不自由なおうち時間
まっく
不自由なおうち時間
雲一つない昼下がり。
今のあたしより不自由なおうち時間を過ごしている人も、そうはいないだろうなと考えると、少し笑えてきた。
おうち時間をいかに過ごすかを、喫緊の課題にしている人は多いだろう。
暇さえあれば外に出ていたタイプの人間にとっては、おうち時間なんて、苦痛以外の何物でもない。かく言うあたしも、そちらのタイプの人間だ。
外出自粛って言葉を、放送禁止用語にして欲しいと思っているのは、あたしだけではないのではないか。
近くの繁華街に繰り出して、顔馴染みになったオヤジを軽く転がして、昼間からタダ酒をかっくらうのが、あたしの日常。
なかなかそうもいかなくなったご時世で、オヤジを転がす機会を著しく奪われてしまい、かなり金銭的にも厳しい。
只でさえ、ストレス溜まりまくりの昨今のあたしなのに、それにさらに追い討ちを掛けるとは、本当に不届きな男だ。
普段は転がすほうが得意なあたしなのに、今は見知らぬ男に家に押し入られ、手足を拘束されて、床に転がされている。
不自由にも程があるおうち時間。
男は包丁を片手に、
「殺されたくなかったら、騒ぐな」と言って、あたしを拘束したっきり、男は何も話さないからだ。
何となく、あたしから話を切り出すのも違うのかなと思っていたら、軽く眠ってしまい、小一時間。
事態がまったく進展していないようなので、仕方なく、あたしから話し掛けることにした。
「アンタにひとつ聞きたいんだが」
「なんだ」
男はあたしを睨み付ける。
「話し掛けるのは、騒ぐうちに入るんだろうか」
「は? なにを言ってる」
「いや、最初に殺されたくなかったら、騒ぐなと言われたもんだからさ」
男は、もう一度窓の外に視線を戻してから、雑にカーテンを閉じ、包丁を突き出しながら、あたしの近くまでやってくる。
「暴れたり、大声を出すなという意味だ! 普通わかるだろ!」
「人質としてのキャリアに乏しいもんで、一応、確認をな」
「おい、女! あまりナメた口きいてるとブッ殺すぞ!」
男は顔を真っ赤にしている。
照れているほうに一票投じたいところだが、照れているのではなく、怒っているのだろうと推察される。
「ああ、すまんすまん。
「それを早く言え!」
「だから。まぁ、今の時間に隣の奴が部屋にいた事はないから大丈夫だと思うけど、一応な」
男は一転、これ以上ないくらいの小さな声で「わかった」と言った。
こいつも、立てこもり犯としてのキャリアには乏しいのだろう。
「で、話ってなんだ。便所か」
男は、さも面倒くさそうに言う。
「いや、アンタの目的は何なのかなって」
「聞いてどうする」
「こんな大それた事をするくらいだから、のっぴきならない理由があるんじゃなかろうかと思ってな」
「お前には関係ない」
やはり、男はカーテンを閉めた窓のほうを気にしている。警察の到着を待っているのだろうか。
「しかし、何か協力出来る事があるかもしれない」
あたしは、とりあえず心にも無いことを言ってみる。
「ねぇよ」
男は
「みんなで考えたら、みたいな
「
「……あぁ、そんな感じだったかもしれない」
この男は、馬鹿なくせに頭がいいのか。
男は一頻り思案した後に、「実は」とおもむろに話し出す。余程誰かに聞いて欲しかったのか、くどくどと話す口が止まらない。
要約すると、結婚したばかりの妻が失踪し、それを警察に相談したが、取り合ってもらえず、人質をとって、妻を捜索するよう要求しようと思ったらしい。
妻が戻っても、自分がブタ箱に入れられたら元も子もないのに。
頭がいいというのは撤回したほうがいいかもしれないが、あたしを人質にした理由が、「同じ人質をとるなら、見た目がいいほうが、効果があるんじゃないかと思って」と言っていたので、悪い奴ではないのではと評価しておきたい。
「で、警察はどう言ってる?」
「何も」
「何も、って電話して要求を伝えたんだろ」
「電話してないのは、お前もずっと一緒にいたから、知ってるだろうが!」
どうやら、小一時間居眠りをしていたのは、バレてないらしい。
「どうして、電話しないんだよ」
あたしが言うことでもないのだが。
「捨てた」
「捨てた?」
「スマホ持ってると、位置情報で居場所がバレてヤバいと思って、お前を尾行してる途中に通ったコンビニのゴミ箱に捨てたんだよ!」
逆に立て籠りが発覚しないと意味ないだろうに。
男は顔を真っ赤にしている。
これは怒っているのではなく、恥ずかしくてに一票投じて間違いないだろう。
「この家に電話はないし、あたしはケータイみたいなものは持たない主義でやってきてるんだが」
「軽く見回して、何となく、そうじゃないかと思ってた。近くに公衆電話あったりする?」
公衆電話から「今、人質をとって立て籠ってる」って電話して、警察が取り合ってくれるわけがない。
まさか、頻りに窓の外を気にしていたのは、公衆電話が近くにないか探していたのか。
「俺は、どうすればいいだろうか?」
あたしは「知らん!」と一喝したいところを
いくら男が、もう捨てられた子犬のような目であたしを見てきているとはいえ、まだ手にはしっかりと包丁が握られている。
「外に向かって、騒ぎ立てるしかないんじゃなかろうか」と言おうとしたところで、はたと気付く。
「ひょっとしてなんだけど」
「妙案でも?」
人質のあたしが犯人に妙案を提供するのは癪に触るが、不自由にも程があるおうち時間解消の妙案になるかもしれない。
「実際には立て籠り事件なんて、起きてないんじゃなかろうか」
「どういうことでしょう。実際にこうやって事件は起きてしまってます」
男の顔を見て、なるほど、目を白黒させるとは、こういうことなのかと思う。そして、言葉遣い&正座。
「この立て籠り事件を知ってるのは、あたしたち二人以外にはいないってこと。誰かに事件起こすって、話したのか?」
「いや、でも、手足を縛ってしまっているし、何も無しってわけには。あなた様にも申し訳が」
悪い奴ではない、確定か。
「その点に関しては、ほら、この通り」と言って、あたしは手足の拘束を抜けて見せる。
拘束が弛すぎて、目を覚ました時には外れかけていて、だから簡単に抜けれただけだったのだが、「某有名イリュージョニストの弟子だった時代がある」とハッタリをかましておく。
拘束されているフリも、思いの外疲れるものだと一つ勉強になった。あたしはコキコキと身体を鳴らす。
「そんなわけで、アンタは何もしてない。包丁を持ってあたしを訪ねてきたが、そもそも包丁を使うような食材がなかったから、何もせずに帰った。これでどうよ?」
「でも……」
「まだ何かあるのか」
「妻を探す手立てが無くなってしまいました」
あたしが百歩譲って不問に付してやろうというのに、その寛大な心に甘えて、根本的な問題までを解決させようというのか。
叩き出してやってもよいのだが、いくら餌であるお母さんの
「本当に行き先とか、心当たりはないものか。思い出の場所とか」
「ありません」
「全く?」
「はい。一度しか会った事がないので」
まさか、この男だけが、勝手に妻だと思い込んでいるのではなかろうな。
「一度とは」
「婚姻届を渡した日です」
「一体、どういう出会いだったんだよ」
男はカッペリーニくらいの細い声で、
勢いが良くても悪くても、話の要領を得ないのは、この男の特徴なのか。
仕方がないので要約すると、この近くの繁華街の居酒屋で偶然知り合ったオヤジに、結婚相手を探している女の子がいると言われ、写真を見せてもらったら、めちゃタイプで、会いたいというと、婚姻届を書いて持って来てくれるなら、すぐにでも会えると言われ、その通りにしたら、相手は中国人で、なんか怪しいとは思ったものの、目が合ってしまうと舞い上がってしまい、「子供の頃からの一番の夢が、国際結婚をする事だったんです」と、思ってもみないセリフを口が勝手に言っていて、気が付くと婚姻届を差し出していたらしい。
次の日、教えてもらった電話番号に掛けると、会った女の子とは似ても似つかない声で「この電話番号は現在使われておりません」と言うばかりで、
「あたし、そのオヤジ心当たりあるかもしれない。話を付けてやらんでもないぞ」
これは、この不自由にも程があるおうち時間から、早く逃れたいが為の嘘では断じてない。いや、断じては言い過ぎだ。正しくは、半分くらいはだ。
おそらくは、あたしが普段転がしているオヤジのうちの一人に違いない。
確証はないし、頼んだ所でどうなるものでも無いのかもしれないが。となると半分も言い過ぎか。
「頑なに自分の話はしなかったオヤジが、不法滞在の外国人に日本国籍を斡旋するブローカー的な仕事をしていると、ポロッと溢した時があった」と男に言ってやる。顔馴染みだとも。
「ありがとうございます! あなた様を人質にして良かったです!」
男は憑き物が取れた様な顔をしている。
どこであたしは、そんなにもこの男の信頼を得たのだろうか。
「じゃ包丁置いてさ、早くコンビニに捨てたスマホ回収してきな」
男は元気よく「はい!」と言って立ち上がる。
「ついでに、そのコンビニで何本かレモンサワーを。あたしは一眠りするから、ノブの所に掛けて帰っていいから」
「了解です!」と勢いよくドアから男が飛び出して行く。
男が開けたドアの隙間から見えた空は、少しずつ赤に染まろうとしていた。
不自由なおうち時間 まっく @mac_500324
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