ある路地の裏事情
ヒトリシズカ
噂の路地の担当者
「暇だ」
電柱の上から眺める街は、驚くほど閑散としている。
「ヒマねぇ」
俺のいるところのすぐ隣にある電柱から、のんきな声が応えた。俺はそののんきな声に眉をひそめた。
「いや、俺らの方はともかく、今お前らの方は大層忙しいだろう?」
すると、のんきな声は「チッチッチ」とスタッカートを効かせて舌を鳴らした。
「病院や個人宅、大通りを受け持ってる人たちはそうだろうけど、アタシはこの路地担当だからねぇ」
「あぁ、この路地か」
俺は眼窩に目を落とす。先ほどと同じように人通りはほとんどなく、一年前からは考えられないくらいの閑散っぷりだ。
「本当だったらもう少し忙しいはずだけど……この路地でよく事故が起こるからって、アタシがここに配属させられたのに、今じゃ歩行者も車も通りゃしないんだもん。さすがに飽きちゃうわ」
「お前が
「おだまりっ」
キッ、と睨む気配と共に、彼女の纏う黒いマントがバサリとはためいた。
「大体、アタシが仕事熱心に働いたら、一緒に組んでるアンタも仲良く忙殺されるんだからね?」
アタシに感謝しなさいよ、と
「本来の仕事がないことを誇られてもなぁ」
「うわ腹立つ〜」
鼻の頭にシワを寄せる彼女は不機嫌そうに俺を見下ろした。
先ほど踏ん反り返った拍子に、目深に被っていたフードがずれて、彼女の淡い金髪が風に翻っている。
普通にしていればなかなか綺麗な顔をしているはずなのに、もったいない。
「天使であるアンタは、流行病でヒトの子が死にまくってる今の現状を何とかしようと思わないわけ?例えば目の前に現れて、天啓を授けるとかさ」
至極真面目な話に、俺は考えていたことを頭の中から追い出した。俺は、
「そっちと違って俺らは簡単に直接コンタクト取れないんだよ。うっかり姿を見られた場合、ポロッと魂を手放す奴がかなり多いから」
特に、お年寄りや体の弱っているヒトの子は要注意だ。忠告に来ただけなのに、勝手にお迎えだと勘違いされては困る。
「もう!
忠告してあげようとして姿を現すと大概怖がられる、とブツブツ言っている彼女には悪いが、俺は
姿を見られた瞬間、ヒトの子をあの世送りしてしまう
「……まぁ、俺も思うところがないわけではないから、お前に協力してるだろ」
きっと俺は天使のなかでも結構異質で、かなりヤバい橋を渡っているんだと思う。なにせ、死んだヒトの魂を運び導く役割をもつ者が、率先してヒトが死なないようにしているのだから。
「“おうち時間”だっけ?アレを流行らせると家からヒトが出なくなって、そのおかげでヒトが死ぬ数が減るんだろ?」
「そう!やたらヒトの子が推し進めてるし、アタシたちも陰ながら応援すれば効果あるんじゃないかと思って!」
人との過度な接触が禁止されている
「効果あるのかねぇ?」
「?どういう意味よ」
「確かに出歩くヒトの数は減っている。それに比例して交通量も減ってるはずなのに、交通事故はあまり減ってないんだよ」
そうなのだ。交通量が減っているのに、何故か交通事故が減らない。やはり天使とヒトの子とでは勝手が違うのだろうか。
その疑問に、ああー、と彼女は意味ありげに答えた。
「あれじゃない?多分、交通量が少ないからうっかり『スピード出すの楽しいー!』的な?」
「お前じゃあるまいし」
「ヒドイ!人を
「事実だろ」
実際のところ、彼女はいつも結構なスピードでこの地域上空を飛んでいる。ゆっくり飛ぶのが好きな俺には理解出来ない行動だ。正直に言ったら、真っ赤になって頬を膨らませていた。面白い。
「〜〜〜〜!もうアンタが今後ジェットコースター乗る時に泣き喚いても、一緒に乗ってやらないんだから!」
「別に構わない。乗らないから」
「アンタがジェットコースターに乗るか乗らないのかなんて、興味ないし!それよりも、今日も頑張ってヒトを死なさないようにするわ!ひとまずは、この先にある道路の車に警告しにいくわよ」
死神としてはかなりおかしな宣言をする彼女は、俺と同じく異質だろう。元気よく左の拳を掲げる姿を見ながら、俺も重い腰を上げた。
「まぁな。コロナであれだけ毎日人が死んでんだ。せめて交通事故くらいは数が減ってくれなきゃ、あの世が溢れちまう」
「魂を導く天使サマは大変ねぇ」
フフ、とイタズラっぽく笑う彼女はまるで少女のようで、およそ死神には見えない。
「あんたたちが仕事熱心に魂を刈り取らなきゃ、俺たちの負担も減るんだよ」
「アタシたちは死亡予定表にある通り、過不足なく刈り取っているだけよ」
そう言って、彼女は再びフードを被り直した。
やるぞー、と奮起している彼女を見つめながら、俺はふと疑問に思ったことを口にした。
「なぁ、『
「?」
勢いを削がれたように彼女がこちらを振り返る。顔に『?』マークが浮かんでいるようだ。
「つまりだ。俺たちが“おうち時間”をやってみたらどうなんだろう?ほら、刈り取る者がいなければヒトの子も死なないかもしれないじゃん」
「……アンタが堂々とサボりを提案してくるとは思わなかったわ」
呆然としたように言う彼女に、俺はしれっと返す。
「計画的休息って言ってくれ」
彼女が黙り込んだのは、ほんの一瞬。
途端に目をキラキラさせて、はしゃいだように頭を揺らせば再びフードがズレて金髪が風に揺れた。
「わお!すっごい楽しそう!ねね、おうち時間って何すれば良いのかな?!手始めにお茶とお菓子持ち寄って、アンタん家に集合でいい?」
切り替えが恐ろしく速い彼女の勢いに飲まれつつ、俺たちは見様見真似で“おうち時間”を実施することになった。
適当な思いつきで始まった“おうち時間”はなかなか楽しく、それ以降俺たちは自主的に計画的休息をとるようになった。そのおかげか、はたまた別のことが原因かは不明だが、担当している路地の通称“魔の路地”は事故が減り、ちょっと薄暗い“ただの路地”へと名前が変わったのは、もう少し後の話だ。
ある路地の裏事情 ヒトリシズカ @SUH
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