おうちじかん!

真野てん

第1話

 皆さんはご存じだろうか。

 草木も眠る丑三つ時。

 地上におけるすべての時間が止まっていることを。


 ひとや動物はもちろんのこと、あらゆる物理現象が停止する。

 だがしかし、止まってしまった時間のなかを、唯一自由に動けるものが存在する。

 それは――。


「おっともうこんな時間か……ふぁ……ちょっと仮眠を……」


 受験シーズン真っただ中。

 最後の追い込みを掛けた受験勉強は深夜にまで及んでいた。


 とかく「戦争」にまでたとえられる受験。

 彼ら若き戦士たちに休息を。


 煌々と照らされていた窓の明かりがフッと消える。

 おりしも時計の針は、深夜2時を回ろうかとしていた。


 その瞬間である。


 いま寝床に就いたばかりの受験生が住まう家が、すっくと立ちあがったのだ。


 鍛え上げられたマッシブな両脚が床下から突如として生え、水道やらガス管やらが通っているはずの地面から、空間を無視して立ったのである。


 よっこらせっと。


 うんしょっと。


 それは一件だけではない。

 周囲の戸建住宅のすべてが同じように脚を生やして、普段はどっかと座っている土地を離れて一斉に歩き出した。


 アパートやマンションなどの集合住宅はもっとダイナミックである。まるでブロック崩しのように一部屋一部屋が分離して、三々五々に散っていくのだ。


 彼らはこうして人間のあずかり知れないところで、わずかな時間だけ自由に行動しているのである。その光景たるや百鬼夜行どころの騒ぎではない。


「ちょっと聞いてくださいよ、先輩! もうたまんないっすよ!」


 新築一戸建ての3LDKが、芋ロックのグラスを片手にくだを巻いている。

 まだ一杯目だというのに、防汚コーティングのされている白無垢の壁材を真っ赤に染めていた。


「まあまあ落ち着きたまえよ、君。ほら玄関から靴がこぼれているじゃないか」


 相手をしているのは今年で築50年になる数寄屋造りの古株さんだ。

 彼はこの界隈の顔である。

 その面倒見の良さから、自然と周囲に家が集まった。


「だって、俺まだ新築っすよ? なのに住人ときたら、もう一ヶ月もトイレ掃除してないんですよ! これが黙ってられますか!」


「それは確かにひどいね。しかし住人さんにも事情があるんじゃないのかね?」


「どんな事情があったって、便器こするくらいしてくれたっていいじゃないすか!」


 新築3LDKは涙声で訴える。


「あーあ。俺もう詰まらせちゃおうかな。マヂムリ……」


 そんな彼の背中を、数寄屋造りはそっと撫でた。

 すると先輩住宅の優しさに触れた新築3LDKのアルミサッシの両窓はぐっしょりと結露したのである。


「兄さん、これ食って元気出しなよ」


 そう言ってくれたのは、地元で30年創作居酒屋をやっている雑居ビル一階の大将だ。

 出してくれたのは、結露吸水テープの煮物とトイレ洗浄剤のカクテルだった。


「お、おやっさ~ん」


 鉄筋コンクリートの武骨な愛が、また一件の家を温めた。

 きっと今月は暖房費がちょっと抑えられたはず。


「そういえば数寄屋のダンナ、来週から工事だって?」


「えっ。先輩どっか悪いんすかっ」


 すると数寄屋造りは「いやぁ」と嬉しそうに、屋根瓦をさすった。


「今度、孫が生まれてね。これを機に、息子夫婦と同居が決まったんだよ。まあ私も歳だしね、所々傷んできてるからぁ。いや参ったなぁ」


 言葉とは裏腹に、縁側が床暖いらずなくらいに上気している。

 しあわせいっぱいといった具合だ。

 思わず家鳴りも激しくなる。


「お祝いしましょうよ、お祝い!」


 新築3LDKが自分の相談も忘れて舞い上がっている。

 しばらくすると話を聞きつけた近所の家々が、数寄屋造りの周りに集まってきた。普段は日照権だの、騒音だのと人間の都合で引き離されているだけに喜びもひとしおだ。


 止まった時間のなかで、家たちの宴は続く。

 明日もまた、住人の生活を支えるために。

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