青春委員会

棗颯介

青春委員会

「ねぇキミ、青春委員会に入らない?」


 その女子生徒、久留宮空子くるみやくうこに青春委員会への誘いを受けたのは、俺がこの高校に転校してきて二週間も経たない頃だった。

 親の仕事の都合で二月末という中途半端な時期に転校したせいで、俺はどの部活にもクラブにも委員会にも所属していなかったので、最初はどこからか転校生の話を聞きつけた在校生がスカウトに来たのかと思ったが、端的に言えば俺はその誘いをにべもなく断った。青春委員会という名前からして既に胡散臭すぎる。さらに言えば、目の前にいる久留宮空子という女子生徒自体、この学校の女子生徒と比較してあまりにも浮いている外見をしていた。顔立ちは普通だが、目を引くのはその制服。デザインは他の女子生徒と変わらないブレザーだが、なんというかみすぼらしさを感じる。よほど使いこんでいるのか服の所々に糸で補修した縫い跡があり、それでもなお直しきれなかったのか破れたままになっている部分がちらほらある。そして胸元のポケットにはどうしようもなく目を引く、幼稚園児や小学生の子供が好きそうなドクロのフェルトが貼られていた。

 極めつけはスカートの上からつけている腰のベルトに差している日本刀だ。日本には銃刀法があるから多分レプリカか何かだと思うが、演劇部の練習とかでないなら校内でこんなものを下げているのは明らかに頭のおかしい奴だろう。


「ご遠慮します」


 そう言ってそそくさと下足箱から外履きを履き替え、放課後のグラウンドへと足を運ぶ自分を彼女は慌てて呼び止めた。

 

「ちょちょちょちょ!ちょっと待ってってば!」

「なんですか。僕これから陸上部の仮入部体験行くんです、邪魔しないでください」

「お願いだから話だけでも聞いてよ。私達にはキミが必要なんだから」

「私達って、その青春委員会とかいう頭のおかしなクラブのことですか」

「頭のおかしなって失敬な。校長から正式に認められたれっきとした委員会だよ?」

「はぁ……。参考までにお聞きしますが活動内容は?」

「この高校の学生達が謳歌する青春の三年間を守ること」

「そうですか、失礼します」


 やはりこの女は頭がおかしい。そこそここの高校は偏差値の高い学校だったはずだが、まぁ馬鹿と天才は紙一重ってやつか。この手の人種には関わらないのが賢明だろう。


「だから待ってってば!!」

「まだ何か?」

「キミには私の姿が見えてるんでしょう?」

「見えてますけど」

「ならやっぱりキミにはウチの委員会に入ってもらわないと困るんだってば!」

「だからなんでですか?この高校、僕と同じ一年生でも百人以上はいますよね?」

「私の姿が見える人は一学年に何人もいないの。特に今年の一年生で入会してくれた人は一人しかいなくて、今ウチの委員会は人手が足りないから」


 そりゃ、そんなイタいスローガンを掲げた委員会に入りたがる生徒はいないだろう。変に悪目立ちすれば集団の中で孤立し、三年間の高校生活を棒に振りかねない。

 そして、そう思うのは俺も同じ。普通の感性を持っている人間なら当たり前だ。


「何度も言っていますが僕はそんな委員会に入るつもりないです。というか、委員会って普通はクラスのホームルームとかでどこに入るか決めるものですよね」

「さっきも言ったけど、ウチの委員会は誰にでも入れるもんじゃないの。私の姿が見えることが第一条件だからね」

「久留宮さんでしたっけ。良い病院紹介しましょうか」

「もう!」


 出会ったばかりの相手にこれ以上付き合う義理もない。そう判断して俺はそのままグラウンドへと走った。

 だが、グラウンドの土を踏んだ時。それは起きた。


「……なんだ?」


 茜色だった夕暮れの空の色が、突如として毒々しい緑に変わった。空に千切れるように浮かんでいた雲の色は白から黒へと一変する。グラウンドでトラックを走っていた陸上部員の走る速度がどんどん加速し、やがて目で追えないレベルまで到達した瞬間、さながらそれはSF映画でよく見る瞬間移動のようにも見えた。野球部のピッチャーが投げたボールは、投げたと自分が認識した次の瞬間にはグラウンドの反対側の空へと打ち返されている。サッカー部員が蹴ったボールの軌道が目で追えない。テニス部員の振るラケットはさながら高速回転する扇風機のプロペラのようだ。

 目の前で高速で繰り広げられる夕方の部活動の光景は、いつしか五月に行われるはずの体育祭の光景に切り替わる。当たり前のように風景の流れるスピードは変わらない。自分の身体を透過して男子生徒たちが組みあがってできた騎馬が走り抜けていく。

 体育祭の風景は再び日常的な部活動のそれに移り変わり、それもやがて別の景色を形作っていく。グラウンドに出店が並ぶ姿を見て、それが秋の文化祭だと気付く時には、光景は三度部活動のものに戻っていた。

 一連の光景を見て自分の中である仮説が浮かび上がった。それを確かめるように俺はグラウンドに面した校舎の壁に取り付けられた大きな時計を確認する。時計の時針と分針は一瞬たりとも静止することなく、絶えず右回転を続けていた。


「時間が、加速している?」

「そうだよ、時間がどんどん加速してる。時間の流れが加速すると、どうなると思う?」


 変化した歪な世界の中で突如自分の背中に投げかけられた声。聞き覚えのある声に思わず振り返ると、そこにはつい先ほどまで昇降口で自分にまとわりついていた女子生徒の姿があった。


「久留宮さん?」

「質問の答えになってないなぁ。疑問文に疑問文で答えたら怒る人も世の中にはいるよ?私がそうじゃなくて幸運だったねぇ、キミは」

「なんですかこれは。あなたは何を知ってるんですか?」

「もう、今言ったばかりなのに会話のキャッチボールになってないじゃない。まぁ、初めて見たら動揺するのも分かるけどさ」

「質問に答えてくださいよ!」

「えーとね、一言で言うと、この学校は呪われているの」

「呪われている?」

「この学校、前身になったのも含めれば割と歴史のある学校なんだけどね。過去の卒業生たちの負の想念みたいなものが焼き付いちゃってるらしいんだよね」

「負の想念?」

「まぁいろいろあるけど、だいたい共通しているのは“早く卒業したい”っていう思いかな」

「どういうことですか、それ」

「キミも同じようなこと思ったことないかな。勉強なんて嫌いだからさっさと卒業したい、とか。いじめられたりしてる子も、毎日学校に通うのが苦痛だ、早く卒業したいって思ったりするでしょ。あるいは思春期によくいる生き急いでいるような子も、早く卒業して大学に行って大人になりたいって思ったりとか。そういう過去の在校生の負の感情がこの学校には焼き付いてる。だから、定期的にこういう時間の加速が起こってるの」

「時間の加速が続いたら、どうなるんですか」

「今はまだこの学校の敷地内だけで留まってるけど、このまま放置すれば時の加速が全世界に拡大して、世界が終わっちゃう」

「それを阻止するのが、あなたの言っていた青春委員会の仕事ってことですか」

「キミ、割と状況に順応するのが早いね。未曽有の場面でも冷静さを失わないあたり、キミにもやっぱり素質があるみたい。そう、時の加速を防いで、すべての生徒に当たり前だけど素晴らしい青春の三年間を過ごさせるのが、私たち青春委員会の仕事だよ」

「なら早くこの状況を———」


 この状況をなんとかしてくれ。そう言おうとしたとき、俺たち二人の前に、加速した時間の中で部活に勤しむ生徒とはまた違う、“モザイク”が現れた。いや、その姿はモザイクというより“ノイズ”と呼んだ方が適切かもしれない。視覚情報を表現する呼称が雑音を意味する言葉なのも妙な話だが、とにかくそれはこの異常な空間に現れたノイズだった。例えるなら、テレビに映ったブロックノイズ。ブロックノイズということはやはりノイズという呼称は適切だったらしい。

 それは、何かの姿を持っている姿なき“何か”だった。時間が加速しているらしいこの空間において、その“何か”の動きは明らかに緩慢で、俺と久留宮空子の周囲を回るように、空を流れる雲のようにフワフワと漂っていた。

 そのノイズを見た瞬間、久留宮空子が腰に下げていた日本刀を抜刀する。太陽の光すら黒に塗り替えられたこの空間では、刃に日の光が反射して鈍く光るようなことはなかったが、それでもその刃は美しさすら感じさせる魅惑的な何かを感じさせた。


「そこッ!!」


 次の瞬間、久留宮空子は緑色に変色したグラウンドの土を勢いよく蹴り、俺のすぐ傍を漂っていたノイズに日本刀の刃先を突き出した。


「うおっ!?」


 その動作に驚いた俺は慌てて頭を屈める。数秒後、恐る恐る頭を上げると、久留宮空子はオリンピックに出場する体操選手でも明らかに不可能なレベルの高さまで宙を舞い、ノイズに日本刀を突き刺していた。さらに数秒後、ノイズは音もなく消失していき、姿が完全に見えなくなると同時に久留宮空子はグラウンドに華麗に着地を決めた。


「い、今のは?」

「さっき話していた、負の想念ってやつ。あれが目に見えるレベルで活性化するのに合わせてこの学校は時間が加速するから、逆に言えばあれを追っ払えば加速は止まって元の時間に戻るの」

「その刀、本物?」

「あぁこれ?もちろん本物だよ。名付けて妖刀“澄渡すみわたり”」


 自称なのか。やっぱりどこかイタい。


「でも、まだ時間は元に戻ってないみたいですけど」

「一度に出てくるあれは一つじゃないからね。まだこの校舎のどこかに同じような奴がいるはずなんだけど———」


 そう言って久留宮空子が後ろを向いた瞬間、彼女の背中にノイズが現れた。

 危ない。そう彼女に叫ぶよりも先に、ノイズが外見からは想像もつかない勢いと質量を持って彼女を背中から吹き飛ばした。華奢な彼女の身体が勢いよく宙を舞い、その手に持っていた自称・妖刀がグラウンドの地面に突き刺さる。

 負の想念とやらのノイズはその勢いのまま、地面にうつ伏せになって呻いている久留宮空子に向かって宙を漂い接近していく。俺の目から見ても、彼女に危害を加えようとしていることは明白だった。


「しまっ———」


 彼女がなんとか膝をつき、後ろを振り返った時には目前にノイズが迫ってきていた。だがあわやと思われた瞬間、ノイズは頭から両断された(頭と呼べる部位があるかも怪しいが)。

 気付けば、地面に落ちた日本刀を持って俺はノイズを真っ二つに両断していた。特に深い考えも作戦もなかった。ただ単純に、身体が勝手に動いていただけ。ノイズが消えて一息ついた瞬間、周囲に広がっていた歪な空間は元の色を取り戻し、空は茜色に、夕日に照らされ宙を流れる雲は淡いオレンジ色に、グラウンドの砂の色は乾いた茶色に、グラウンドを駆け回る生徒たちの動きは常識的な人間の速度のそれに戻っていた。

 

「元に、戻ってる……?」

「今のが、もう一体の想念だったみたいだね。ありがとう、キミのおかげで助かったわ」

「いや、俺もあんたに助けてもらったから。ありがとう」


 俺は手に持っていた日本刀を彼女に返却する。周りにいた生徒たちの視線が怖くて、一秒でも早くこの場を去りたかった。


「いろいろと思うところはあるかもしれないけど、ちょっとこれから話、いい?」

「ええと、そうだね。仮入部の件はまた今度にするよ」


 久留宮空子の後を追って校舎に戻ると、彼女に案内されたのは旧校舎と呼ばれている建物の四階、廊下の突きあたりにある古びた教室だった。出入り口の壁に立てかけられた室名札には年季の入った掠れた字で「生徒会室」と書かれている。

 教室の中には、これまた古びたデスクトップパソコンが一台机の上に置かれ、部屋の両壁に沿うように設置された本棚にはなにやら過去の生徒会が使っていたと思われるプリントやら冊子が積み上げられていた。

 何より目を引いたのは、窓側の壁に鎮座していた、大きなのっぽの古時計。同じ名前の童謡があった気もするが、それ以外に形容できる言葉が出てこない。木製でできたその時計は今にも針が止まってしまいそうなほど老朽化していたが、チクタクと鳴る針の音はある種の力強さを感じさせた。


「ここが、青春委員会に割り当てられた教室。普段は誰も使ってないし、委員会に入ってない人にはもう使われていないただの教室にしか見えないようになってるけどね」

「そうなんですか」

「そういうこと言われてももう疑わないようになっちゃったの?」

「いやまぁ、あんなもの見ちゃったら」

「そう、順応性が高いのね、キミ」


 久留宮空子に薦められるがまま古びた椅子に腰かける。相対する彼女は腰に下げていた日本刀をデスクトップパソコンが設置された机の側面、普通の生徒が鞄を下げているフック部分に鞘の下げ紐を引っかけた。


「さて、改めてだけど、青春委員会に入る気、ない?」

「さっきみたいな経験した後の一般人にその質問して、素直にはいって言うと思ってるんですか?」

「いんや、キミは一般人とは少し違うよ。少なくとも私の姿が見える時点でね。今の世間の人は“霊感”って呼んでるんだっけ?人ならざるモノの気配を感じ取れる素質をキミは持っている」

「じゃあ久留宮さんは幽霊なんですか?」

「キミが思う幽霊がどういう存在か私には分からないけど、今は概ねその認識で良いでしょう。私は幽霊。この高校の前身の前身のさらに前の……まぁ長いことこの委員会の委員長をやってる」

「どうしてこんなことをしているんですか?」

「さっきも言ったでしょ?この学校の生徒たちの青春を守るためだよ。さらに言えば世界の存続を保つためだけど」

「どうしても、僕が入らないといけないんですか、その委員会」

「強制はできない。だからお願いしてるの。今までスカウトした中にも断った子は沢山いたし、キミがもし断っても私は恨んだりしないよ」

「今現在、他の部員?役員?はどのくらいいるんですか」

「三年生が四人、二年生が三人、キミと同じ一年生は一人だから、私を含めて総勢八名。といっても、三年生は来週で卒業しちゃうから、実質五人になるかな」


 彼女に言われて、来週がこの高校の卒業式だったことを思い出す。

 

「今現在の人数でも、手が足りてないってことですか?」

「まぁそうだね。あの連中は昼も夜も関係なく現れるし、そのすべてに私が対処してたら身が持たないから、協力者は多ければ多いほど助かるよ」


 俺は想像した。夜、誰もいなくなった暗い校舎で一人異形の存在に日本刀で立ち向かう、目の前に座る久留宮空子の姿。その姿は美しく、けれどどこか孤独で哀愁を感じさせた。

 彼女は、この学校の生徒たちの青春を守るためにあのノイズと戦っていると言った。他人のために、ましてや学生の青春なんてフワフワしたもののために戦う彼女の気持ちが、俺には理解できない。そもそも———。


「———学生時代の青春って、そんなに必死になって守らなくちゃいけないものなんですか」

「というと?」

「俺は、学生時代の三年間も、大人になってからの三年間も、大差ないと思いますけど」

「ふぅん、どうして?」

「過ごす環境が違うってだけで、どちらも同じ三年っていう時間じゃないですか。それに青春なんて何も子供の時しかやってこないこともないでしょう。大人になってからも生き方によっては子供時代と変わらない青春を過ごすことだってできる。それに学生時代が早く終わればいいと思っている一部の生徒たちの思想を否定することも、俺にはできません」

「———そうだね、キミの言っていることは正しいよ」


 久留宮空子は深く納得したように目を伏せた。

 でも、と彼女は続ける。


「でも、学生時代の青春は、人生で一度しか味わえないんだよ。時間は過ぎ去ってしまえばもう戻ってこない。今は早く終わってしまえばいいと思っていても、過ぎ去ってしまって初めてその瞬間の大切さに気付くことだってある。あの頃にもっとあんなことをしておけばよかった、あの時ああしていればもっと楽しい学生生活を送れていたかも、ってね。だから私は、この学校の生徒たちの限られた時間を守ることはやっぱり正しいことだって思うんだ」

「……そうですか」


 多分、俺と彼女の主張はどちらも正しい。どちらも正しいからこそ確固たる正解もない。結局は、何をどう信じるも人それぞれ。そういう結論に落ち着くほかない。


「まあ、今すぐ答えを出せとは言わないよ。そうだね、来週の卒業式が終わるまでに返事をくれる?」

「まぁ、はい。分かりました」


 結局その日は、陸上部の仮入部には顔を出さず家路についた。時間の流れは巻き戻りも早送りにもならなかった。


***


「あおーげーばーとおーとしー」


 三月七日。今年度の卒業式は例年通り、予定通り、慣例通り、つつがなく行われた。在校生も式に同席こそするが、やることといえば開会宣言や閉会宣言で起立して頭を下げるか、在校生代表の答辞後に校歌を歌うくらい。自分の周りにいる同級生たちは、まだ付き合いが短いから何とも言えないが、少なくとも感傷的になっている生徒はほとんどいないようだった。少し離れた位置にいる二年生たちも概ねそうらしい。どの生徒もどことなく退屈そうに椅子に座っている。

 体育館のステージ前に整列している卒業生たちは、こちらに背中を向けているのでその表情はうかがい知れないが、時折女子生徒の鼻をすするような音がこちらまで聞こえてきた。卒業することに寂しさを覚えているのだろうか。それとも三年間いやいや通い続けた学び舎をようやく卒業できることへの喜びゆえか?そんなことを頭の中で考えているうちに、卒業生たちの門出の時間が訪れた。

 学校の正面玄関から卒業証書と花束を持って出てきた卒業生たちの表情は、概ね晴れやかだった。一部の生徒は涙ぐんでいたりもしたが。今日の天気が快晴に恵まれたことも相まってか、見ているこちらもどこか清々しい気分にさせられる。玄関を出た卒業生たちは、式に参列した家族や部活の後輩に囲まれ、祝福の言葉をかけられる者もいれば追剥のように制服のボタンを剥ぎ取られる者、胴上げされる者まで様々だった。

 だが、そこには共通して“希望”とも呼べるものがあるように思えた。

 同じものを別の場所でも感じたことがあるような気がして、その答えにすぐ思い至る。入学したときだ。自分はこの学校には途中から転校してきたから少し違うが、前の学校に入学したときは、あるいは幼稚園、小学校、中学校に入学したときは、常に希望が胸にあったような気がする。新しい環境で、新しい友人たちと、新しい時間を共有していくことへの期待があった。それは学校生活が続くにつれて現実とのギャップによってすぐに風化するか、あるいは忙しない毎日に流され忘れ去られてしまうものかもしれないが、それでもそこには学生時代の青春への期待が確かにあった。

 もし、彼らが過ごした三年間が、過程をすっ飛ばしていつの間にか卒業していたとしたら、どうだろう。もし自分がそうなったらどう思うだろう。自分が胸躍らせていた若く瑞々しい時間が、気付いた時には終わっていて、その間の思い出も自分の中には何も残らない。何もない、何も残らない学生時代の三年間。


「なんか、寂しいな」


 卒業生たちの喧騒から少し離れた場所で、俺はそんな言葉を吐いていた。


***


 卒業式が終わり、校舎に残る人影もまばらになった頃。

 俺は旧校舎の四階の廊下突き当たり、旧生徒会室前に立っていた。返事を伝えるために。

 彼女は、以前と変わらずそこにいた。


「やぁ、いらっしゃい」

「どうも」


 久留宮空子はパソコンのディスプレイから視線を外さないままそう挨拶した。何やらせっせとキーボードを叩き、マウスを机で走らせているが、何をしているのだろう。


「何してるんですか?」

「見ての通りオンラインゲームだよ」

「幽霊がオンラインゲームするんですか?」

「幽霊はオンラインゲームをしちゃいけないなんて法律が今の時代にはあるの?」

「法律には詳しくないですが、幽霊に関する法はないと断言します」

「そう、なら心置きなく引き続きプレイできそうだ」


 そんな問答をしている間も久留宮空子は一向にこちらの顔を見ない。そんな彼女を前に、自分はどう話を切り出すべきかタイミングを計っていた。

 だが彼女は依然としてパソコンから目を離さないまま用件を述べた。まるで世間話でもするかのように。


「で、例の話の回答は?」

「え?」

「ウチの委員会に入るかどうかを言いに来たんじゃないの?」

「まぁ、そうですけど」

「で、お返事は?」

「———俺でよければ、入ります」


 そう言った瞬間、何やらネガティブな効果音がパソコンから流れた。


「あーあ、負けちゃった」

「俺が部屋に入ってきたせいじゃないですよね」

「いーやっ、キミが来たせいだね。キミが来て私の心の平静が乱されたせいだ。うん、間違いない」

「画面から少しも目離してませんでしたけど」

「割と私ポーカーフェイスな方なのよ」


 そこでようやく久留宮空子が椅子から立ち上がるとこちらに歩み寄り、いつの間にか手に持っていた日本刀をこちらに寄越した。以前彼女が使っていたものと似ているが、鞘の色が違う。あれとは別物だ。


「えっと。これは?」

「キミの刀。私の澄渡を打ち直して作ったんだよ。名前は……まぁ、好きに呼んで?後は、そうだ」


 そのまま彼女は自分の席に戻ると、引き出しの中から一枚のプリントを取り出した。


「はいこれ。記入したら私のとこに持ってきて。多分担任の先生に渡しても話が通じないから」


 それは加入届だった。表題には「青春委員会加入届」と書いてある。承認欄は校長のものしか用意されていなかった。パッと見は他の委員会に提出するものと変わりないが、校長の承認しか必要ない辺りやはりこの青春委員会は異質な存在だということを感じさせる。

 

「分かりました」

「ねぇ、一つ聞いていいかな。どうしてこの委員会に入ってくれる気になったの?」

「まぁ深い理由はないですよ。ただ———」

「ただ?」

「日本刀持って学校を舞台に戦うのってカッコいいじゃないですか」

「———そう」


 彼女は静かに笑い、再びパソコンの置かれた机の椅子に腰かけた。


「ようこそ、青春委員会へ」

「よろしくお願いします」

「あれ。そういえば、キミって名前は?」

「俺の名前は———」


 転校してきたこの学校で、俺は日本刀を持った女の子と一緒に青春を守る戦いに身を投じることになった。

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青春委員会 棗颯介 @rainaon

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