25時間おうち時間
春海水亭
あるいはゾンビパニックについて
◆
一日は24時間、分でいうと1440、秒でいうと86400。
絶対のルールだ。
どんな金持ちだって、どんな悪人だって変えられない。
ただ、世界で私一人だけが一日で25時間を持っている。
自営業――今となってはほぼ無職で店を開けられない私に対して、
政府から与えられた補填として、私には支給品と1時間が与えられている。
原理は知らない。
ただ、私は他の人より余分に一時間を感じることが出来るし、
感じるだけではなく、その中で動くことも出来る。
その間、他の生命体は完全に止まっていて、世界もぼんやりと止まっている。
ぼんやりと止まっている――そうとしか言いようがない。
時間が止まっている間、
私は空気を吸い込んで、止まった空気を動かすことが出来るし、
お湯を沸かして、注いで、カップラーメンの完成を3分待つことも出来る。
その間の水道とか、ガスとか、そういうものは一体どういう働きをしているんだ、
と思うが、どうにもいい加減に時間は止まっているらしい。
よくわからない時間の中で、私が触れた物だけは私と一緒に時間を過ごす。
一日に24時間以上を手に入れたいという意見はインターネットでよく見るが、
実際に手に入れてみると、
結局私は24時間すら使いこなせていないのだなと思い知らされるだけだ。
そもそもウイルスの影響下で現在休業中であるために、
根本的に仕事の時間が無い、やることがまったくないわけでもないが、
それでもほとんど毎日が休みのようなものである。
その期間に勉強するであるとか、新商品の準備をするとか、
あるいは、読書でもスポーツでも、
少しでも建設的なことをしようと思えればよかったが、
私といえば家に籠もって、
一人用ゲームかインターネットの愚にもつかない情報を見ているだけだ。
大量に買い込んだおうち時間用のグッズが泣いている。
ルービックキューブなんかは、一面ですら永遠にその色が揃うことはないだろう。
私にだけ与えられた時間、世界の誰よりも未来に進むことが出来る1時間を、
私は、勢いをつけてドブに捨てているというよりも叩き込んでいる。
どう考えても動かないツイッターを見ている場合ではないのだが、
結局時間などいくらあってもどうにもならないものなのだと思う。
ある日のことである。
インターホンの鳴るピンポンという音を聞いた。
はてな、私なんぞに来客なんてあったかしらん、と思ってカメラを覗くと、
「あ……コ……ン……に……ち…………は」
肉体がぐずぐずになった人間――
新型ZMVウイルスの感染により、私達の日常は大幅に変化した。
ウイルスで死んだ人間は死体のまま動き、
他者を物理的に感染させんと街中を歩き回っている。
不思議なことに、
開け放たれた扉や窓からしか建物や乗り物に入ることが出来ない。
不可思議な性質であるが、そのおかげで基本的に家の中にいれば安全なのである。
だから私達と言えば、政府から与えられた支給品と補填能力で、
外に出られないかわりに、のほほんとした生活を過ごしている。
外を死体が動いていたって、
ご飯が食べれて娯楽があれば、どんな奇妙な日常だって慣れるのだ。
ただ、
それ以外の知性が存在するという話は聞いたことがない。
偶然にインターホンを鳴らすことはあっても、喋るなど本来は不可能である。
「イ……ま……す……ネ」
私の物音を察したのか、
もっとも、そのドロドロとした顔面から表情を窺うことは出来ないが。
問題はない、鍵は閉まっている。
そもそも根本的に
だが、ドン、ドンという強い音が聞こえ、
ドアの形が拳の形に凹んでいるのを見て、私の安心は一気に吹き飛んだ。
金属製のドアを凹ませる腕力、他とは比べ物にならない知性、
そして扉を破壊できる異常性。
そんな怪物がドア一枚越しに私の向かい側に存在している。
呑気な気分が一気に吹き飛んだ。
私は携帯端末を取り出し、通話画面から保健所を呼び出す。
「はい、182区保健所です」
「
クリアな音声が、向こう側の息を呑む音すら聞こえてくる。
最新鋭の携帯端末は緊張感まで伝えてくるのか。
「詳細は後で、その位置ですと……5分で向かいます!」
住所データは通報の時点で向こう側に伝わっているようだ。
私はただ、神に祈るように叫んだ。
「……お願いします!!本当に!!」
ぐわん、という音がした。
「こ、コン……にちは……」
「うわあああああああああああああ!!!!!」
私は絶叫を上げる。
周囲と若干距離のある蔵付きの古屋である、
私の絶叫を聞いた者はおそらくいないだろう。
祖父が残した住居である。
蔵は改装すれば店に出来ると心底喜んだ。
優しい祖父であったが、流石にこの時だけは祖父を恨んだ。
もっと、都市部に近い家に住んでいてくれ。
街中を
玄関に立つ
唯一の幸いといえば、それだけだった。
もっとも、一人いれば私を殺すには十分なお釣りが来る、
というか、ただでさえ体力が無いのに室内生活が続いているのだから、
子猫一匹ですら私を殺すには十分なのかもしれない。
それぐらい私の貧弱さは絶望的だった。
「……すいません!何しに来たんですか!?」
私は一縷の望みにかけて、声を上げた。
知性があるということは会話が通じるタイプの
「……コロしにキました」
「うひぃ~~~~!!」
先程までに比べれば格段に滑らかに、私に殺意を訴えてきた。
最悪だ、今日という日は私の中の最悪を更新し続けている。
「ヒトをコロすのは……タノしいらしいです……」
「か、勘弁してください……」
私は両手を上げながら、ジリジリと後退していく。
相手を刺激しないように、ゆっくりとゆっくりと。
「では、シになさーい」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
私に飛びかかろうとした
躍動的な姿のまま、その動きを止める。
「あ、あぶなかった……」
私だけが認識できる時間の中で、
だが、問題が幾つかある。
避難するならば蔵があるが、
やはりこの
他の家に避難するにしても周囲とは距離がある上に、私は自転車しか持っておらず、
さらに言えば、他の家だって扉には鍵がかかっているし、
開けてもらうには時間が動き出すのを待たなければならないが、
しかし、いざ時間が動き出してしまえば、他の
つまり、時間が止まっているうちにこの賢い
そして蔵に避難しなければならない。
私はキッチンに向かい、そして包丁を取って戻ってきた。
やりたくはないが――手足を切り落とす。もはや、それしかないだろう。
「えいやっ!」
私は気合を入れて包丁を
目を瞑っていたので、実際にどのあたりだったかはわからないが。
「……あれ」
奇妙な感触と同時に、私のものではない声がした。
目を開くと、ドロドロとした顔面が、私の方を見ている。
「えっ」
「えっ」
私だけの時間の中で
手足を動かし、ほんの少しだけ刺さった包丁を抜いて私に返した。
「どうも……」
冗談みたいに私はお礼を言っていた。
脳が混乱している。何故だ。
「どうも、はじめまして」
まるで牧歌的な悪夢を見ているようである。
「あの……私を殺さないんですか?」
「えっ、何で……」
「えっ……」
散らばったおうち時間用のグッズが彼を出迎える。
寄せばいいのに、私も彼を追っていた。
「なんですかこれ」
ルービックキューブを取り上げて、彼が私に尋ねる。
「ル、ルービックキューブですが……」
私は手早く、ガチャガチャとやって色を揃える遊具であることを伝える。
「やってもいいですか」
「ど、どうぞ……」
ガチャガチャと乱雑にルービックキューブを動かす
それを呆然と眺めている私。
まるで状況が飲み込めないが、泡のように一つの想像が私の中に湧き上がった。
「あの……アナタはZMVウイルスさんですか?」
「……ニンゲンでいうところのZMVウイルスですね」
カチャカチャとルービックキューブを動かしながら、
こともなげに
私だけの時間の中で動くことが出来るものは、私とそれに触れた非生物だけ。
カップラーメン、ルービックキューブ、そして――
ウイルスが生命であるか、それは今でも尚議論の対象である。
「人間を襲うのは、人間の生殖本能……いや、人間の欲求ですか?」
「まぁ、そうですね。我々はこういうことのほうがタノシイですから」
つまり、多重人格のようなものだ。
ZMVウイルスに感染し、死体は
だが、その意識の主は人間の方にあり、ウイルスは表に出ない。
そして時の止まった世界で、ウイルスの意識の方が
「うーん……」
カチャカチャとルービックキューブを動かすZMVウイルスを横目に私は考え、
そしてある提案をした。
◆
相変わらず、外には
だが、もう私1人の1時間ではない。
保健所に出頭した知性を持った新たなる
果たして、この恐慌の時代に如何なる影響を与えるのだろう。
だが、そんなことは今はどうでもいいのだ。
一日に1時間、その
その相手は、私。
通信内容は遊びに関することならば、何でもいい。
ドブに投げ捨てていた時よりも大分マシな25時間目のおうち時間になった。
25時間おうち時間 春海水亭 @teasugar3g
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