすることになろうとは。


 もう自分の格好もすっぴんも気にならない。これも気にしたら負けだ。


「そろそろ帰るかなぁ」


 ぐーっと先輩が伸びをする。


「まだ管理会社やってないんじゃないですか?」


 九時くらいになったら、ネットで管理会社を検索してスマホを貸そうと思っていた。


「それがさ」


 先輩がパーカーのポケットに手を入れる。


 出てきたのはカード型の……。


「これ鍵ですか?」

「そう」

「なんで持って!? いつから!?」

「チャーハン食べてるときくらい。いやー、普段ズボンのポケットに入れてるからさ、まさか上のポケットに入れてるなんて」

「なんで今まで黙ってたんですか!」

「間抜けすぎて言い出せなかった」


 確かに。


 サンダルのままはるばる歩いてきて後輩に泣きついた挙句に「実は持ってました」はだいぶかっこ悪い。


「えと……あったんなら、よかったです」

「うん。じゃ、帰るわ。助かった。片づけ手伝うよ」

「いえ、大丈夫です」

「そう? 今度なんかおごるわ」

「はい」


 ありがとな、と言って、先輩は帰っていった。


 先輩の出て行ったドアのカギを閉め、ソファに座り込む。


 ゲームで上がっていたテンションが一気に落ち着いて、虚無感に襲われた。


 何だったんだろうか。


 ……まあいいか。


 今日は土曜日だし、ひと眠りしよう。


 まさか後日、「すっぴんが可愛かったから」なんて理由で先輩から告白されるとも知らないで、私はソファに横になって眠りこけるのだった。

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家でまったりしていたら先輩が泊めてくれと言ってきた件 藤浪保 @fujinami-tamotsu

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