宇宙に住む
水涸 木犀
episode1 宇宙に住む [theme1:おうち時間]
「宇宙に住まないか」
突然放たれた言葉に、俺は小さく眉をひそめた。彼が突拍子もないことを言い出すのはいつものことだが、表情筋を動かさずにおれるほど、身体は彼の言葉に慣れていない。
「宇宙に住んで、何をしたいんだ?」
彼はカラカラと笑う。
「相変わらず頭が固いな、オウル。何かをするために行くんじゃない。行くことそのものが目的さ」
「……クレインの頭は柔らかすぎて理解が追いつかない」
画面の向こうでなおも口角を上げている彼に精一杯の嫌味を返す。彼が全く
「じゃあ、動くより先に考えたい君にもわかるように話そう」
案の定、嫌味を嫌味と捉えない彼は、真面目くさった表情で居ずまいを正した。
「宇宙で住む場所は、大きく分けて3つ考えられる。1つ目が人工衛星、2つ目が地球以外の別の星、3つ目が星を行き来する船の中。別の星を宇宙と呼ぶかは議論がわかれるだろうが、今は本題ではないから置いておく」
「ああ」
案外真面目に考えていたらしいので、俺も僅かに背筋を伸ばす。
「人工衛星は、たしかに宇宙といえる。人が定住するようになってからしばらく経つが、未だに宇宙移行士が滞在しているしね」
「不測な事態に対処するため、だろ?」
「ああ。だが、人が定住する前に滞在……いや住んでいた宇宙飛行士は、衣食住の管理から数多の実験、自らが乗る衛星の管理まで全てやってのけた。僕たちの生活に置き換えれば、それがいかに忙しなく、充実した日々であることか!」
俺は想像する。自分の着る服がほつれたら
「今も宇宙飛行士は、全てを自分でやってのける!」
「いま、現役の宇宙飛行士はいないだろう?」
妙に気が高ぶっている彼に疑問をそのままぶつけるも、その程度で彼の弁舌は止まらない。
「いるいないは問題じゃないさ。重要なのはかつて宇宙飛行士が存在していて、これからも存在しうるということだ」
「これからも、っていうのは、新星開拓のことか」
「ああ。今は人工衛星の暮らしが
出ている、と付け加えながら俺の目を覗き込んでくる。表情を固くした俺に構わず、言葉を繋げる。
「そうなったら、宇宙飛行士が必要になる。未知の星に向かうんだ。航路も、自らが乗る船でさえも最適解がない。実際に乗って、試すしかない。決まった正解をなぞるだけの宇宙移行士などでは務まらないだろうな」
「つまり、クレインが言う宇宙に住みたいっていう話は、宇宙飛行士になって宇宙船に乗りたいってことでいいのか」
彼が大きく手を叩く。スタンディングオベーションのつもりなのか、立ち上がったせいで顔と手が視界から消え、乾いた拍手の音だけが部屋に響いた。
「そうさ! ようやく理屈屋な君も理解してくれたか。オウルも宇宙に住まないか?」
言いたいことはわかったが、誘いに乗るかは別の話だ。
「色々やることがあると言ったが、代わり映えしない船室に何年も缶詰なんだろう。俺にその暮らしは耐えられない」
「そうか?」
こんどは自室のカメラに思い切り顔を寄せたらしい。皮膚の凹凸がわかるくらいに、彼の目元が大写しになる。
「オウルは自分の部屋に籠もりっきりだが、退屈そうには見えないぞ?」
「好きで籠もっているわけじゃない。読むべき本も書くべき論文も山ほどあるから、結果的に数日外出してないだけだ。というか、お前も似たようなものだろう」
「それだよ」
近づきすぎて、カメラに頭をぶつけたようだ。ゴンという鈍い音とともに、額をさすりながら椅子に座る彼の顔が映った。
「宇宙の旅は長い。日々の修理や実験も大事だけど、思索に耽る時間もあるはずだ。考えるのが趣味みたいな君には向いていると思うよ」
俺は反論しようと口を開きかけて、やめた。にこにこしている彼に何を言っても、自我を曲げないことは知っている。だからこれだけ言っておくことにした。
「今みたいに家に引きこもって、俺としゃべってるだけなら宇宙には住めないぞ」
「もちろん、手は考えているよ」
「何かあるのか」
「まだ内緒」
含みをもった言い方が引っかかるも、彼は今これ以上言う気はないらしい。
「そろそろ切るぞ」
「うん。そうだね。オウルに僕の夢を打ち明けたことだし。宇宙に思いを馳せながら今日は眠るよ」
「宇宙に住む夢、か」
「うん。今も、宇宙に住んでるみたいなものかもしれないけどね」
「な」
「宇宙船に籠りきりの生活と、自宅に籠りきりの生活は似ていると思わないかい?」
「そ」
俺が相づちとも否定とも付かぬ言葉を発する前に、矢継ぎ早にいうや否や目の前の液晶が暗転した。
「言い逃げかよ……」
☆ ★ ☆
「へええ」
大げさに仰け反る話し相手を見て、俺はこの話をしたことを少し後悔していた。
監視業務は退屈だ。夜間であればなおさら、意識がとぎれやすい。ちょうど集中力が切れた頃合いに話を振られたものだから、ついのせられて口を滑らせてしまった。学生時代の思い出話と言えば聞こえはいいが、職場の同僚に俺のプライベートを不用意に晒してしまった感が否めない。
「もしかしてオウルさん、この話誰にもしたことないんですか?」
俺が黙って頷くと、栗毛の彼女は仰け反った体制のままにっと笑う。
「寡黙・寂黙・黙殺の三黙と名高いオウルさんのマル秘エピソードが聞けるなんて。夜間当番も捨てたもんじゃないですね」
「人を三猿みたいに呼ぶなよ」
「オウルさん、古いことわざ知ってますよね」
「お前こそ、よくそんな熟語知ってるな」
「暇なので」
彼女は手元にある本を振る。
「ミノリ、お前それ」
「電子セキュリティチェックは万全ですけど、意外と紙の本ってガード薄いんですよね。ただの熟語辞典なので気にしないでください」
「それ以前に、勤務中だぞ」
「あ、今は読みませんよ?もう少しお話を聞きたいですから」
本を足元にしまった彼女は、前を向いたまま首を傾げる。
「冒険家のふたつ名をもつ宇宙飛行士ドクター・クレインと宇宙移行士のホープ、ミスター・オウルが親友だったとは知りませんでした」
「親友ってほどではない」
「またまた。引きこもりで有名なオウルさんがテレビ通話で話すくらいなんですから」
彼女がにやにやしている気配が伝わってきて、俺は腹立たしい気持ちを抑えることに苦労した。残念ながら、彼女の言葉に反論する術はない。
「でも、それで納得がいきました。オウルさんは、ドクター・クレインの応答を待っているんですね」
ぽつりとかけられた言葉に、小さく頷く。手元のコンソールを動かし、正面のモニターに表示させる。正面のモニターはいつかのテレビ通話の画面より数十倍大きいが、あのときと同じく真っ黒な画面が延々と続くだけだ。
「あいつなら、俺が知っているクレインなら、きっと新たな星にたどり着く」
「わたしも、オウルさんが信じるドクター・クレインを信じます」
彼が乗る船の応答信号を待ち、俺は今日も宇宙を見つめ続ける。
宇宙に住む 水涸 木犀 @yuno_05
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